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血を巡らせることは、まるで果てしない

今日はさ、朝やっている瞑想の中でちょっとした気づきがあってだね、ダラっと書いてみようと思うんだ。


瞑想について過去に書いたような気がするから何となく貼り付ける、そういった紐付け的なこともやってみる。こねくてぃんぐどーっつ。

最近はもっぱら『54321法』ってのが朝の習慣で定番化していて、ざっくり言うと五感に働き掛けて現在に集中する感じ。手順はというと

1.目に入る5つのものを見つける。(視覚)
テーブルの模様とか、壁のシミとか、指紋など、普段わざわざ注視しないようなものを認識するのが良さげ。

2.肌で感じるもの4つ探る。(触覚)
服が肌に触れる感触や、空気のまとわりつき具合、テーブルの表面とか、これも普段あまり意識しないものを見つけ出すと良さげ。

3.聞こえるものを3つ分別(聴覚)
これはエアコンの動作音とか風がものを揺らす音、ホワイトノイズなんかも良い。

4.においを2つ嗅ぎ分ける(嗅覚)
これがなかなか難しいんだけど紙とか壁とか服とか能動的に嗅ぎにいけばまあクリアできる。アロマオイルとか。

5.飲み物やガムなど1つの味に集中(味覚)
締めくくりをイメージしながら。

これをやった後に日記的なの書くんだけどこの日記自体も特に内容もなく思考を排水する作業で、その後空っぽになった頭で雑な筋トレをこなして心拍数を上げると1日のバイブスも上がる気がしているんだな。一定時間内に収まって効果も今のとこ良さげでオススメ。大体30分くらいで収まる。

少し話飛ばすけど『大自然に触れた時の幸福』ってあるでしょ?海とか森とか空とか、まあ何でもいいんだけど、なかなか目の当たりにすることのない規模感に触れるとなんかいろんな悩みとかどうでも良くなったり、なんかワクワクしちゃったりとか。ボクはあの感覚を『世界への接続』って呼んでるのね。そんで、この毎朝行っている脳みそを空っぽにする作業も言ってみれば小規模な『世界への接続』だと思ってるの。自我みたいなものの外に集中するイメージ。自分自身を世界の中で働き蟻と等価値にする感覚。この先がきっと悟り的なものなんだろうなと。いやまったくもって鼻くそレベルなんだけどね。

そんでここから言いたいことはまともに言葉にできる気がしないんだけど、接続した先に自分の思考を巡らせて、血液のように循環させるのが次のステージなような気がしている。何言ってるかわからんだろ。俺もわからん。話を戻してみよう。

今日の気づきについてだ。いつも通りの『54321法』の中の4の段階、触覚を探っていた時にね、傾けながら座っていた椅子の足がすべったんだ。習慣に入る前に床掃除をしていて、いつもは掃除機だけで済ますところを今日はウタマロ噴射してクイックルワイパーで入念にみがいていた床だ。

そんで、椅子の足を伝わって脳に直接『フローリングの滑らかさ』が触覚として伝わったんだ。いや、かなりあたり前のことなんだけどさ、これってすごくないか???

直せつ触れていないフローリングのなめらかさが触覚からの情報として脳が処理してるの、やばくね??え、やばくない???

ここである事を思い出したんだけどさ、人間は道具を通して感覚を延長できるみたいな話があって、例えば車の運転でさ、少し慣れれば『車体感覚』を身に付けることができるじゃない。これが単純な空間把握能力的な話とは別に、手足のように操れるようになる感覚、多分運転が好きな人はわかるんじゃないかな。
それから何か卓越した技術を持った人って、扱う道具に血が巡ってるような話ってよくあると思うんだ。
それと似たような感じで、大袈裟に言うと俺は今まで何万回と椅子に座ってきてたもんで、椅子の足先まで血が巡っていて、床の滑らかさを感知できたと言えはしないだろうか。

そんで雑にまとめて直感的な話をするけども、今回血が巡っていたのは『道具』だったけど、多分これ、物に限った話じゃないんじゃないかと思うんだよね。思考とか概念とか目に見えない物にもきっと共通していて、さらに大袈裟に言うと血をめぐらせるためだけに生きてるんじゃねえかとか、ね。知らんけど。

🤲