『龍と私と彼女の話 その11』

本殿の裏に回ると
私たちは道の無い山を登り始めた。
落ち葉に足を取られて
滑って転びそうになりながらも
なんとか登っている。



20分ほど登っただろうか。
結構上に来たと思ったけど
振り返ると最初の地点から
そんなに離れてはいない。




「ふぅ~、ねぇ、まだ登るのかな」



私は日頃の運動不足が祟ってか
息を切らしながら、沙織に聞いた。




沙織は山の上を見ながら

「うーん。たぶんもうすぐだと思う。
ほらあそこ。
ちょっとだけ平らになってる場所があるでしょ。
あれじゃないかな。」

「よっし!もう一踏ん張りだね。」

でもなかなかに足がガクガクしてきて
言うことを聞いてくれない。
いくら荷物を持って登ってるとはいえ
帰ったら運動始めないとヤバイなこれ・・・。




ほどなくして沙織が言っていた地点にたどり着いた。
山の斜面に不自然なほど平らにならされている場所がある。
そしてその奥
下からは全く見えない場所に
小さな祠が置かれていた。




沙織と私は目で頷いた。




あれだ。



たぶん、もののべの大神さまに聞いていたからかも知れないが
なんとも言えない不氣味な氣配に満ちている。
ちょっと怖い・・・。
少しでも氣を緩めたら心が揺らいでしまいそうだ。



私はひとつ大きく深呼吸をして
丹田に力を入れた。



以前、沙織から
不安や恐怖に支配されそうになったら
こうした方がいいよ。と教えてもらったのだ。



確かにそれは効果があって
さっきまでの言いしれぬ不氣味な不安感は消えていた。



沙織はリュックの中からシートを広げて
祠の前に祈りの場所をしつらえた。
その間、沙織はひと言も発しなかった。



そうしなければいけない。
というのではない。
祈り場を整える。
というただその一点に集中していたのだ。



重苦しいまでの雰囲氣に
私も無言で準備を進める。




一通り、お供えの準備がそろうと
沙織は私に塗香を手渡した。


九頭龍神社で着けたものと同じ・・・じゃない。

もっとなんていうかスパイシーな香り。

カレーかな?それも本格的なインドカレーのような匂いがする。



塗り方もあのときよりも丁寧に塗っていくようだ。



まず塗香を手のひらに出して
それをこする。
その手で、自分の盆のくぼ、頭頂部
腰、胸、腹に付けて行くのだ。





「自分のオーラにも塗るようにつけるのよ。
この塗香がプロテクトの役目
つまり私たちが着る鎧なんだというイメージをしてね。」



私はこくりと頷いて
丁寧に塗りまくった。
鎧・・・鎧・・・
これが私の身を護ってくれるんだ。




次に沙織は塩を舐めるように言った。
ご祈祷を受けた加護のある塩で
これも身を護るためのもの。



前宮の横の川から汲んできたお水を
紙コップに移して
私たちはそれも飲んだ。


ああ、この水。
そういえば諏訪の大神さまが
この水を汲んでいくように言ってくれたわけが
ここで飲んでみてよくわかった。

身体のプロテクト。

完全体になりました!



「これで準備は出来たわ。
じゃあ、いくわよ!」



沙織は私の目をみて力強く言った。



「うん、分かった。」


沙織がシートの上に座る。
私はその横に座る。

沙織は手に鈴を持っていた。
見たこともないような不思議な形をした鈴は
奈良のT神社で購入したものだと言う。

前に聞いた時
めっちゃ高かった!
って言ってたっけ。
まあ、私には当分必要ないだろうな。



沙織は眼を閉じ合掌する。
私も同じように眼を閉じて合掌した。



沙織の祝詞が始まる。
今回は大祓祝詞のあとに
”御霊鎮魂歌”や、数種類の祝詞を奏上する。




「アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
天地に来揺らかすはさ揺らかす
神わかも神こそは来ね聞こう来揺らならは・・・」


祝詞に合わせて鈴の音がシャランと鳴る。







そのとたん
今まで感じたことのないような
悪意が祠の方からドッと流れ込んできた。



私は思わず目を開けて
辺りを見回す。



な・・・に、この氣配・・・。



沙織も感じているはずだけど
祝詞は止めず、鈴の音も止めない。







祝詞が進むにつれて
その明確な悪意はどんどん大きくなっていった。



怖い!!



自分意思とは関係なく
身体がガクガクと震えだした。
と、止まらない!!




私は自分のことで精一杯で
いったい何が起きているのか
まったく考える余裕もなくなっていた。




沙織をみるとダラダラと汗を流しながら
そして同じように身体も震わせている。
それでも祝詞と鈴の音は止めることはない。




この悪意は封印された龍から発せられるものだ。
そう理解は出来たけど
ものすごい圧に身体ごと押しつぶされそうになる。




これが・・・・龍の無念か。
長い間、存在を忘れ去られた怨念が
これほどまでに強いものなのかと
今更ながら心に重くのしかかってくる。




氣が付いたら次の祝詞に入っていた。
死者をも蘇らせると言われる
最強の祝詞
「十種神寶祓詞」



ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や
ここのたりやと唱えつつ
布瑠部、由良由良と、布瑠部



身体の震えは
さっきと比べものにならないくらい
ガクガク、ブルブルと震えて
私はあまりの恐怖に
叫び出したい氣持ちを
かろうじて押さえていた。



沙織も必死で頑張っているんだ!
私がここでくじけたらいけない!



私たちの周りをどす黒い悪意が覆い
濃厚な何かの氣配に満ち満ちている。



これが龍の憎悪なのか。
その深く恐ろしい氣に恐怖が一氣に押し寄せてくる。




でも・・・負けない!私は光!
私は私の使命を果たすために来たんだ!
あなたの無念を
私が祓います!!!



私はギュウ・・・・と強く手を握りしめた。



突然!
私たちの後ろから
ものすごい突風が吹いてきた。
私たちの周りを覆う悪意のエネルギーを
その風が追い払ってくれている。



思わず振り返ると
そこには大きな天狗がいた!


大天狗は持っている団扇で
その悪意の氣を私たちから護るように
祓っていてくれるのだ!



心強い応援がいる。
きっと、もののべの大神さまが
遣わしてくださったんだろう。
手助けとは大天狗のことだったに違いない。
いつの間にか身体の震えも止まっていた。




シャラン・・・・・



最後の鈴が鳴り
祝詞が終わった。
沙織は肩で息をしながら
塗香を舐めた。
私もそれにならって同じように舐めた。




「琴音!剣を出して!」



私は沙織の指示にしたがって
腕から剣を取り出した。



「朱金(あかがね)!」
『承知した』



私は朱金を握りしめる。
剣身は赤々と光輝き
私の意思とひとつになった。



「いまここに龍の封印を解く!」



地面に朱金の剣を突き立てた!



ドン!!!!



まるで地響きのような音が辺りを包む。
地面が剣を刺したことによって
山が割れたんじゃないかと錯覚したくらいだ。



すると、大天狗の団扇に祠まで戻された悪意の氣配の中に
ぼんやりと細い糸のようなものが視えた。



それが龍だと氣付くのに
それほど時間は掛からなかった。




「私たちは、あなたの封印を解くために
諏訪の大神様、諏訪湖の龍神様、もののべの大神様から遣わされたものたちです。
どうぞ氣をお鎮めください。」


シャラン・・・・
沙織は鈴を鳴らした。
それに呼応して
剣が光る。




その細い糸のような龍が
地の底から吠えるような声を出した。



『人間・・・人間・・・
私を勝手に封じ込めて
また勝手にそれを解くのか。
人間よ、己の身勝手を
私に押しつけるとは
この無念をどうお前たちに晴らそうか。』



姿は糸のように細くなっていても
その氣は溜まりに溜まった無念さでふくれあがり
息をするのもしんどいくらい
激しい怒りに満ちている。
私たちの周りからは離れたとはいえ
とんでもないエネルギーだ。
大天狗がいなければ
きっと耐えることなど出来なかっただろう。



「お怒りは重々承知しております。
しかしこれは私たちのみならず
関東の大神、関東の龍神、この地の大神、龍神の
意思による願いなのです。
あなたを助けよという」



『私の怒りが分かるだと?
私の無念さが分かると言うのか。
ならなぜ今まであれらは私を放置した!
もう時すらも分からなくなるほど
私は長い間ここにとどまらせられたのだ。
自由に動くことも
自由に意思を働かせることも
なにひとつなく
私の存在をすっかり忘れ去られた。
その無念の強さが
本当に分かるというのか!』




真っ黒にふくれあがった悪意は
さらに大きくなり
隙さえあれば私たちを飲み込もうとしている。



まずい、これに負けたら
龍を助けるどころじゃない。
下手をしたら
私たちの命までもが危険になってくる!




「これを!」




沙織はいつの間に持っていたのか
手のひらにひとつの土器の欠片を乗せて
それを龍に向って差し出した。



「これをご覧ください。
私たち人間の勝手で、あなたを永劫苦しめることになったことは
本当に申し訳ないと思っています。
でもそれは一部の人間なのです。
私たち人間の中には
今も、あなたを必要としているものが
たくさん、たくさん、いるのです。
信じてください!」




その土器の欠片は
この山の麓、本殿の中にある石碑の周りに
埋められていたものだった。
掃除の時にその一部が出土していて
「必要かも」
と沙織が持ってきたもの。

そうか、これのために・・・。



「この土器はどういうものか
あなたにはお分かりですね?
あなたを大切にお祀りしていた時代の人間が
あなたのために作ったものです。
時にはこの中に
清涼なお水が入れられていたでしょう。
時にはお酒や、お米、作物が入っていたでしょう。
その土器は、今もこの下の本殿にあるのです。


なぜ、どのような目的で
あなたが封印されてしまったのか。
それは今では調べる手段もありません。
推測でしかありませんが
おそらく人間の欲が絡んで
あなたが村人全員に豊かさを与えるのが
都合が悪かったのかも知れません。
でも、そういう欲に駆られた人間たちが全てではありません。


これは割れた欠片になっていますが・・・
でもあなたには見覚えがあるものだと思います。」



龍はじっと沙織を見つめ
しかし、濃厚な悪意はそのまま
双方身動きが取れずにいた。



『私を思う人間が
まだこの時代にいると言うのか』


「正直にいうと、この土器を作った人たちは
もう生きてはいません。
でも意思は生きています。
あなたを慕い、あなたを敬い
あなたと共にある記憶。
少ないながらも、まだ持ち続けている人はいます。」



龍はじっとその土器を見つめている。



やがて・・・・



『ああ、思い出した。思い出したぞ。
その器を作ったものたちと
夜通し祭をやったものだった。
大人も子供も、老いも若きも
村中の人間が集まって
私と共に祝いの祭をしていたのだ』




『おお・・・そうだ。
私は水の神の遣いだった。
この地へやって来たのも
諏訪湖の龍神から呼ばれたのだ。
私はそれまで山を自由に駆け回る龍だった。
だが諏訪湖の龍神から
人間のために働くように言われて
それを楽しみに住み着いたのだ。

なんでそれを忘れていたのか。

人の寿命は短い、それも分かっている。
私は私と親しい人間の最後を
何度も見送ったのだ。
だがそれも理の通り。
自然の輪廻。

ああ、その中に・・・
龍になったものもいた。

龍となって私と同じように
人間のために働こうとしているものがいたのだ。

そうだ。
私はそのものたちの手本になると
約束していた・・・。』




いつの間にか
どす黒い悪意の氣は消え去り
大天狗の氣配もなくなっていた。

大天狗さま。本当にありがとうございます。










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