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茶屋店の髪結い

バスが普及するまで人々は、歩いて移動していた頃の想い出   歩いて移動して夜間は、野犬などがいたから茶屋店は、いわば今で言うならバス停の様なもので一晩寝てから、また移動する   茶屋の片隅に髪結いをしていた叔母のこと  角隠し花嫁の桂も作っていた。髷も結う人もいたからけっこう利用する方々がいました。

けど姑がとても厳しい人だったから寝る時間がほんどない。おっか手口で魚を焼きながら夜を明かすことが毎日でしたね❗️布団で眠っているのを見たのはいつ。と言うくらいです。その姑は、部屋数が少ないのに一番広い部屋を1人で使っているんです。叔母のすること成すことクレームばかり気にいらないと長い長刀を器用に使って叔母をなじるんです。毎日です‼️いつものことだから叔母は、何も逆らうことなくおとなしくて。叔母の言うには、やることが多いから、時間が勿体ない!小言聞いている時間が早く終わる。嫌な人と顔を付き合わせている時間も減るだろう🎵お茶屋だからお湯を切らさないことが大事  お湯に浸かりたい客がいたりするから、叔父も学校の教諭で剣道、習字を教えていたので!朝練があるから、お風呂は、欠かせません。薪割りも叔父がやってくれるのでそれだけは助かりました。感謝していました。姑の嫌がらせも我慢できたのも手助けがあったからだと思います。叔母がお風呂に入っている時に限って姑が用事を沢山作ってまで邪魔をするから、大変でした。シツコイから.!逆らわず返事はきちんと聞こえるようにしてから、お風呂につかる   私もいっしょに‼️とばっちりもけっこうありました。だけど叔父が私と叔母がお風呂から、上がるまで姑の相手を‼️ほんとに気遣いがある優しい方でした。すこぶる機嫌が悪い時は、どうにもなりませんでした。髪結いの客にも危害がおよびそうになった時‥もありました。その日が離れ離れになった原因です。叔父も負傷して、叔母は、両手を❗️髪結いなのに‼️腕が動かなくなるほど打つすえられたのです。気性が荒いだけでなく自己中心もいいところ。アッという間に真っ赤に腫れあがって❗️病院の方へいくひとに頼んでリヤカーで   姑が寝静まってから出ることに‼️叔母の腕は、どんどん腫れあがって❗️ぐったりしていたので、叔父は後から、出ることになったから、どうなったのかわかりません。きづの手当ては、したのですが深いきづでした。散々な出来事でした。二人のその後がどうなったのか知る手だてがありません。苦労ばかりで大変な叔母叔父の人生を思うと胸が痛みます。幼かった私には、何もできなかった‼️大人にかなうはずがなかったから。今なら何かできるだろうか。とか   考えてしまう日々があります‼️無力という言葉が頭の中に埋め込まれています

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