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令和五年五月一日 麻賀多神社(まかたじんじゃ) 千葉県成田市


GW中日の月曜日、こちらの社務所が一日と十五日しか開かれず、この日以外は御朱印をいただけないと知り、雨を心配しながらも休みをとり訪れた。

先ず神社入り口、鳥居を中心に二本の杉をはじめ取り巻く「要素」がキュッと纏まっている感じがした。


次に目を引いたのが、本来は神額のある位置に掲げられた金色に輝く菊の紋。このパターンは初めてかも知れない。


手水舎の龍。コロナ以前のように水盤に水を湛え、柄杓も置かれる神社が増えてきたが、こちらはまだのようだ。もう少しの辛抱だろう。



「祓戸(はらえど)」とある。大祓詞の最後に登場し、連携して「罪や穢を消し去る」四柱の御祭神、「瀬織津姫(せおりつひめ)」、「気吹戸主(いぶきどぬし)」、「速開都姫(はやあきつひめ)」、「速佐須良姫(はやさすらひめ)」に迎えられる。




やっと御日様が顔を見せ始めた。

麻賀多神社は、「今から千七百年余前、印旛国造(いんばのくにのみやつこ/当時の大和朝廷の地方長官)であった伊都許利命(イツコリノミコト)が、現在の地に麻賀多神社大神として崇め、以降近隣の麻賀多十八社の本宮として地元の鎮守様として崇敬されている。」と公式サイトにある。現在の拝殿は平成三十年に新しくなった。本殿は、江戸時代中期初頭の寛永十三年(1673)に建築されたものらしい。


見出し画像をご覧いただくと「六芒星」のような飾りが見えるがこれは麻賀多神社の神紋で「麻の葉」を象ったものである。社名にも用いられている「麻」だが昔からこの辺り一体が麻の産地であるらしい。また神事において麻は、「穢れを祓う」力を持つものとして大切に扱われてきたようだ。乳児の産着にも「魔除け」として麻の葉模様が使われてきた。


足の下に「子供」
足の下に「球」


本殿裏からもお参りをさせてもらった。


社殿の後ろに鎮座する摂社「天日津久(あめのひつく)神社」。神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」という高級神霊からの神示が降りた場所。その神示を自動書記により記述したものが「日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)」と呼ばれる書物である。そこに記されるのは日本が見舞われる「大艱難」とその先にある「一厘の希望」か?



小さな祠の末社群と「大杉」と彫られた石碑。この奥には、御神木である樹齢千三百有余年を誇る東日本一の大杉がある。




龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 53

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