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断章【00021】~【00025】

【00021】

何回でも言おう。
現代アートは無を、究極の無を目指すのだ。
何もないことの極致をこそ理想とする、
それが現代アートにほかならない。
それは、しかし、無を、究極の無を目指すことであって、
まったくの無となることではないだろう。
何もないことの極致を理想とするということは、
やはり何もなくなることではないだろう。
無に至るプロセスにこそ、現代アートの極致が、理想が宿るのだ。
その、無を目指す作品自体に、現代アートの極致が、理想が宿るのだ。
究極の無に至る一歩手前の、その、状態にこそ、
真の現代アートの究極の理想が現前するのだ。

そこでは文章により何が可能だろうか。
「ART=・」以外の究極の方法として、 文章により何が可能だろうか。


【00022】

マレーヴィチの四角形、デュシャンの泉、
ウォーホルのブリロ・ボックス、コスースの芸術の定義、
そこに自分の「ART=・」は究極の現代アートと位置付けられる。 「ART=・」=点描は、だから、ジョルジュ・スーラでもなく、
草間彌生やダミアン・ハーストとも無縁だ。

孤高の究極の点。「ART=・」。


【00023】

そこには、ほとんど何もない。

孤高の究極の点「ART=・」だけがある。
そこでは藝術をしか現代アートをしか意味しない。

繰り返しだけれど、
それでは、 文章により何が可能だろうか。


【00024】

たとえば、文章により作品群を再定義すること。
単に究極の現代アート作品「ART=・」とするだけではなく、
言語により大きく再定義すること。

『Last Avant-garde[The Ultimate Art]
「ART=・」究極の現代アート作品』

抽象絵画への道:カンディンスキー、モンドリアン、ミロ、アルプ、
ゴーキー、そして抽象表現主義
デュシャンのエロティシズム:階段を降りる裸体、泉、大ガラス、遺作
絶対への探求:マレーヴィチのシュプレマティズム、白の上の白い四角形、白の上の黒い四角形
新たな系譜:ポップ、ミニマル、オップ、コンセプチュアル
究極:究極の現代アート作品「ART=・」


【00025】

ギターの弾き方を学ぶが(=既に知っているが)、
どう弾けば=どのようにほかの音源とシンクロさせれば
音楽となり得るかは 知ってはいても知らないものとして嘯くかのように
常にずらしたまま、 ただ単にギターを弾くことで音楽を現前させること。

画材や文房具の使い方を学ぶが(=既に知っているが)、
どう描けば具象的な絵画になり、どう描けば抽象的な絵画となるかを、
知ってはいても知らないものとして嘯くかのように常にずらしたまま、
具象なんだか抽象なんだか不可解で不明瞭な絵画のような作品を
現前させること。

それらを理想とすること。
究極の理想として実践してみること。実践し続けること。


「ART=・」MoveOfPoint00025

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