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心ない人たち

東京オリンピック・パラリンピック競技大会が延期になってから、ホストタウンに関わる人たちは、延期になったおかげで交流の機会も増えると前向きに捉え、様々な工夫を凝らして交流事業を継続してきました。
ホストタウン事業はオリパラとしては、今回が世界初の試みです。


各ホストタウンの人たちが工夫して「おもてなし」を考え、子供から高齢者まで協力しながら実行していく姿は感動的でした。
実際に、僕も来日して「おもてなし」を受ける外国選手団のインタビューを相当数行いましたが、みなさん口を揃えて素晴らしいと言ってくれました。
普通は、宿舎と会場を往復するだけで、開催国の地域の人たちとの交流など考えたこともなかったという話が多かったです。
そして、開催国に心の底から応援してくれる人たちがいるという事実がどれだけ励みになるかということも話してくれました。

南相馬市は復興ありがとうホストタウン


僕も昨年は、南相馬市の原町第二中学校の生徒たちと一緒に歌を作るプロジェクトに関わらさせてもらいました。
僕がケニアで砂漠の緑化事業を行っていた時に作った「同じ空の下、同じ星の上」という歌が、いつの間にかホストタウンのテーマソングのようになってしまったのですが、その歌の歌詞を替え歌にして、大会に参加する世界のアスリートたちに届けようということになったのです。
I年生から3年生まで有志を募り、このプロジェクトはスタートしました。
僕は、彼らにこの歌ができた由来を語り、彼らが作詞をするためのアドバイスをするという役割で参加しました。
コロナのせいで、対面のアドバイスが叶わず、数回に渡り、リモートで講座を行わざるを得なかったのですが、出来てきた彼らの歌詞を見て涙が出ました。
ご存知の通り、南相馬市は東日本大震災直後、非常に困難な状況においこまれ苦しい思いをしたところです。
彼らは、3歳とか5歳くらいの時に被災したことになります。
怖かったと思います。
そしてその後も、心ない人間たちから風評被害を受けることになったのです。
歯を食いしばって耐えてきた人たちの想いは、復興支援メディア隊で取材をしてきたので痛いほど分かります。
彼らは、みんなでアイデアを出し合い、学年ごとに歌詞を作っていきました。
その歌詞を見て僕は涙を止めることができなかった。
先生たちが、何か変えるべきことはないかと僕に尋ねるのですが、一文字たりとも変える必要はないと答えました。

大人の忖度は徹底的に排除する

子供たちが自ら考えて作ってきたものに大人がどうのこういう筋合いなどないのです。
これがわからないと、大人と子供の間にできてしまった溝を埋めることなどできません。それができずにどうサスティナブルな社会をつくるというのでしょう。
全部受け入れて初めて次のステップに進めるのです。
それが大人の度量なのです。
話がずれました。

南相馬の子供たちの思いを知る


「見失った夢に涙流し下を向いてた でも諦めず今立ち上がるんだ」
「国をこえて今共にのりこえてゆける 駆け巡るよ、この想い」
「諦めない 仲間(とも)と道つくり進みだす 前を向いて歩んで行こう」


本当に頑張ってきたのです。
オリンピック・パラリンピックの大会の後に、南相馬市に来てもらって、自分たちの復興の姿を見てもらいたかったのです。
だから彼らは、オリンピック・パラリンピックを心の底から待ち望んでいたのです。
それが、テレビをつければオリパラは悪の根源のように、ののしられつづけている。自分たちが謂れのない風評に耐えなければならなかった日々を嫌でも思い起こしますよ。
東京オリンピック・パラリンピックに関しては「然るべき能力」を持った人たちがきちんと検証する必要はあると考えます。その全体像を把握し、その後の様々な影響を検証するには50年くらいはかける必要があるでしょう。
でも、それはそれ、これはこれという態度がどうしてとれないのでしょうかね?
自分の思い込みで、心ない中傷をしていまっていることもあるということは、自分事こととして常に心に留めるべきことだと思います。
今年は、子供たちの作った「あの歌詞」を録音し、映像にするというプロジェクトも実現できました。


動画を見ていただくと、世界の人たちとホストタウンに人たちのつながりの深さを知る事が出来ると思います。
とにかく交流を続けること。
これが今後のホストタウンに課せられた使命だと思います。
僕も委員の任期が終わっても、できるだけ協力していきたいと思います。

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