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やわらかい時間(紀行文 奈良・中宮寺)

旅先の奈良で斑鳩の中宮寺を訪ねた。
目的は寺の本尊である半跏思惟像を見ることだった。
この像のことは、伊集静氏の『旅だから出逢えた言葉Ⅲ』で知った。
お隣の国、韓国にも半跏思惟像はあり、元は韓国から伝わってきたものだったそうだ。
伊集院氏は2つの仏像に共通するやさしく穏やかな笑みに魅かれる。
「古典的微笑(アルカイック・スマイル)」と呼ばれるもので、中宮寺の半跏思惟像はエジプトのスフィンクス、ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界三大微笑」とも謳われているそうだ。

JR法隆寺駅からバスに乗り、まずは法隆寺へ向かった。
奈良中心街の喧騒を離れ、じっくりと境内を見て回ることができた。
春の陽気がこころよい。
足の向くまま、大宝蔵院ものぞいてみた。
飛鳥時代から世紀の壁を越えて伝えられてきた仏像の数々。
そのなかに夢違観音という像があった。
悪い夢を良い夢に変えてくれるありがたい観音様で、ふくいくとした笑みを浮かべていた。
しばし足を止め、見入った。

中宮寺は法隆寺の東端に建っていた。
本堂は池に囲まれている。
境内からかかる小さな橋を渡り、靴を脱いで本堂に入った。
半跏思惟像の隣には、キリリと賢そうな童子の像があった。
聖徳太子である。
半跏思惟像はその母君、穴穂部間人皇后の御姿なのだそうだ。
座って正面から半跏思惟像を見上げてみた。
やさしいほほ笑みだった。
こちらの心が洗われるような、深くやわらかい表情だ。
本堂の中では、円環しているように穏やかな時間が流れていた。

本の中で伊集院氏は、韓国の日本人大使とゴルフを共にする機会があり、その席で半跏思惟像の話をする。
大使もあの像が好きだと答え、こう続ける。
「あの仏の表情のように、おだやかで、やわらかい時間が、私たちの国の問にはあったのですね」
その頃、日本と韓国の間はぎくしゃくとしはじめていた。

毎日を生きていると、知らぬ間に時間が硬直していく。
日常は駆け足で過ぎ去り、たくさんのものを置き去りにしていく。
生きることに必死になればなるほど、こぼれ落ちていくものがある。

やわらかい時間を生きよう。
ほほ笑みをたずさえて。

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