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うえすぎくんの そういうところ Season.7 青春の内側編 『第88話 ファーストキス』

第88話 ファーストキス


「まず最初に、恋をしている女の子は絶対的に強い。ただしこれは大きく二極化し、もの凄く強くなる場合と弱くなる場合があります。ここまで質問は?」

「はい……全く分かりません」

「素直でよろしい、では続けます。前者は恋心を力とするもので、私はこれを『女の恋心最強法』と勝手に名付けました。いい加減なものだと思うかもしれないけれど、目の前の人間が実践して本当に強くなったのだからやってみる価値は充分にあるとおもうわ」

母上が何を言おうとしているのか皆目見当がつかない。何をするにしてもりゅうくんのことばかり考えてしまい、全てが中途半端になっている自覚は正直否めない。なのにそれを力にして柔道が強くなるなんて、にわかに信じがたい話だ。

「先ずは記憶の掘り起こしよ。あなたが竜生君と一緒の中学に行きたいと言い出したとき親としては複雑だったし、言っていないけれどお父上と意見のぶつかりあいもなった。それでも私の方が強かった現実を懇々と説明し、結果『大人を投げて一本取ることができたら認める』となった。そしてあなたは一年かけてこれを実現したの。これは覚えてる?」

「はい、鮮明に覚えています。当時の私にはオーバーワークなどと言う言葉は頭になく、自分よりも『何倍も大きく力も強く、体重も重い相手をどうしたら投げられるのか』を毎日考えながら過ごしていました。何度もベッドの中で泣きましたが、それは先が見えない苦しみとか稽古の辛さではなくて『もっと出来るはずなのに』という自分に対する歯痒さだったのを記憶しています」

「そうね。当時のあなたは練習量、気迫共に鬼気迫るものがあったわ。オーバーワークどころか無茶苦茶な稽古だったけれど、止めなかったのは目標が明確であったことと未熟で柔らかい体だからこそ大ケガはしないだろうと判断したから。そして掴み取った一本、あれは心技体揃ったとても美しいものだった。結果、転校という最大の目標を達成したのよね?」

「はい。技量のほどはわかりませんが、必死の中から絞り出したものであったと理解しています」

「もう一度原点に戻ります。そこまでして転校したいと一年間柔道に費やしたその本質は? 自分なりの言葉でいいから言ってごらんなさい」

「りゅうくんのそばに行きたかった、それだけです。もし拒絶されていたらなんて今考えるとゾッとしますが、当時の私にはそんなことこれぽっちも頭にありませんでした。顔が見たい声を聞きたい側に居たい、幼い頭ながらにこれだけです」

「そうね。恋心に子どもも大人も無いと私は思っているからこそ、その夢を叶えさせてあげたかった。そして当時から『女の恋心最強法』はもうスタートしていたのよ」

まだ自分の中に落とし込めていない……母上が何を言わんとしているのかが見えてこない。

「今度は結果論から逆算してみましょう。あの体格と年齢の女児が手加減無しの男性柔道家を投げ飛ばした、もし他の誰かが同じことを成し遂げたとしたらあなたはどう思い、何を感じる?」

「目の前で起こった出来事が夢なのではないかと最初に思うのではないか、そしてそんなことが現実に可能なのかと考えると思います」

「そうでしょうね、私も実際に目の前で見てそう思ったわ。でも現実となり、その裏付けとして全日本ジュニア選手権も優勝した。言い換えれば努力が正しい形で実を結んだのよ。目指すべき方向は沢山あり、どちらを向いていても構わない。あなたの優先目的は『大人の男性を投げ飛ばして一本取り、転校を実現させる』だった。確かにジュニアチャンピオンとして連覇がかかっていたけれど、そんなことを考えて鍛練していたわけではなく、それは結果として着いてきたもの。でもそれが竜生君からのお手紙にあったように彼の心に希望と喜び、そして柚子葉に対するステキな想いとして付随してきた。ここ最近あなたが腑抜けているのは彼にいつでも会える環境を手に入れ、一時的な上っ面の感情を満足させられた気になっているからよ」

もの凄く多い情報を一方的に投げつけられ、頭の中で処理が追い付かない。悔しい気持ちと悲しい気持ちがぐちゃぐちゃになって涙が出てきた。

「やっぱり母上は『りゅうくんが居るから弱くなった』と仰るのですか」

テーブルに手をついて娘の瞳を深く覗き込み、再び話し始める。

「柚子葉がそう思うのならばそうかもしれないわね。親子といえども人の価値観や考え方なんて簡単には変えられないし、それは傲慢というものだわ。一度深呼吸して現在の自分を俯瞰的に分析してごらんなさい、ネガティブな思考形態に自分から引きずり込まれているのがわかるから」

ギューっと握りしめていた手の力を抜いて深く深呼吸すると、母上が私の手をとても優しく包み込んだ。

「思考の方向性を変えましょう。柚子葉が十人抜き稽古中、最後に抑え込まれて諦めそうになった時に真っ先に駆け付けて声を掛けたのはだれ?」

「りゅうくんです」

「それを聞いてどんな気持ちになり、結果どうなった?」

「ビックリしたというのが最初です。でも同時に自分でも信じられないような力が爆発して勝ちました」

「うん、それで?」

「彼の元に駆け寄りたくて、抱きしめて欲しくて一生懸命歩きました」

「うん、そしたら?」

「初めて……抱っこしてくれて、恥ずかしかったけれど嬉しかったです」

「そう、それよ! じゃあ次。大会決勝で相手選手にポイント取られて残り時間わずかなあの時、竜星君は遠くから畳の上のあなたに向かって叫んだわ。覚えてる?」

「はい。心に直接響くような声で『諦めちゃだめだ』って聞こえました」

「うんうん、それで?」

「その声に応えたくて、脱力からの攻勢で勝ちました」

「そしたら?」

「すごく嬉しいお手紙をくれて……優勝とかメダルとかそんなものとは比較にならないくらい感動して『彼のお嫁さんになりたい』って思いました」

「それから?」

「まだ、言うのですか?」

「もちろん。女同士の恋バナよ、ほら続けて」

「フ、ファーストキスをりゅうくんに貰ってほしくて何度かそういう雰囲気を作ってみましたが応えてもらえず、今に至ります」

「先日上杉家にお邪魔した時に、彼が過呼吸で倒れていたのを処置したのでしょう? ビニール袋もない状態で」

「あ、あれは緊急処置であってそういうのとは違います!」

「ムードがあったかどうかはさて置き、彼の唇に触れて後悔してる?それとも『彼で良かった』って思ってる?」

「りゅうくんでよかったと思っています……母上、もう勘弁してください」

両手でアツアツになっている顔を覆い、恥ずかしくて火が出そうな娘に母上は容赦なく畳みかける。

「だーめ、本題はここからだもの。そのあとベッドまで運んでお布団かけて穏やかになった顔を見て、ファーストキスあげたんでしょ?」

「ヤダ……母上、見ていらしたのですか!」

「見てないわよ、玄関にいたもの。私が独身時代にボロボロになっているお父上の顔を見てしたことを話しているだけ。自分の娘だったら同じ気持ちになって同じことをするんじゃないかなって思って。幸せだったでしょう?」

「……はい」

「じゃあそんな竜星君を泣かせちゃだめよね?」

「どういうことですか?」

「柚子葉が初戦で負けちゃったとき。当然あなたも驚き悔しかったでしょうけれど、私が見ている限り一番悲しそうな顔をしていたのは竜星君だった。大好きでファーストキスを捧げた彼に、彼女として再びあんな悲しい顔をさせてしまってはダメでしょ?」

「そんな、りゅうくんが……もちろん、二度とそんな思いはさせたくありません」

「だったら自分の在り方はもうわかるわね。 誰かの為とか自分の為なんて自分の心にウソをついていちゃダメ! 竜星君に元気を与えて、彼が『自分のお嫁さんに柚子葉しか考えられない、結婚してください』とプロポーズされる素敵な女性でいなきゃダメでしょ?」

「はい、自分の歩むべき道が見えてきた気がします。母上のような、彼に選んでもらえるステキで強い女性になります!」

「はい、伝授おしまい。コハクが歩いている場所は柚子葉よりもずっと手前だから、同じように導いてあげなさい」

目の前のキリが晴れて大草原が姿を現したような清々しい気分。

りゅうくんのお嫁さんになる! それまでは誰にも負けない。

#創作大賞2024#漫画原作部門

重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。