6章 『DAYS』最終号とシンポジウム

検証委員会の「中間」報告

『DAYS』の最終号が発行されたのは、2019年3月20日だった。それはイラク戦争から1年後の2004年3月20日に『DAYS』が創刊されてから、ちょうど15年目にあたる。

この最終号は一冊丸ごと私の事件の特集号となっており、第1部は「『広河隆一性暴力報道』を受けて 検証委員会報告」、第2部は多くの識者や被害者が寄せた「性暴力を考える」という文章で構成されている。

第1部は、検証委員会によって編集された。そこでは、「はじめに――本記事の性格について」に次のように書かれている。

具体的な事実関係(被害の時期、場所、内容等)すべての詳細な認定は必ずしも前提にせず

そしてもうひとつ大事なことが、「前書き」に書かれていた。

広河氏が「つきあっている」と認識したと述べる関係性は、相手の女性からは性暴力と認識されるようなものであった、ということを前提に面談及び考察を進めた。

つまり、検証委員会は、事実関係の認定が必要なものだという前提にはたたないこと、そして同時に広河と女性の関係性は、女性からは「性暴力」があったと認識されるものだったということを前提として、検証委員会の調査がすすめられたということである。だからここでは性暴力がふるわれたか否かを検証するのではなかったことになる。

これらの文から、検証委員会の私に対する立ち位置がわかる。つまり私が引き起こしたのは「性暴力」事件であるということが、検証が始まったときにはすでに前提とされていたのだ。

また「『DAYS』最終号では、事実関係についてはまったく触れられていない」との批判を多く受けたが、しかし最終号の冒頭の「はじめに」に、「事実関係の把握・報告という作業はまだ緒に就いたばかり」で「正式な意味での『検証委員会としての中間報告』という形式をとることは控えざるを得なかった」と述べている。

ということは事実関係はまだ結果が分かっていないが、女性にとっては性暴力事件が起こったことは前提である、とされているのだった。

実際に2018年12月31日に、馬奈木弁護士がスタートを宣言した検証委員会は1月13日に氏の解任によって中断し、新しい検証委員会が選考されたのは2月はじめと聞いたが、それから『DAYS』最終号のために検証委員会の原稿が印刷所に入るまでには数週間しかなかったのではないかと思う。そのような短期間に事実関係の調査、ヒアリング、原稿、デザイン、校正、委員会の意見とのすり合わせ、校了、までの作業ができるわけはなかった。

しかし私は調査ができていないにもかかわらず、「性暴力があったことは自明」とする検証委員会に疑念を覚え始めていた。

特に私が事実とは異なると考える多くの点についての言及は閉ざされ、それを追求されはしても、反論や弁明の機会は与えられなかった。

しかしこの『DAYS』最終号の第一部はその構成で、検証委員会はおもいがけない大きな批判を受けた。

そこでは私が質問を受けて、自分の意見を述べ、それに対して検証委員会が批判するという形をとっていたが、検証委員会は、編集の意図を、「広河氏の主張、弁明を広く知ってもらう」と書いていた。これは被害者を支援する人々にとっては、言語道断だったに違いない。その人々にとっては、被害者に発言の機会がないときに「加害者」の言い分だけを発表させることになるからである。質問は8項目あり、合意の問題、権力の問題、男女対等論、認知の歪みなどのテーマで私が考えるところを述べ、それに対し検証委員が批判するというやり方をとっている。それで私に「意見を述べる場を与えることを許してはならない」という非難が強く起こったのだと思う。

だから『創』のときに私と篠田編集長が批判の標的になったように、今度は私と検証委員会が批判の標的となったのだ。

『DAYS』最終号の筆者たち

『DAYS』最終号の第2部は、ジャーナリストで「メディアで働く女性ネットワーク」(WiMN)の代表世話人の一人である林美子氏の責任編集による「性暴力をどう考えるか。連鎖を止めるために」だった。WiMNは、『マスコミ・セクハラ白書』(文藝春秋刊)を出版している。

林氏の編集した第2部に登場した9人の識者たちのうち4人は、メディア関係者あるいはジャーナリストだった。しかしここでも、『週刊文春』の記述が情報源のすべてで、ほとんどの人が記事をそのまま引用していた。引用部分を消すとコメントが成り立たないと思える人もいた。また「仮に『週刊文春』の記事が正しいとすると」という前書きを書く人でも、仮定はそれだけで、それ以降では、仮定が事実であるかのごとく語られ、激しい口調で私を攻撃していた。しかし「では事実でなかったら」とは誰も考えないし、書かないのだった。

早稲田大学ジャーナリズム研究所教授でアジアプレス・インターナショナル代表の野中彰弘(あひきろ)氏は次のように書いている。

広河氏自身も、事実関係そのものは否定していないようです。弁明の余地はありません。
……広河氏の行為は人権侵害で、犯罪です。彼は決して超えてはいけない一線を越えたのだと思います。

彼は私が「事実関係を否定していない」と書くが、私自身は記事の最も暴力的な中心部分が事実だと考えたことが一度もないし、そう書いたこともない。ただ公けの場で、週刊誌記事を否定したことが無いのは事実だ。というよりは、私は二次被害の問題を考慮したときから、公けの場に出ることができなかった。そのことで私の恐れたとおり、野中氏のように私が「事実関係を否定していない」と受け止める人が出てきたのだ。

同じアジアプレスのジャーナリストである玉本英子(えいこ)氏は次のように述べている。

『週刊文春』で被害女性は「君のような学歴のない人は、こうしなければ報道では生きていけない、ときつく口止めされた」と証言している。事実なら、これが「合意した相手」に向ける言葉なのか。……今回の事件は性暴力を含むものであり、レイプは刑事罰を科される犯罪である。準強姦罪(現在は準強制性交等罪)で告発され、家宅捜索もあってしかるべきだ。……『創』の手記では、相手と合意はあったが推し量る気持ちがなかったとし、女性への配慮不足だったかのような言い回しだ。国外で脅迫まがいの手法で性行為を強要し、口止めしたことにも触れていない。

彼女の言葉も、週刊誌報道に100パーセント依存していた。私は、口止めもしていないし、学歴差別をした覚えはないし、脅迫まがいの手法で性行為を強要もしていない。ここに書かれたことはほとんど2回目の『週刊文春』記事にレイプと書かれたことだが、脅迫と書かれた内容はほとんどすべて私が社員の前で紹介した本の中味で、その場にはこの女性もいたことはそこにいたみんなが知っている。しかも玉本氏は私が刑法上の罪を犯したとして、警察の「家宅捜索があってもしかるべき」だと述べている。これはジャーナリストの文章とは思えない。

田村記者の蒔いた種は、「二週間レイプし続けた犯罪者」像を大きく育て、「正義感」によって「犯罪者攻撃」をするジャーナリストたちを増やした。そして彼らは自ら取材をせず、みんなが『週刊文春』の土俵の上にいた。玉本氏の書いた文章は、最も過激なものだ。それは当然のように、私が「身体的暴力の行使」である「レイプ」をおこなったと理解し、私がそうした刑法上の犯罪を犯したと断定しているのだった。

「社会構造の一部として起きた」加害行為

第2部を編集した林美子氏は、「広河氏の性暴力をどう考えるか」と題した文章の中で、朝日新聞記者時代に救援活動の取材で私と出会ったと述べ、私の救援の対象がチェルノブイリや福島原発事故の被災者やパレスチナ難民であることを紹介し、その上で次のように批判する。

『週刊文春』の報道で明らかになったのは、その「共感」は、パレスチナ難民や原発事故の被災者には向けられても、身近な女性たちには向けられていなかったということである。
……今回の事件は、広河氏個人を糾弾して終わりではないことを強調したい。広河氏が選び取って起こした加害行為ではあるが、大きな社会構造の一部として起きたことでもある。その社会構造とは、権力関係を利用して他の人の尊厳を踏みにじる行為を容認し、逆に被害者をバッシングするような構造である。

『週刊文春』の記事に対する私の見解については林氏にも伝えていたが、それはここでは問題とされていないのは残念だ。また私が共感を向けなかったのは「身近な女性」だけではない。私にとって救援の対象に対して抱く共感というのは特別なものであり、その人々へは、自らの大きな犠牲を払っても当然だと思っていた。そしてスタッフや社員はその目的を共にする仲間であるべき存在だった。だから余計に傍らの仲間は、私と同じように時間を犠牲にしてもそれは当たり前と思ってしまったのだった。それらすべての人には、お詫びしなければならない。

反論の声の沈黙

ところが、この林氏の文章に激しい攻撃をする人たちがいた。批判の理由は『創』や検証委員会に対する攻撃が、広河の言い分を述べる場所を与えたというのと異なって、広河の業績や仕事のことに触れたり、広河が「自分の行為を理解しようとしてもがいている」と一定の理解や評価の言葉を与えたり、「今回の事件は、広河氏個人を糾弾して終わりではないことを強調したい。……大きな社会構造の一部として起きたことでもある」と書くことによって、この問題を広く日本と世界が抱える大きな構造の中に吸収して、個人への糾弾を弱めてしまうのではないかという批判だったと私は理解した。

私は自分が批判されることは予測していたが、セクハラについての書籍を著わしたり、この問題の現場で被害者の側に立ってきた金子委員長や、マスコミ界のセクハラ問題を追及してきた林氏が批判されることはとても理解不可能だった。

ただ検証委員会や林氏の文章に共感した人はどれくらいいて、反感を持った人はどれくらいいたのか、私は判断することができない。当時、私の耳に届いた声は、批判が圧倒的に大きな声をあげているように見えた。しかしそれは圧倒的多数という意味ではない。ただ恐ろしく感じたのは、批判に対して異論を唱える声がまったくゼロになったことであり、その沈黙は異常に思えた。

私個人については、次のように思うようになった。『週刊文春』の2回目の記事、「二週間 毎晩私をレイプした」が記事通りの事実だと信じた人にとっては、『創』や『DAYS』最終号での私の文章や言葉は、「自己保身」としか映らなかったということだ。そしてあまりにも事件が生々しく伝えられたから、社会構造の問題にするよりも、悪魔のようなおこないと見なされたのかもしれない。『週刊文春』の元編集長の花田紀凱(かずよし)氏は「悪魔の如き」という言葉を用いて私を攻撃している。

それは1回目の記事の直後に出た、花田氏のユーチューブ番組は「花田紀凱の『週刊誌欠席裁判“神”広河隆一氏、常習的に繰り返される悪魔の如き(性的)支配関係』」というものだ。彼が『週刊文春』記事をどのように読んだかわかると思う。

そしてまた二次被害を出さないためにと、私が自分の主張を述べることを避けたときから、私を叩き潰そうとするような激しい批判が起こるのはまぬがれなかった。それは同時に、2019年3月におこなわれたシンポジウムでの谷口真由美氏の発言のように「反省や学習をしても無駄」とされるところに私が追い詰められていくことになった。

シンポジウムでの追及

2019年3月24日、早稲田大学で同大学ジャーナリズム研究所主催(共催は「メディアにおけるセクハラを考える会」)のシンポジウム「広河隆一氏の性暴力から考える」が開催された。

司会は前述の野中章弘氏(アジアプレス代表で早稲田大学ジャーナリズム研究所教授)。パネリストは谷口真由美氏(大阪国際大准教授、メディアにおけるセクハラを考える会代表)、後藤弘子氏(千葉大学大学院専門法務研究科長)、小林明子氏(『毎日新聞』を経て『Buzz Feed Japan 』 Chiefニュース編集長)、田村栄治氏(『週刊文春』記者)、の各氏だった。

私は出席していないが、知人のメディア関係者からメモを見せてもらったので、一部を書きだしてみる。

司会の野中氏は、まずこの記事を『週刊文春』に掲載したことについて、田村記者に理由を尋ねた。田村氏は次のように話した。

文春砲は影響力が大きい。訴訟も来ると思うが、訴訟リスクへの対応もできているからです。

そして田村氏が『週刊文春』に私の記事を掲載可能と考えたのは、次のような理由によると言う。

『#MeToo』を見て、被害の共通点が見られたら、動画や音声証拠がなくてもクロだろう。固い証拠があるわけではないが、証言は複数ある。そういうアプローチがある。

田村氏は、「固い証拠があるわけではないが」、ほかにも類似証言がみられるから、「クロだ」とみなしてよいと考えたと述べた。

特に「レイプ」の記事は、女性の一方的な証言の形で成り立っている。現地に同行したという証拠はあるが、レイプの証拠は何もない。「証言は複数ある」というが、レイプの証言は存在しない。裏がとられていないから他誌では掲載不可能と考えられた記事が、なぜ『週刊文春』では可能だったのか、私も疑問だった。おそらく『週刊文春』内部でも、この記事の掲載については議論があったのではないかと想像する。私の記事がゲラになったとき、『週刊文春』編集部内でも「これは文春砲ではない」と言った人もいたと耳にした。

では『週刊文春』では裏をとることをどのように考えているのだろうか。

文春の流儀「裏をとらないわけにはゆきません」

『文春の流儀』(木俣正剛著 中央公論社刊)という本がある。東京新聞にもこの元となる連載が出ていた。木俣氏は月刊誌『文藝春秋』と『週刊文春』の元編集長で、現在岐阜女子大学副学長だ。この本には、裏をとることの重要性が書かれている。

例えば木俣氏は著書の中で「文春砲の原点は具志堅用高の八百長疑惑」と書き、世界チャンピオン具志堅氏の金平ジムによる八百長を告発する情報が『週刊文春』にもたらされたとき、裏をとるのにどれほど苦労したか書かれている。

また木俣氏は、「あわや大誤報! 坂本弁護士拉致『真犯人』との一か月」という小見出しで、オウム事件で殺害された坂本氏について次のようなことも書いている。

坂本堤(つつみ)弁護士が家族とともに姿を消した後、熊本で温泉の取材をしていた文藝春秋社の女性誌編集者に、真犯人を名乗る男が近づき、『週刊文春』にしゃべってから自首しようと思っていると言ったという。木俣氏は、本人に東京に来るように依頼し、取材を開始した。

事実なら大スクープだが、裏をとる作業が必要だった。半数の記者が彼の話を聞き、残りの半数が彼の話の裏をとる仕事にとりかかったという。

そして花田編集長は営業部に、大スクープを出すから100万部以上刷るようにと指示した。

しかし木俣氏が調べれば調べるほど、話は疑わしくなった。結局、本人に「裏をとったらほとんど嘘だった」と告げると、彼は「では警察に自首する」と言う。

木俣氏は、一度は雑誌のタイトルが頭に浮かんだという。手記「私は坂本弁護士を拉致。殺害した」というものだ。

本人の神奈川県警への出頭日に合わせてその記事の掲載号を発売すれば、少なくとも本人がそう言っているのだから、間違いにはならないはずだ。そのように一度は木俣氏は考えたが、結局彼は編集長に次のように言う。

これなら大丈夫かという反面、もし間違っていたら、読者と坂本弁護士一家の家族に申し訳がたちません。そこで花田編集長に言いました。やはりここは慎重に行くべきです。男が警察に行って何も出てこなかったら、誤報になります。

こうして記事はお蔵入りになった。木俣氏は次のように結ぶ。

大誤報はギリギリで回避しました。しかし、「これは!」と思う話には徹底的に取材する、その魂は文春本来のものだったと今も思います。

なぜ私がこの話を引用したのか、わかってもらえた人はいるだろうか。

ひとつはそれほど裏をとることの重要性を打ち出しているはずの『週刊文春』が、私の場合はほとんど裏をとらないで記事を出しているということだ。

しかしもう一つ伝えたいことがある。木俣氏は次のように述べている。

手記「私は坂本弁護士を拉致。殺害した」というタイトルの記事を準備して、神奈川県警に出頭する日に、その記事を出せば、少なくとも本人がそう言っているのだから、間違いにはならない。

このタイトルは、「広河隆一は私を二週間 毎晩レイプした」というタイトルと似てはいないか。

手記とおなじく私の記事のタイトルでも、女性本人の言葉の形になっていて、カギカッコでくくっている。そして坂本弁護士の場合と同じく、「少なくとも本人がそう言っているのだから、間違いにはならない」ことにできる。

『週刊文春』の2回目の記事が出たときに、ほとんどの大手メディアは、後追い記事を書かなかった。今でもこの記事のことが取り上げられた大手紙には、私はお目にかかっていない。裏がとられていないことが歴然としていたからではないかと思う。

しかしネットや、経験の少ない記者たち、そして何としてでも広河を加害者として追い詰めたいと焦った記者たちや編集者は、そのようなスキャンダルな記事に仕立て上げていったのだと私は思っている。

シンポジウムに戻ろう。

冒頭で『DAYS』最終号の検証委員会の報告は、徹底的に批判された。

谷口真由美氏は次のように言う。

検証委の委員を糾弾するつもりはない。しかしヒアリングしただけで、検証も考察もない。一問一答は、雑誌『創』の焼き直し。これはセカンドレイプ。そのまま載せる?
……広河氏は「勉強している」というが、この程度の人だったのか。言い訳ばかりだ。

田村記者は次のように言う。

これは検証ではない。事実認定がない。被害者の話がない。『週刊文春』の第二報は『強引なことをしていない』という広河の主張と矛盾。そこへの言及がまったくない。

これは田村記者の言えることだろうか。むしろ私が彼に問い質したいことだ。

谷口氏は、実名と顔を出して、山口敬之元TBSのワシントン支局長を告発した伊藤詩織氏を守りきれず、セカンドレイプにさらした責任を感じて、『週刊文春』記事に出た女性たちに対するセカンドレイプを許さないという強い思いをもっていると感じられた。だからセカンドレイプという言葉で私をけん制する。だとすればそれに反論することもセカンドレイプになり、私は何も言えなくなる。

私は、「レイプをしたのかしてないのか言え! ただし、してないと言ったらセカンドレイプだからな」と言われている気持ちだった。これを谷口氏だけではなく、私を批判している多くの識者から感じた。

私は自分の何が間違っていたか、考えるための助言やヒントを、周囲の人々や専門家の書物に求めている途中だった。その私の意見を「反省の限界」として検証委員会が「ゼロ」とみなすか、「反省の過程」とみなして、不十分な点を指摘するか、どちらかを選ぶ問題となる。『DAYS』最終号で検証委員会は、後者の姿勢をとった。

しかし私の反省が不十分であると批判しても、そこまでの反省の過程を一部評価する場合もある。そうするとそれに納得できない人々がいる。一部にせよ私の言い分を認めたり、評価したり、私に言い分を発表する場所を与えることは、それが不可能な立場に置かれた被害者のことを考えるなら許されないと、その人々は考えた。そのため私や検証委員会は、大きな批判を浴びた。

被害者の代弁者としての声

もう一つ思い知らされたことがある。シンポジウムで谷口氏の発言が突出するのは、彼女はシンポジウムに被害者の代表として出席しているという自覚をもっているせいだろうと指摘する人がいて、なるほどと思った。

被害者は顔を出せないから、被害者を代弁する人が必要となる。だから被害者が言えないことをその場で言わなければならない。それも被害者のうちでもっとも心の傷の深い人に合わせなければならない。その被害者の訴えを言葉にして発言するのが谷口氏の役割だ。そう考えて、谷口氏の発言を聞くと、そのきつい調子が理解できるように思う。谷口氏の発言は非常に断定的で、「加害者」への徹底的な糾弾の役割を果たし、私にとっては極めて一方的に感じられたが、それは被害者の代弁者であるという意識が強かったゆえだろうと思い返した。



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