5章 反響

あまりに多くの人々へ

ここで私が書いておかなければならないことがある。約3年間の自粛の期間の間に、混乱しながらも考える時間があった。そしてセクハラやパワハラだけでなく、人間として恥ずかしいと思う行為の数々を、何百と思い起こして反省した。私はそうしたことが急に記憶に甦った時に、自分の頭を殴ったり、あるいはごまかそうと、大声で童謡を歌ったりすることがある。私はコロナ下の独居生活で、一時期大きな病院のある街に居を移したことがあるが、アパートの隣の家からは、騒がしい老人だと思われていたと思う。

人間に対する恥ずべき行為も多く思い出したが、特に身の回りで亡くなっていった多くの人々のことが甦った。生き物に対するそうした記憶もあった。人々の好意に支えられながら、その成果をぶっ壊してしまうような行動をとったこともある。さらに恩を受けたのに、無視し続けたことも多く思い出した。若い女性に対して関心を持ったときは、その女性に対してだけでなく、周囲の人にも嫌な思いをさせたと思う。あまりにも次々と思い出される例に、我ながら呆れて黙り込んでしまうこともあった。

特に『週刊文春』の記事に登場する人々に謝罪したいのは、その人たちの夢を壊し、志を汚したということだ。さらに、『DAYS』を支えてくれたすべての人にもお詫びしたい。救援や支援運動は、生命や希望にかかわる運動だったのに、その支援者の心に深い傷を負わせてしまった。

人々に対しても自分の家族に対しても、私はあまりにも傲慢な態度で対応してきた。身近だった人は私の分も責任を負わされたようになった。他人からの献身はあたりまえのように受け取るのに、自分からは与えることはなかったり、不安や苦しみで崩れそうになっている人たちに、たとえその人たちが私を助けてくれたとしても、私は手を差し出さなかった記憶も強く思い起こされた。

記事に登場する女性たちへ

特に女性については、自分の気持ちが負担を感じた時には、黙って姿を消した。自分の気持ちを伝える配慮も欠けていた。あまりにも身勝手な生き方だった。

だから「今振り返れば、あれは性暴力だった」と10年前のことと言う女性には、私は返す言葉がない。申し訳ないという気持ちがありながら、どのように謝ればいいのか、私にはまだわからないのだ。「合意はなかった」と非難する言葉に対してもだ。

しかし男がゲタを履いて女性より圧倒的に優位に立つ社会で、その恩恵を100パーセント受ける構造の中で、私は力を得ていき、私による被害が起こったことは間違いない。

だからといって、なんでも社会構造のせいにしようと思っているのではない。私に根本的に問われているのは、私の人格に起因する問題であり、人としての在り方の問題だ。その問題がこの社会構造の中で爆発したのだ。

今ここで私が書いていることは、私によって被害を受けた人々が求めている謝罪とは大きくかけ離れており、不快に感じておられると思う。そして『週刊文春』記事のすべてが事実だと考えて謝罪すること、具体的にひとつひとつでなくても、それをすべて包括する謝罪することを求める人にとっては、がっかりするものだと思う。私はそれを「はい」と言って実行することがまだできないからだ。それを申し訳なく思う。

私が関わった運動が受けた影響

『週刊文春』の発売で私は、私を支え続けてくれた人々の大きな信頼を失った。私が関わった運動がどれだけ大切かを周囲の人に呼びかけてくれた人々や、私の活動をメディアに取り上げてくれた人々は、その人々を信頼してきた周りの人々を失った。

人々の中には、『週刊文春』発売以降、自分の活動ができなくなるほどの痛手を負った人もいたと思う。人々に募金を呼びかけた人は、その集まった金の行方を疑われたかもしれない。募金者には用途をすべて公表にしていたはずだが、ネットに書き込む人の多くは、そういうことを調べる前に、噂を書き込んだ。そして噂は「事実」の衣をまとって広がっていった。

週刊誌発売の前日に、私はデイズ社の役員会で代表取締役を解任された。私自身もそれに賛成した。自分が設立した救援・支援団体の役職からの解任にも賛成した。なぜなら抗議の激しさを想えば、私に関係した団体が生き延びて救援・支援を続けるには、そうするほかないと思えたからだ。そして最も激しい言葉で私を攻撃したのも、これらの団体だった。

日本写真家協会などの会員や写真賞、早稲田大学のジャーナリズム大賞などの審査員については、退会・辞任を伝えた。
私が辞任を申し出た後で、その組織が私を解任扱いにした場合もあると思う。

私に浴びせられた最も激しい怒りは、『週刊文春』に書かれたレイプを私が実際におこなったとみなした人たちからのものだった。怒りが大きな人は、『週刊文春』に書かれたことは事実であるという前提で、いっそう大きな怒りを掻き立てる役割を担った。私が声を上げれば、私への怒りは拡大するだけだった。私の引き起こした事態に何の責任もないはずの人々が、単に私の近くにいたという理由で追い立てられていくのに対して、私は何もできなかった。

私が『週刊文春』発売後におこなった「口を閉ざす」という選択は正しかったのか、今だに答えを出せないでいる。少なくとも巻き添えにしてしまった人々に対しては、私は発言すべきだったのではないかと思う。しかし「お願いだから、もう黙っていてくれ」という人々は多かった。そうしなければもっと大切なものと人を破壊してしまうからだった。自分はこれほどだらしがなく、無力な人間だったのか、こんなにも不甲斐ない人間だったのかという思いがこみ上げてきた。

ただ私は、自分が週刊誌記事で何を失ったかと語るとき、その言葉は自分がともすれば被害者であるかのように聞こえると、指摘されたことがあった。注意しなければならないと思っている。私がかけがえのないものを失ったことは確かだ。普通こうしたときに、その原因をつくったのは誰だ、と問うものだ。それは私自身だ。そして同時に、それだけではないという思いに私はとらわれている。だからこそ週刊誌に書かれたどの部分が事実かにこだわっていた。

『週刊文春』は記事のイメージどおりの広河像を作り上げ、それが拡散していくことになった。ツイッターにはおぞましい言葉が溢れ、「逮捕しろ」と声を上げた人は、ジャーナリストに至るまで多数に上った。

テレビは、デイズ社や私の自宅を撮影し、放映した。私の孫たちの学校のPTAにまで、うわさは広められた。子どもたちは職場でも、噂の的になり、働きづらくなった。そして私がしたように、家族も身をひそめるようになった。特に問題が問題だけに、妻のくやしさは想像に余りある。本当に心から詫びたい。

私の作品

このとき私の映画が2本、上映中だった。これらの映画はただちにお蔵入りになった。映画に出資をしてくれた人をはじめ、プロデューサー、監督、撮影者、音声、編集、通訳、支援者、配給会社、上映会主催者の人々の努力を踏みにじることになった。テレビ局で制作して海外で受賞した作品の再放送も決まっていたが、テレビ局は再放送を自粛することにした。私がフォトジャーナリストとして作品とともに紹介されているせいだった。

私への批判や抗議が出たのは、『週刊文春』が出た直後がほとんどだ。それから『検証報告書』が出て、今私はこの報告を書いている。しかしまだ当時の判断はあれで正しかったのかという問いの答えが出ないでいる。海外にも私が実際にレイプをおこなったというニュースが伝えられた。これは海外で私の写真や映画を用いて、支援・救援をしている人々の活動を停止させた。すべて私に責任があるという気持ちとともに、事実ではない記事、誇張された記事のことがのどの奥のトゲのように刺さっているのだ。

謝罪コメント

『週刊文春』発刊直後のデイズ社の動きも報告したい。そのとき中心的な役割を果たしたのは、新しい弁護士だった。『週刊文春』発売前のゲラ刷りを見て、私とデイズ社の役員らは、当時の『DAYS』編集委員から「#MeToo 問題」に詳しいとして紹介された馬奈木厳太郎弁護士に会い、会社の顧問弁護士をお願いすることになった。

彼の最初の仕事は、『週刊文春』記事についての私と会社のコメント草案をそれぞれ準備することだった。弁護士が一晩で準備してくれた広河コメントの草案は、次のようなものだった。

私は、その当時、取材に応じられた方々の気持ちに気が付くことができず、傷つけたという認識に欠けていました。私の向き合い方が不実であったため、このように傷つけることになった方々に対して、心からお詫びします。

この草案どおりに出すことに、私に異論はなかった。私自身、心の動揺の中で言葉が浮かばない状態だった。そして「不実」という言葉はなじみがなかったが、私の聴き取り調査をした段階で、「誠実」の反対語としてこの言葉がふさわしいと馬奈木氏は判断したのだろうと思った。私は自分が不実であったという批判を受けるべきという意見には、そのとおりだと思っている。
さらに私が『週刊文春』の取材を受けた時から強くこだわっている「事実ではない部分」について、あるいは「グレーな部分」についてそれを正面から取り上げたらお詫びコメントにはならないので、それを避けて、全体的な謝罪にするためには、こうした言い方しかないのだろうと思った。

私は弁護士に感謝して、このコメントを受け入れた。しかしこの私の名のもとに出たコメントに対しては、田村記者を先頭に猛烈な抗議が寄せられた。今や田村氏は『週刊文春』の記者というより、「#MeToo 運動」の支援者で、先導する人物だった。その彼が「『不実』で済むと思っているのか」と叫んでいた。

同時に、同じく馬奈木氏による草案をもとに発表されたデイズ社のコメントは次のようなものだった。

弊社としては、ただちに広河氏に対して聴き取りを行いました。その結果広河氏としては、その当時、取材に応じられた方々の気持ちに気が付くことができず、傷つけたとの認識を持っていなかったこと、傷つけたとの認識を持ちえないまま今日に至ってしまったことを確認しました。……広河氏が、被害者の方々の尊厳を傷つけてしまったことに対して、弊社として、心からお詫び申し上げます。弊社として、広河氏の言説を看過するわけにはいかず、これに与する立場ではないことも鮮明にいたします。

私は、会社に田村記者による取材時の録音データを渡し、馬奈木氏にも取材と記事の食い違いについて話していた。しかし馬奈木氏が準備した会社側のコメントの最初の草案には、週刊誌記事のうち私が事実ではないと説明していた部分が引用され、私を批判していた。デイズ社の役員は、録音データでも誤りだと広河が指摘した部分の記事をそのまま「謝罪コメント」に引用することは、会社が週刊誌記事を正しいと認めることになるとし、弁護士に訂正を要請したという。私はこのことを、それから数か月後に知った。

そうしたことがあったにしろ、私と会社のコメントを見たほとんどの人やメディアは、「週刊誌記事はおおむね事実」とみなした。それは記事内容はほとんど事実であるとみなすことを意味していた。

新しい代理人の役割

『週刊文春』発売から5日後の2018年12月31日、会社は次のような2回目のコメントを発表した。これも馬奈木氏の草案になる。

弊社サイトに掲載した広河氏のコメントについて、「デイズジャパンは、あのコメントでよいと思っているのか』という厳しいご指摘もありました。
……現在、弊社は、今回の報道を機に就任した弊社代理人を責任者として、広河氏個人の過去の言動による被害実態について調査を行うとともに、広河氏を絶対化させてきた会社の構造・体質についても、役員など関係者への聞き取りなどの調査を行っているところです。

「就任した弊社代理人」とは馬奈木弁護士のことである。

私は混乱した。私の、「不実であった」というコメント草案を書いた馬奈木氏が、同時に、文春記事が事実であるととられるような会社のコメントの草案も準備し、12月31日には「デイズジャパンは、(広河の)あのコメントでよいと思っているのか」という外部からの批判(つまり馬奈木氏が草案を書いたコメントへの批判)を紹介し、それを受けて「弊社代理人(つまり馬奈木氏)を責任者として」被害実態の調査と「会社の構造・体質についても、役員など関係者への聞き取りなどの調査」をおこなう、と宣言したのだ。
会社はまたたく間に馬奈木弁護士の管理・指導下におかれたかにみえた。

しかし、その過程とどこまで関係があるか知らないが、馬奈木氏は、1月13日に会社役員会によって、デイズ社の顧問弁護士を解任された。デイズ社から顧問弁護士料を得ている人が、会社の構造・体質についての役員や関係者への聞き取り調査をおこなう第3者的な検証委員会の代表となることが可能なのかどうか議論された結果だと思うが、詳細は知らない。

12月31日の馬奈木氏の検証委員会委員長就任宣言から、たった2週間でおこなわれた馬奈木氏解任で、田村記者は『文春オンライン』などで、デイズ社の役員に対するさらに激しい攻撃をおこなった。彼は、馬奈木氏がセクハラに厳しい姿勢をとっているために、それを都合が悪いと考えた会社が彼を解任したと考えたのである。それは、組合を結成したデイズ社員の主張でもあった。

事実関係の確認と二次被害

山の中に引きこもっていた私は、何が起こっているのかを判断できなかった。

そんななか、私に対して「JVJA」(日本ビジュアルジャーナリズム協会)のジャーナリストたちからも、「事実関係を確認して女性たちの前に出てきちんと謝れ」、という激しい批判と要請が起こった。

実際、ある意味でそれは私が求めていることでもあった。私はまず事実確認をし、それに基づいて謝罪をすることを求めていた。私は自分の記憶が不確かな点が多かったため、本人たちに会って事実を確認したいと考えた。

しかし今度は私が相談した人たちから、反対の声が上がった。

「加害者とされて告発されている者が、被害者に直接連絡をしたり会ったりしてはならない。事実関係を女性にただすことは、二次被害を呼び起こからするべきではない」というのだ。つまり、「事実と異なる点があると指摘することも、女性が嘘をついていると述べることになりかねない。だからそれは二次被害を引き起こす」とのことだった。これを言った中には何人かの弁護士が含まれていた。

念のために調べると、別の法律事務所のサイトには、「告発した女性に会おうとすることも、復讐されるという恐怖を女性に与えるから、二次被害となる」と書かれていた。

1年以上後になって、あるジェンダー問題の専門家から「なぜすぐに、違うと思うことを違うと言わなかったのか」とも言われたが、「二次被害を引き起こす」から沈黙するのが最もいい選択だというのが、当時私が相談できた全員の意見だった。

馬奈木弁護士に代わって、デイズ社の代理人には、早稲田リーガロイヤル法律事務所の弁護士があたることになり、検証委員会の新規委員長に選ばれたのは、職場のハラスメント研究所の金子雅臣代表だった。委員には上柳敏郎、太田啓子の両弁護士がなった。これまでデイズ社とはまったく利害関係のなかった専門家たちである。デイズ社の新しい顧問弁護士がこの人たちを選任したと聞いているが、それ以上のことは私は知らない。太田氏はセクハラ問題関係の弁護士であり、フェミニストとしても知られていた人だ。上柳氏は会社法の著書がある弁護士と聞いている。

ただそれまで利害関係はなかったとしても、この人々に対する費用はデイズ社から支払われることになる。それを危惧する声も、委員の一人から出ているのを聞いたこともあった。

月刊『創』4月号

私はどこにいても、罵声を浴びせられているように感じていた。『週刊文春』が出てから、私は自分が前に進んでいるのか確信の無いまま、足だけせわしなく動かしていた。しかし実際はおぼれているだけではないかという気持ちが強かった。

私は、自分の不満や怒りが、誰にも理解されないという思いで、押しつぶされそうな気持ちになっており、自己保身の反動として攻撃的になり、それは人々の目には傲慢さに映ったように思う。

2019年3月、私は『創』4月号に、「身体的な暴力をふるっていないこと、相手と合意があったことを理由に、『性暴力』は自分には関係がないと考えていた」と書いた。

そのとき私は、『週刊文春』の田村記者が私を取材したときに私がとった録音データの、1節だけ引用した。それは次のような部分である。

田村 (あなたは)これまでデイズに出入りする女性たちと、性的な関係を、相手が断りにくいとか、そのとき相手に断らせないとか、そういう流れの中で、という認識は? 
広河 全くないです。
田村 そこはまったく合意のもとであり、何ら問題ないと。
広河 僕からそういう形で強要したりアプローチしたことはありません。(女性は私に)強制されたと言っているのですか? 
田村 (女性は)強制されたとは言っていない。多分合意はあったと思います」

ここで、「強制されたとは言っていない。多分合意はあったと思います」と言っているのは、私ではなく、『週刊文春』の田村記者である。

女性を取材した田村記者が「多分合意があったと思います」と言ったということは、「女性たちは広河に対してYESと答えた」と田村氏が受け取ったと私は理解した。女性が沈黙していたのに、田村記者が「合意はあったと思う」と私に伝えることはあり得ない。

しかし「合意はあった」と私が『創』に書いたことで、私に対する猛烈な非難が起こった。

私はその非難がなぜ起こったのか理解できなかった。私はあくまで当時は、女性との間に合意があったと思っていたという意味でこの言葉を使っていたからだ。それは私が誘った時に、相手がYESと言ったかどうかというごく単純なことで判断していた。そしてそこには、自分と相手の立場上の問題を推しはかる意識はなかった。

そのときは私は気づかなかったが、「#MeToo 運動」は、同意や合意という言葉を、闘いの中心に置いていたのだったと、私はのちに知るようになる。

「まず謝罪を」という声

『創』に発表した私の文章に対して、共感を示してくれた人もいたが、「事実確認と謝罪がない」と批判を寄せる人も多かった。実は『創』の原稿は事前に何人かの知人に見せたが、私の草稿を評価してくれた人の中には、被害者救援に携わっている女性たちもいた。そして『創』の私の記事に対して「事実確認と謝罪がない」と批判が寄せられたことには、納得できない人もいた。なぜなら私は原稿の最後に、「事実確認と謝罪」は次号で、と書いていたからである。

といっても私は、私に謝罪をまず要求するべきという人が多いことを知った。そしてその人々は週刊誌記事がそのまま事実と考える人々だった。私は「まず謝罪だろう」と言われても、週刊誌に取り上げられた女性の証言は、週刊誌の意図だとは思うが、事実との相当大きな隔たりがある場合もあるというのが、私の認識だった。そして「まず謝罪だろう」と考える人たちが、そうした「まず事実確認をおこなう」という考えを許さないだろうことも容易に想像できた。事実確認はするまでもない、とその人々は確信をもっていたと思う。

そして前にも述べたように、私を批判する人たちは「事実が何だったのか確認すること」を求めたのではなく、「週刊誌記事に書かれたことが事実だと認めること」を求めていたのだと、私は気づき始めていた。

つまり私を批判する人々にとっては、被害者が「事実」だと言っていることはまず信じるべきで、疑ってはならないことなのだった。「まず被害を訴える人を信じること」が大切だと考えるべきだということは、多くの運動で確認されていた。私に求められているのは、それを認めることだけだった。しかし私にはそれができなかった。

同時に私が記事に一部でも事実だと認めることができない箇所があると主張することは、周囲の人々から「二次被害を生む」と言われていた。このような状況の中で私は、『創』の1回目の原稿には事実確認についての記述を入れないと決めた。それで原稿の終わりに、次号の『創』の2回目の記事で「事実関係を確認し、そのうえで女性たちに謝罪したい」と書いたのである。

しかし「#MeToo 運動」やフェミニズム運動、被害者支援に取り組む人びとの多くは、私が自分の考えを述べることを、被害者を傷つけるとして許さなかった。やがて『創』に私が意見を書いたこと自体が「二次被害」であり、「セカンドレイプ」にあたるという批判が大きくなっていった。結局私は「2回目の文章は『創』誌上には出さずに、デイズジャパン検証委員会に提出したい」と篠田編集長に相談して、了解を得た。理由は、事実関係についての私の意見を掲載することは、『創』と私へのさらなる激しい抗議を引き起こすと考えられたからだ。それは「抗議」というよりも「糾弾」という言葉の方がふさわしかった。かといって事実確認抜きの謝罪は、私にはできなかった。結局、私はわかる限り詳細な報告を書いて、検証委員会の金子委員長に送った。


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