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うえすぎくんの そういうところ Season.7 青春の内側編 『第93話 少女の涙』

第93話 少女の涙


沈黙、そして凍結。

流れ出し、噴火しかけていた活火山が麓から一瞬にして凍り付いた。

はるか昔に巨大隕石が落下して途轍もない地殻変動が起こり、恐竜などの生物が絶滅して永久凍土に覆われたと授業で習った状態はこんな感じだったのだろうかと想像できてしまうくらい、動きも言葉もその全てが凍り付いた。

私たちの視界に写る唯一無二の可動は、ポタポタと瞳から頬そして顎を伝って流れ落ちる少女の涙。それは凍てついた洞窟の僅かな突起から流れ湧く命の根源であるかのように温かく、発せられた言葉もピキピキと凍り付くそれとは全く異質な雫のようであり、果ては全てを溶かしていくであろう純水。

時間にして『どれくらいだったのか』なんてどうでもよくて、爆発しかけた彼の心を鎮め、猛り狂わんとする猛熱を柔らかな日だまりに変えてしまったコハクの涙にここに居る全員が救われた。

怒りに任せて掴み持ち上げた道着の胸元はゆっくりと元の位置に戻り、空っぽになった手には母なる海から吸い上げられた大地の恵みが大粒の雨となって、彼女が見上げる男子の目からポツポツと落ち始めた。

「うん、ごめん。コハクさんは大きくて強くて、オレ……何もできなかった」

その場に崩れ落ちた。成績優秀で身の丈も大きく女性生徒からのイケメンランキング堂々の第二位、寡黙で意とせず少し悪ぶった感じが乙女心を擽ってしまっているあの『香中たくみ』が、自分にガッカリされたくない。それだけに尽力した、たった一人の女の子を前にして泣いている。

誰に話しても『ウソウソ、マジアリエナイ』と信じて貰えないだろう現実を目の当たりにして、傍観していた私たちも涙が止まらなくなっていた。同じ女でありながら彼女が放った言葉の意とするところが全くわからなかったし、そもそも意中の男子にあんな悪態をつくなんて想像もできなかった。

同じ柔道家としてハンデがあろうがリハビリ中であろうが相手の自尊心を傷つけではいけない

これを忠実に遂行しただけで、本当は自分が最も大切にしたかったであろう『好きな男の子に嫌われたくない』を後回しにした結果、爆発して泣き喚きたい感情が表層的に裏返っただけ。

あまりに怖い思いをすると感情とは裏腹に笑ってしまうという、現代科学では説明がつかないあの現象が起こってしまった、それだけのこと。

女子として普通に生活がしたい……見様見真似から始まり、不器用ながらも愚直に努力してきた子がようやく女の子として異性に芽生えた恋心。これを必死に抑え込んでまで守ろうとした大切な人の自尊心なのに、当人から怒りの感情をぶつけられたら心が混乱して壊れてしまってもおかしくない。

「あたし、たくみんにガッカリされないように全力で頑張ったよ」

幸いにも彼女は自分の気持ちを素直に言葉にでき、彼はそれを汲み取ることができた。声を押し殺しながら自らを羽交い絞めするように胸の前で両腕を交差させ、道着を絞り掴みながら前屈み状態で畳に大粒の涙を溢す巨人にその全てを覆い包む母性が注がれる。

それは私がりゅうくんに対して行った、自らの胸に相手の頭を招き入れて抱きしめるという『女の子としての最も自然で豊かな母性表示』だ。

価値観は人によって異なると思うけれど、多くの女の子は第二次成長期に訪れる胸部の成長に対して何らかのコンプレックスを持つ。男性が思うところの『大きい小さい』ではなく、平坦な状態から膨らみが見られるようになることで芽生える異性からの視線恐怖というか、他人の目が常に自分の胸に向けられているのではないかという様な被害妄想。これが猫背や巻き肩になってしまう要因でもあり、異性を絶対的に近づけたくない領域でもある。

しかしながら自分でも抑えきれないほどの母性が働いたとき、普段は絶対に人を寄せ付けないそのパーソナルスペースに自ら招き入れて安心を与えたいと本能が訴える。キュンとした心の音と同時にぬいぐるみなどをギューっと抱きしめたくなるのは、自分の感情をコントロールする為の自然な行動なのかもしれない。

今まさにコハクがたくみ君の頭を抱き寄せて胸中で抱えている。穏やかで温かく『陽光降り注ぐお花畑の中にいるみたい』なんて幼稚な表現しか思い浮かばないけれど、こう感じているのは自分だけではないはず。

だってみんな優しく微笑んでいるんだもの。

「神聖な道場で……」

お叱りを受けるのならば甘んじて受けよう。

同じ女として、一緒に涙を流している彼をそのままにしておくことが、私にはできなかった。

「りゅうくん、おいで」

両手を広げて再び包み込んだ。

この行為が自分たち女子の自己満足だっていうことは分かっているけれど、理屈じゃないの。だってここに居る男子二人、まるで母親の腕の中で安心して眠る赤ちゃんのよう。私たちはといえば、満ち足りた気持ちでいっぱい。

しばらくして

「たくみん、寝ちゃった」

こちらを振り返り小声でニッコリ微笑んだ彼女は抱えていた頭を静かに自分の膝に移動させ、愛おしそうに撫でながら春風を纏っている妖精みたい。

大人が心配するようなことは何もなく、道場前の道路を元気よく拍子木を打ちながら

「火の用心!」

と歩く子ども達の声に、水族館ダブルデート計画は話し合われないままこの日は解散となった。

途中母上が静かに様子を見に来たけれど何も声を掛けられず、その後お叱りも無かったのでいろいろと汲んでくれたのだろうと理解し

(ありがとうございます)

後日、道場に掲げてある彼女の名札に向かって深く頭を下げた。

お母様方は何やら準備で大忙しな様子、父上は

「今日は天気も良いしペルセウス座流星群が見られるらしいから、望遠鏡を持って男二人で観に行こう」

二人で出かけてしまった。普段から男っ気は自分一人なので嬉しくなってしまう気持ちはわかるけれど、りゅうくんも目を輝かせていたので良しとしましょうか。コハクはもともと日曜日までお泊りする予定だったのでシャワー後に楽な恰好に着替え、お部屋で二人とも何となく床に座ってクッションを抱きしめる。

「き、きょうのコハクは強かったね」

(違う、そんなことを聞きたいんじゃない)

「うん。必死だったから」

しばしの沈黙。

「あのね……」
「あのさ……」

タイミング丸被りにお互い見つめ合って大笑い。どこかずっと張りつめていた緊張の糸がようやく解れた感じがした。

「仲直りさせようって思って勢いで兄ちゃん呼び出しちゃったけれど、なんかとんでもない方向に行っちゃったね」

「ねー、びっくりだね。思いも掛けずりゅうくんから嬉しい言葉を貰えて、本当に驚いちゃった。後ろで何やらたくみ君とコソコソ話していたみたいだけれど、どこまで計算していたの?」

「計算なんてできると思う? 握手させるまでは何となく考えていたけれど、その後のことなんて何も考えていなかったし、今も記憶がいまいちトビトビだもん。あたし、何を話したっけ?」

「ちょっと待って、それ本気で言ってるの? まったくコハクったら信じられない。私の知らないところで『たくみ君とストーリーを作ってたんじゃないか』っていうくらい、自然な流れでスラスラと話していたじゃない?」

「とんでもない! あたしがユヅハの居ない所でたくみんと二人きりでお話なんてできると思う? 」

急に背筋を伸ばして前のめりになり、照れ隠しの正当化。

「窓から助けに来てくれた時、彼と二人きりじゃなかったっけ?」

「あ、あれはさ! お互いに変な危機感持ってたからそれどころじゃなかったし……っていうか、あの時に『少しなら覗いてもいいよ』って煽ったのに上を向かなかったとか、その後の差し入れとか不器用なのに素直なところとか……」

「わかったわかった。どんどん好きになっちゃったのよね?」

「うん」

#創作大賞2024#漫画原作部門






重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。