『脳味噌はスマホなのではないか』

ふと思った。脳味噌はスマホなのではないか。

スマホはインターネットを通じ、世界中のさまざまなデータにアクセスすることで情報を得られる。個々の端末に記録されているものはごくわずかだ。パソコンやAIも同じ。

スピリチュアル的に考えれば、霊界にはすべての生物のあらゆる記憶が存在している。脳味噌は、必要な時にそこにアクセスしているのではないだろうか。脳味噌の性能によってアクセスできることは限られる。

私は1997年に書いた小説『こころの散歩道』の中でこんな表現をした。

「ほほほ、三次元での脳味噌なんて所詮は道具なのよ」
「道具?」
「そうよ。あなたは会社でコンピュータを使っていたでしょう」
「ああ、少しはな」
「いくらコンピュータを扱うのがうまい人でも、コンピュータの性能によってやれることは限られるわよね」
「そりゃ、そうだな」
「脳味噌だって同じよ。脳味噌の性能によって、誰が使おうと、やれることには限界ができてしまうってこと」
「三次元での頭のいい悪いなんて、持ってるコンピュータの性能の良し悪しってわけだな」
「勿論、いい脳味噌を持って生まれても使わなけりゃだめだけどね。三次元で人より頭がいいなんていうのは、その程度のことだってことよ」

※『こころの散歩道』はKindleで99円で販売しています。
こちらでも読めます。
https://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/kokoronosanpomichi.html

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