4章 「レイプ」

2回目の記事の中身

『週刊文春』記事が掲載されてから2週間を過ぎたころ、田村栄治記者と文春編集部の竹田聖氏の連名で、私と森川弁護士に質問状と取材依頼が届いた。質問状には、多くの具体的項目の質問が書かれ、それが一つひとつ本当かと質問していた。そして次のような言葉が添えられていた。

「広河さんに被害を受けたとする新たな証言を記事にする予定ですが、その際に広河さんから説明や反論がまったくないよりは、何らかの言葉があったほうが、広河さんにとってもよいのではないかと思っています」

私には、その言葉は「応じないとお前は不利になるぞ」と聞こえた。

私は前に述べたように、1回目の取材に応じたことで、かえって『週刊文春』の思惑通りになった経験から、もう2度と田村記者と文春の取材には応じないと、弁護士と相談して決めていた。しかし念のため、私はかつて世話になった大手出版社の危機管理部門の責任者に、こうした場合にはどうすればいいのか尋ねた。答は次のようなものだった。

前回の『週刊文春』も広河さんがコメントをしなければ、記事にならなかったか、なってもそれほどのページ数にならなかった、と思います。匿名の証言で、証拠がなく、かつ昔の話であれば、週刊誌の編集者は、記者に「当事者に取材して、半分でも認めさせるコメントをとってこい」と言います。そこで記事の正当性を出そうとするわけです。相手のメールを見ても、「広河さんにとってもよい」と下手に出て、どうしてもコメントを取ることで記事を正当化をしようとしているのがみえみえです。締め切り近くなると、直撃もあるかもしれませんが、答えないと決めたら、何を言われても答えない、という姿勢を通されることをお勧めします。

他の大手週刊誌編集者は、次のように言った。

著名人や政治家から被害を受けたという人が記者に訴えてきた場合、そのまま記事にすることはあり得ません。なぜなら虚偽である可能性もあり、名誉棄損になることも多く、念入りにウラをとる作業が必要となるからです。最も必要とされるのが加害者側の取材です。しかしこの場合、質問状でわかるのは、被害者の言い分が正しいという筋書きがあらかじめできていて、「加害者にウラもとれたので、記事にして発表した」と正当化するために、取材申し込みをしてきた可能性が高いと言えます。質問書から推し量れるのは、かなり強引な記事のようです。この内容ではふつう大手の週刊誌なら、掲載は難しいでしょう。こうした場合には無視することがもっとも賢明な選択です。私の会社の雑誌では、編集長はこの記事にGOは出さないでしょう。

田村記者から2回目の取材申し込みがあったが、無視した。

そして2019年1月31日に『週刊文春』2月7日号が発売された。タイトルは激しい、徹底的なものだった。

「広河隆一は私を2週間 毎晩レイプした」 新たな女性が涙の告発                           

しかし記事に翔子さん(『週刊文春』による仮名)という女性がレイプされたと言ったとは書かれているが、何をもってレイプと断じたのかわかるような説明は一切ない。実際に記事でタイトル以外に「レイプ」という言葉が出てくるのは二か所だけで、次のように書かれている。

帰国の途につくまでの二週間、日中は広河氏のインタビュー取材を撮影するなどし、夜は毎晩、同じホテルの部屋で広河氏に「レイプ」されたと、祥子さんは話す。

たとえ、カギ括弧でレイプという言葉をくくって、女性がそう言っているからそのとおりの言葉を用いたのだといっても、メディアでは通用しないはずだった。これで法的な逃げ道を作ったつもりだろうか。被害女性の発言だからと裏もとらずにタイトルにしていいのだと、誰が考えるだろうか。この記事は週刊誌のリテラシーについての、私や相談した出版社の編集者や危機管理部門責任者の認識をはるかに越えていた。

それは『週刊文春』記事からおよそ十数年前の、A国取材のときの話という。

当時のパスポートを探し出したら、その国の出入国スタンプが押されていた。しかしこのとき同行した女性が誰か、記憶はあいまいだった。

私は20時間ほどにわたる当時の映像データを探し出した。私は写真取材だけの時は基本的には1人でおこなうが、テレビなどの映像取材の時は、たまに1カメ、2カメというふうに2台のビデオカメラを使うことがある。私自身はメインのカメラを用いて撮影し、その私をアシスタントや通訳にサブカメラで撮影してもらい、作品に組み込むのだ。だから2人での取材ということは、テレビ関係の仕事もおこなった可能性が高かった。

当時私は、テレビの番組取材の仕事も引き受けて、それによって取材費を得るようにしていた。写真だけでは取材費を賄うのは不可能で、いつも赤字だったからである。実際このときの取材で放映された番組のコピーも見つかった。

しかしビデオ機材の進化は目まぐるしく、十数年も前の映像データを再生する機材は、もう市販されていなく、自分の機材もすでに処分していた。

犯罪者として週刊誌に書き立てられた人間に再生機を貸してくれる人が見つかるまで時間がかかったが(その人には心から感謝している)、中味をチェックをすると、素材データの中に5、6秒間だけ、その日本人女性が映っていたのが見つかった。それは移動中の車の中で、彼女が現地団体の女性スタッフ2人と笑いながら話しているところだった。続くカットには難民キャンプ取材の様子が映っていた。早回しでビデオ記録を全部見たが、わかったのは、私たちを世話をしてくれていたのがこの女性スタッフ2人と運転手、そして各地域責任者、そして獄中から救出するために私が協力した女性だけだった。

『週刊文春』記事には「現地男性スタッフ」と書かれていたが、そういう人はいなかった。しかし日本人女性が誰であるかわかっただけで、多くの記憶が蘇ってきた。

何年前だろうが、一緒に取材した人の女性の名も思い出せなかった私を責める人は多かった。しかし普通なら「一緒に取材した人」を探すところ、この場合は「私がレイプした人」を探していたので、それで見つからなかったのだと思う。

また記事には私の手書きのメモが証拠として掲載されているが、それは「レイプ」がおこなわれた証拠ではない。行き先がA国という絶えず戦争がある場所ということで、親が心配するようならこのように説明しなさいと書いて女性に渡したメモだ。そこに書かれている私の友人の男女は、いつも現地で出会う夫婦で、男性はフリーランスのフォトジャーナリスト、女性はBBC放送の仕事をしている人である。その5、6年前からの知り合いで、前年にも現地で会い、この時期にも行くと言っていたから、メモに書いて同行することになっていた翔子さんに渡したものだ。女性ジャーナリストも現地に行っているということがわかれば、彼女の両親も安心するだろうと思ったからだ。この紙は、私がアシスタントを連れて現地に行こうとしていたという証拠になったとしても、それ以外の意味はない。

しかも私は、2週間どころか1日でも誰かをレイプしたことはない。もちろん私にニコニコしながらYESと言い、心の中でNOと思っていたなら、当時の私には気づくことができなかった。心の中で「不同意」なのにセックスを迫られることを「レイプ」と呼ぶのなら、そう書くべきだと思う。ただ当時は、YESがない限り、関係はもたないと思っていたことは確かだ。

実を言うと、私と彼女の関係は、海外取材の1か月ほど前から始まっていた(『検証報告書』では本人はそれを否定したと書かれている)。だから現地でレイプする必要も脅迫的な言葉を用いる必要もなかった。しかも私たちがそうした関係を現地でも続けるということを、出発前に彼女は当時の社内スタッフたちに告げていたと私は聞いた。

もちろん今思えば、この人とこうした関係になったのは、大きな間違いだったと思っている。文字通り「不適切な関係」だった。私は彼女に大きな苦痛を与えたと書かれた記事を見て、そのことに気づけなかったことを強く反省している。

この人との出会いは、『週刊文春』では次のように書かれている。

大学で女性差別をテーマにした集会があり、広河氏が講演した。

これは違う。しかし実際に私が彼女に出会ったのが何の集会だったかは、本人が特定されるかもしれないので、言えない。「広河氏が講演した」という事実はないことだけ言っておく。「広河が講師となった女性差別反対の講演会に来た女性が被害者になった」という筋書きを、『週刊文春』は作りたかったのだろう。「女性差別をテーマにした集会」で出会ったと書くだけでも、十分私への皮肉にはなるだろうが、もっと大きく怒りを生むためには、私は参加者ではなく、講演者のほうがいいと、『週刊文春』は考えたのだろう。そうしたほうが、私が「自分の立場を利用した」と人々に伝えることができる。そしてこうした細工は、怒りという火に油を注ぐ役割をする。

通路を隔てて、隣の席に座っていたのがこの女性だった。彼女は『DAYS JAPAN』を知っていて、私に好意的な感想を述べてくれた。それで帰り道に私は、広河事務所で働く人が欠員となっていて募集していると伝えた。そして2、3週間後に、彼女はスタッフとして働きに来てくれるようになった。

数か月後に私はアシスタントの彼女と海外取材に行き、帰国後、取材の整理の仕事をしてもらった。そしてそれが終わった頃に本人から退職の希望が出て、それから2か月後まで働いてもらって、そこで本人は退職している。

広河隆一は私を2週間 毎晩レイプした」という記事では、現地で私が彼女に脅迫的な言葉で性交を迫り、追い詰めていったかのように報告されている。

記事の中で彼女は私に「俺の女にならないか」と言われたとも書かれている。しかし私は「俺」という一人称を使わず、「俺の女」という言葉も一生のうちに使った記憶がない。このような表現を差し込むことは、私という人間をひとつの高圧的な典型的なパターンにはめ込むレトリックであると私は感じた。私の講演会にしたのも、「俺の女」という言葉を使うのも、どちらも『週刊文春』田村記者と編集者の竹田氏が相談のうえで決めたことだろうと思っている。
「俺の女」という言い方は、ほかでも多くの場所で、性暴力の象徴的な言葉として用いられている。しかしそのようにメディアに書かれたら、読者はこの言葉が本当に発せられたと信じて、怒りと軽蔑の感情を覚えるだろう。しかし、必ずしもこの言葉通りに発言されたのではないことも多いはずだ。メディア側が、男の暴力性を際立たせるためにこの言葉を使うことが多い。しかもこの言葉は犯罪性を掻き立てる。そのため、このような記述は、日刊紙よりも週刊誌に多い。そしておよそそうした意味で話したということを、「俺の女」という言葉として記者が書くのだ。最近朝日新聞(2022年1月11日付)にもこの言葉がサブタイトルになっているのを目にした。これは一面から2面またがる大きな特集記事で「学内セクハラ 整わぬ相談体制」という記事で、2面のサブタイトルに<教授「俺の女に」懲戒処分なく>と書かれている。

この言葉が犯罪性を掻き立てる大きな役割をしているので、実際にその言葉を言ったのかどうか、どのように裏をとったのかと、私は朝日新聞に問い合わせた。署名記事なので、その名も添えた。決して教授を守ろうとしているのではないが、この言葉をメディアが自由に恣意的に用いたとしたら、恐ろしいことだと思っている。
質問を送って2週間たっても返事がなかったので、再度返事をお願いした。
答えは次の通りだった。


記事や見出しは、大学が設置した、コンプライアンス関連の規則に基づいた委員会での設定に基づいたものです。


私はこのあと7章で、デイズジャパンの『検証報告書』に書かれていることがいかに恣意的に書かれている場合があり、断定的に事実として書かれることもあることを思い知ることになった。しかも裏をとることがどれだけ大切なことなのかも改めて感じた。

そして朝日新聞のこの回答を見ると、大学が設定した委員会が述べているからその言葉をタイトルで用いるという姿勢は、ジャーナリズムとしては間違っていると思う。しかもこの言葉のところに「委員会によれば」と書かなければ、読者は朝日新聞の取材によるとみなす。さらにこの発言を教授本人が認めているかが問題だ。否定されたら「本人は否定しているが」と書かなければならない。

今、『検証委員会』や調査委員会などの役割が非常に大きく重くなったことを考えれば、メディアもそこで無意識に依存する形の報道ではあってはならないと思う。記事にもあるように、「この発言はセクハラに当たると認定」されているのだから、委員会が用いた言葉をタイトルで用いることによって、朝日新聞もこの発言による犯罪認定をしたことになる。

記事では、女性が嫌がっていたのに性交を強いられたというエピソードを、これでもかというくらい多く示そうとしている。だからこの記事の大半は、それを伝える女性の証言の記述に費やされている。他の人の証言はない。他の週刊誌の編集者が、「うちではこれは掲載できない」と言っていたとおりで、まったく裏もとられていないし、タイトルも記事も非常に乱暴なものだ。後に何かで読んだところでは、『週刊文春』に対する訴訟は結構多く、実際にそのかなりの部分は『週刊文春』側が敗訴しているいう。しかし週刊誌の力を必要以上に恐れ、警戒する声も大きく、「普通では勝てない」「訴えても失うもののほうが大きい」と言う人も多く、それで沈黙する人も多い。私もそうだった。人々のそのような意見で裁判をあきらめたという経緯がある。

記事中で田村記者は「彼の性暴力の狂暴さを知れば」という言葉を用いているが、これでわかるように、私がいかに狂暴であるかというエピソードが盛られ、次のような言葉も書かれている。

「取材先の男性スタッフたちが、君を貸してほしいと言っている。どうするか」「僕らの滞在中、彼らは君を借りてセックスしたいそうだ。彼らにとって君は外国人だからね。君はどうするか。彼らとセックスするか、それとも僕とひとつになるか。どっちか」

これが何を意味するのか、私は最初わからなかった。私が言ったのではないことは確かだ。これを私が言ったというのは、田村氏はどのように裏をとったのだろうか。

「借りてセックスする」というようなことは、私は誰からも聞いていないし話してもいない。この数年前、遊牧民の老人が、ラクダと羊を何頭かで、私たちのチームの中の外国人女性を売ってほしいと声をかけてきたことはある。こうした話を当時の社内スタッフに話したとき、1人のスタッフは、その場に翔子さんもいたことを覚えていた。この話と何らかの関係があるのだろうか。

私が翔子さんの抵抗を封じるために言ったとされている次の言葉も、私が彼女に話したことにされている。

「女性は嫌がると妊娠しやすくなるから気を付けろ。戦地に妊婦が多いのはレイプがおこなわれているからだ」

この話の出どころははっきりしている。以前、私が複数の社内スタッフがいる編集部(当時の他のスタッフに確かめた)で話した雑談が、デフォルメされているのだ。そこで私が紹介したのは、動物行動学者である竹内久美子氏の著作『そんなバカな』(文春文庫)や『BC!な話』(新潮社)などベストセラーになった本についての話だ。BCというのは竹内氏の造語で「生物学的に真実」ということを意味するという。これらの本については多くの書評が掲載され、評判になったため、私も読んだのだが、内容は社内で話題になり、本を貸したりした。その場にいた元スタッフに確認したところ、そこにも翔子さんがいたという。

竹内氏の多くの著作に共通するテーマは「生物の体は遺伝子の乗り物」だという話だ。遺伝子は強く健康な乗り物を求める。オスのクジャクで羽が立派で模様が多いのは健康の証拠なので、そのオスのところに多くのメスが集まり交尾するが、それも遺伝子の仕事だという。

さらに『BC!な話』では、「レイプの時の受胎率は通常よりも高い」と書かれ、そのあと学者の報告が紹介されている。また別の本では、昔、占領された土地で、占領者の男に被占領者の女性が襲われレイプされるとき、妊娠する割合が高いのは、遺伝子が新しい支配者を強者と認識し、より強い子孫を残そうとして排卵を誘発するからだという研究もあることを紹介している。真偽はわからないが、ショッキングな話だ。

これらすべては、私が海外取材前に会社で本の紹介として話していたことだった。最近では、竹内氏と川村二郎氏(元週刊朝日編集長)の対談の書籍『「浮気」を「不倫」と呼ぶな』(WAC)の中でも紹介されている。

翔子さんは、これらの話を私が社内で話していたと田村記者に伝えたのだろう。そのことは事実だ。しかし「翔子さんへの脅迫的な話」として私が現地で話したと言ったのが翔子さんであるはずはない。他の社内スタッフという証人たちがいるからだ。

記事の中には、私には現地妻がいると、祥子さんは言っているとも書かれている。この出所は次のようなことだ。私は時々、各国に多くの子どもがいると冗談で言われることがあるし、自分でもそう言うことがある。私がパレスチナの子供の里親運動の代表になっていたからだ。1982年の虐殺事件のときなどで親を殺された子どもの里親運動を設立して、自らも何人もの子どものために毎月食費と教育費を送っていたからだ。同じような活動をチェルノブイリでも行っており、周りの人にはその子たちから届いた手紙を見せていた。それで私には各国に子どもがいるという話が、祥子さんの耳に入った後は「現地妻」という話に発展したのだ。
その話に飛びついたのが『週刊文春』の田村記者と武田聖編集者だったのだろう。
私はこれも田村記者と編集者の竹田聖氏の創作だと思う。そして私による脅迫は、このようにして創り上げられ、「2週間 毎晩レイプした」という物語が仕上げられていったのだと思う。

さらに次のような言葉もある。

「『君のような学歴のない人は、こうしなければ報道では生きていけない』と言われ、きつく口止めされました」

この言葉も、『週刊文春』発売後、多くの人が私を批判するのに用いた言葉だ。

私は記事でこの言葉が書かれたのを見た後、翔子さんのことを知ろうと、当時の履歴書を見て彼女の学歴を知った。もちろん彼女が働くようになったときにも、私はそれを見ていたはずだが記憶に全く残っていない。しかしそれで学歴差別をしようとは思わなかったから、彼女は広河事務所の職員になったのだ。それに私は個人的な経験から、学歴差別をしてはならないと自分でも意識している。

さらに私が相手に「きつく口止めした」と書かれていることも、ありえない。レイプはなかったのだから、口止めも必要がなかった。このレイプの記事には、一切裏はとられていない。

『週刊文春』の加藤編集長は後に、財務省公文書の改ざんをさせられて自死した赤木敏夫氏の遺書を大きく掲載したという、仕事をした人である。その人がこんな形の記事にGOを出したのは残念でならない。


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