うえすぎくんの そういうところ Season.7 青春の内側編 『第86話 嬉しくて涙が出ちゃった』
第86話 嬉しくて涙が出ちゃった
「クチュン!」
ここのところ結構よく聞く、コハクちゃんのかわいらしいクシャミ。
「なんだか最近クシャミしているけれど、大丈夫?」
「うーん、ユヅハのところで貰っちゃったかも」
「お熱は?」
「計ってないからわかんない、クチュン」
前髪を持ち上げておでこ同士くっつけると、ほんのり温かい。
「お熱あると思うよ? 風邪薬飲んで学校お休みしたら?」
「大丈夫だよ。あたしが休んだらユヅハが『自分のせいで……』なんて言い出すのは目に見えてるし、女子は体温が高めだから平気なのさ」
朝食のパンをかじりながらニコニコ強がっていたけれど、授業中何度か振り向くとやっぱり辛そうだ。お弁当も半分くらい残していたし、六時間目まで頑張れる体力があるのかどうかも不安になってくる。
それでも授業は全部受けての放課後。
「僕は部活に行くけれど、コハクちゃんは絶対家に帰った方がいいよ」
「大丈夫だって、クチュン! じゃあ柔道場に行ってくるー」
見た目フラフラする様子もなく風のように走っていったけれども、本当に大丈夫なんだろうかって心配する時ほどやっぱり大丈夫ではないもので。柚子葉ちゃんがお父上に連絡し、車で迎えに来てもらい姫嶋家でお世話になっていると部活から帰って母さんから聞いた。
「姫嶋さんから電話があって『コハクの熱が高いから暫らくお預かりします、先日柚子葉がお世話になったのでお気になさらず』って。毎年この時期は竜星も扁桃腺腫らして高熱出すから、風邪が流行っているのかもね。母さん昼間働いているから預かってもらえると助かるのだけれど、そこまで姫嶋さんに甘えてしまっていいのかしらってちょっと気になって」
キッチンに立ってトントンと包丁でネギを刻みながら、後ろで座っている息子に話をする。コハクちゃんがこの家に来てくれるまでは当たり前にあった光景だったし、このあと洗面台で手を洗ってから手伝いをするのも日常の一コマだった。僕自身キッチンに立つのは嫌いじゃないし、母さんと一緒に何かをすることで日頃なかなかできない話もできるから割と好きな時間ではあるのだけれど、女の子が隣にいた方がなんだか母さんがイキイキして見えたのでここのところ遠慮していた。
「あら、お手伝いしてくれるの?」
「いつもコハクちゃんが『あたしに任せといて』って言ってくれるからちょっと遠慮してたんだよ。彼女が来てくれるまでは毎日こうしてお話してたじゃない?」
「そうだったわね。この間の土日と違って、今回は食材の差し入れは必要無さそうね。じゃあお味噌汁おねがい」
「コハクちゃんが来てくれてから、母さん明るくなったよね。毎日すごくイキイキしているのが伝わってくるよ」
「孝行息子もありがたいけれど、やっぱり女の子が居てくれると華やかになるし、細かい気遣いもしてくれるからありがたいわ。竜星もそう感じるところってない?」
「あるある。最初はくっつかれたりした時にどうしようってなったけれど、一番の変化はコハクちゃんのおかげで学校の女の子たちと話せるようになったことかな。男子と女子ってどうしても互いに壁みたいなものを作ってしまいがちなのだけれど、彼女が間に入ってくれることで他の男子とはちょっと異質な感じで仲良くしてもらえるのがとても嬉しいかな。なんて言うんだろう、安心してもらえているって感じ?」
「そうね。この年頃の女の子は中学の時よりも『女性』へと成長していくから、今まで気にしなかった『男の子の目線が自分の胸に来ているんじゃないか』なんてことを気にしちゃったりして距離を置きたがるのよね。でも『コハクと一緒に住んでいるお兄ちゃんだからイヤらしい目で見ない』という安心感はあると思うわ」
「そうだね。部活も前までは男子部員としてゴリゴリやっていたんだけれど、なんだか限界感じちゃって。今は女子部員のコーチみたいなことをやらせてもらっているんだけれど、これはこれで運動になるし楽しいんだ。勉強にしても部活にしても誰かに頼られるっていうのは悪い気分にはならないね」
母さんと二人、毎日こうして話をしていた情景を思い出しながら夕飯を食べた。
「ユヅハー。この間、部活の時に酷いこと言ってごめん。クチュン」
面倒を診てもらっていた立場から看病する側へと変わり、アイスマクラと濡れタオルに頭を挟まれているコハクのパジャマを脱がして体を拭いている。
「いいのよ。窓から侵入して助けてもらえるなんて経験、そうそう出来るものじゃないわ。それにあの時だって皆に助けてもらって今があるのだから、今度は私が恩返しする番。でも、この間みたいなイジワル言われないようにこの姿を写真撮っておこうかしら」
「だから、ゴメンってー。勘弁してくらはい。クチュン」
「冗談、そんなことしないわよ。お弁当残してあったけれど、どんなものだったら食べられそうな感じ?」
「食欲は全然なくて、お腹の虫も静かにしてる」
「じゃあ、この間の私みたいにスポーツドリンク多めに飲んで、先ずは電解質を整えなきゃね」
「うん。ちょっと聞いてもいい?」
「いいよ、どうしたの?」
「この間ユヅハが弱ってる時にさ、兄ちゃんが顔出したら表情が変わったの。女の子から女性になったみたいな感じかな……嬉しかった?」
「うん、嬉しかった。コハクが私を見つけてずっと側に居てくれたり、たくみ君がいろいろ差し入れしてくれたりしたのも嬉しかったけれど、りゅうくんが来てくれた時はなぜかわからないけれど、嬉しくて涙が出ちゃった」
「それ、完璧に恋じゃん」
「そうかもね、自分ではよくわかってない部分が多いけれど。でも『この人と一生添い遂げたい』って素直に思えるよ」
「それだけ想ってて、なんで『そうかもね』なの? クチュン」
「うーん。彼が同じように私のことを想ってくれていたら『恋しているんだな』って実感できると思うんだけど、人を好きになった経験が無いからよくわかっていないのかも」
「それはもう恋以外のなにものでもないし、兄ちゃんはユヅハにメロメロだよ? あたしには見せない顔を見せるところなんて、妹とはいえちょっとしたジェラシーだよ……ユヅハって兄ちゃんが初恋の人なの?」
「あはは、そうだったら嬉しいな。小さい頃は『父上のお嫁さんになる』なんて言ってたらしいけど、それが無くなってからはりゅうくんが初恋だね。だって彼のそばに居たくて中学の途中からこの学校に転校させてもらったんだもん」
「ある意味すごいね。この学校って中高一貫じゃん? 高校からならあたしみたいにスポーツ特待生ってわかるけれど、どうやって入ったの?」
「中学はやっぱり『柔道日本一』っていうのが大きかったかな。割とすんなり了承してもらえたみたいなんだけれど、そこまで子どものワガママを通してもらおうって思うと、一番の障壁はやっぱり両親よね。学費も格段に違ってくるし」
「そう、そこなんだよ知りたいのは。学校はいいとして、あのお父上とお母上がどうして納得してくれたのかってところが、ずーっと気になってたんだ。クチュン」
「タオル交換するわね。結論から言うと『大人を投げて一本取れるようになったら転校を許す』って言われて、そこから一年掛ったけれど約束を果たせたから了承してもらえたの。あとはりゅうくんの後押しが大きかったかな」
「兄ちゃんの後押し? あの人、そんな特殊なパワー持ってるの?」
「中学の時は家の道場で子ども達に柔道を教えるアルバイトで学校に行かせてもらえていたのだけれど、高校生になって部活をやり始めたら必然的にアルバイトができなくなる。そうなったら『学費が払えなくなって、りゅうくんと離れてしまうかもしれない』ってこの部屋で彼に打ち明けたら、両親に『自分がバドミントン辞めてアルバイトするから認めてあげてください』って直談判してくれたの。結果りゅうくんは学業成績、私はスポーツ特待生になってお互いに学費免除になったんだけどね」
「メチャメチャいい話じゃん! 涙が止まらなくなってきた。うちの兄ちゃん、すごい人なんだね」
感動しちゃって涙も鼻もズビズビなコハクでございます……
重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。