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14.昔とは大きく異なる学生の姿、なぜそうなったのか


大学の変遷

私が大学に入学したのは1968年、この年の4年制大学への進学率は13.9%だったが、団塊の世代最後の年で18歳人口は236万人もいたため、新入生の数は33万人だった。この当時大学は急速に「マンモス化」した。大学は急速な学生数の増加に施設整備が追い付かず、授業のほとんどは大教室で大人数、1年の語学クラスでも1クラス60人は当たり前だった。90分授業で先生が30分くらい遅れてくるのはざらだったし、休講の補講もほとんどなかった。
当時の大学は1,2年が一般教養と語学、3,4年が専門科目とゼミだったが、私も含めて当時の学生は、特に3年なるとほとんど授業には出なかった。たまに大学に行っても麻雀の相手を探すだけ、試験の時に初めて先生の顔を見るという体らくだった。今でも年配の経営者の中には大学時代自分がいかに勉強しなかったかを自慢げに語る人がいる。
大学はレジャーランドと揶揄されるようになったが、この状態は今の学生の親御さんが大学に入学する1990年ごろまで続いたように思う。この年の大学進学率は24.1%、18歳人口は203万人で新入生数は49万人だった。もちろん設備は充実し(大学設置基準で年々厳しくなっていった)たが、学生の状況は(教育内容も)それほど変わらなかった。というのも、1968年と比較して学生数は151%になったが、大学数は132%しか増えなかったのも一つの理由だ。今の経営者も保護者も大学に対してそのころのイメージを持ち続けている人が多い。

しかし今の大学はそのころのイメージとはまったく変わっている。いつ頃から変わり始めたのだろうか。1991年の大学審議会答申ではじめて「教員の教授内容・方法の改善・向上への取り組み(ファカルティ・ディベロップメント)の積極的推進」が登場し「欧米の大学で広く普及している」としてわが国でも本格的に導入していく必要あり、とされた。
この年以降の答申では再三「教育内容・教授方法の改善、定期的な自己点検・評価、組織的対応」(1994答申)や「全学的にカリキュラムの在り方を企画調整する組織の工夫、継続的な自己点検・評価体制の確率、第三者評価の導入、評価結果の外部への積極的な発信」(1997年答申)が打ち出された。しかしこの時期(90年代)に学生生活を体験された皆さんには、このような文部科学省の方針が実現されているという実感はあっただろうか。相も変わらず大教室での一方通行の授業、時間がたっぷりありアルバイトやサークル活動中心の学生生活を送ったのではないだろうか。多くの大学では教授会の自治などを盾に教員の間に変わること(文部科学省の言う教育活動重視)への抵抗があったことも事実である。

誰がなぜ、大学が変わることを望んだのか

自分は別に大学教育に不満はなかったし(ほとんど授業に出なかったので)、90年代までの多くの学生もそうだっただろう。新卒一括採用する企業は大学教育の内容には関心がなく、何を学んだかを問うことはなかったし、高校生や保護者、高校教員も関心はなかった。興味があるのは偏差値による大学の序列(入りやすさ)だけだった。少なくとも、70%を占める文系学生についてはそうだったはずだ。
しかし、文部科学省や当時の大学審議会は二つの点で懸念を持っていた。ひとつはグローバル化が進む中で欧米の大学教育との違いがこれでいいのだろうかということ、もう一つは進学率が上がり学生数が増える中で、今までの教育内容で十分なのか、それを大学に任せておいていいのだろうか、ということである。この時代、社会でもようやく大学がレジャーランドではまずいのではないか、という認識が生まれつつあり、文部科学省は対応を求められていたのである。

大学はいつからどのように変わったのだろうか

1998年の「21世紀の大学像と今後の改革方策について」と題する答申で以下の内容が打ち出された。
「教員は、教室外の学習は学生の自主性のみに任せるのではなく、例えばシラバスに明記する等の方法により学生が事前に行う準備学習や事後の復習、レポートの提出などについても十分な指示を与えることが教員の務めであることを十分に認識し、自覚して授業の設計を行うことが必要」
「各大学は、個々の教員の教育内容・方法の改善のため、全学的にあるいは学部・学科全体で、それぞれの大学等の理念・目標や教育内容・方法についての組織的な研究・研修(ファカルティ・ディベロップメント)の実施に努めるものとする旨を大学設置基準において明確にすることが必要」
このころから文部科学省は大学設置基準の改訂や補助金によってこれらの答申の具体化に向けて指導あるいは誘導を行い、ようやく大学は変わり始めたのである。並行して大学内ガバナンスの改革も推進した。すなわち学長、学部長などの執行機関、評議会や教授会などの審議機関の権限と責任を明確にすること(特に教授会の役割の限定化)に取り組む方向に誘導した。そうしないと大学の特殊性(教員の独立性が強い)から、なかなか文部科学省の考えるような変化が起きにくかったのである。

大学の変化にはもう一つの流れがある。それは教員の側からの教育改革である。1990年に開学した慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)は大学業界に大きな衝撃を与えた。設立者の一人加藤寛先生によれば「三田の古い体質の影響を受けたくなかった」とのことでそれまでの大学にはなかったコンセプトのもとにキャンパスと教育内容が構想された。また、1991年にそれまでの一般教育学会が大学教育学会に変った。これを契機に欧米から大学教育に関する様々な新しい手法が紹介されていった。文部科学省はファカルティ・ディベロップメントをする方向に誘導したが、その中身はこれらの先進的な方法の紹介だった(ただし、90年代はまだまだ既存のやり方に固執する先生が多く、新しい試みは多くの抵抗にあった。先駆者になられた先生は大変な苦労をされたことだろう)。
大学が本当に変わり始めたのは2000年代も中盤を過ぎたあたりからだと思う。例えば私が大学教員になった2008年でも、まだ建前は半期15回の授業も実際は13回程度しか行われていなかった(その翌年くらいから授業は厳密に15回プラス試験をやるようになった)。

今の学生は昔と違って忙しい

今の大学の学生はどうだろうか。まず出席が厳しい。多くの大学では授業の三分の一以上欠席すると試験を受けることはできない。レポート試験でも提出が認められない。出席はICチップを埋め込まれた学生証を教室内の機械にかざすと自動的に登録される。一つの科目の人数が少ないため、他人の学生証を預かって代返しようとしてもすぐばれてしまう。機械は15分でストップするためそれ以上の遅刻もできない。教員は学生の出席状況を自分のパソコンでリアルタイムで把握し、出席状況の悪い学生に注意することができる。例えば金沢工業大学などでは定期試験そのものを廃止している。成績は15回の授業の平常点だけでつけるため、学生は休めない。
大学の授業1単位は15時間の講義プラス30時間の自学自習が基準である。自学自習といっても学生はなかなか自分で予習復習はしないので多くの先生は課題を出す。単位に必要な学習時間を厳密に確保させるためである。そのため学生は課題に追われている。
今の大学の授業は(マンモス伝統校では昔通りかもしれないが)大教室の一方通行ではなくアクティブラーニングやPBL(プロジェクトベースドラーニング)など能動的に参加する必要がある授業が多い。それらの授業ではグループワークが多く、場合によっては授業時間外にグループで集まってプレゼンの準備などをしなければならない。
つまり今の学生は昔と違って忙しい。だから1学年で取れる単位数の上限が決められている。ある学年でさぼって次の学年で取り返す、というようなことができないのだ。
最近は必修科目、選択必修科目を増やすことで学生の自由な科目選択を狭める傾向にある。これはディプロマポリシー(卒業時に学生が身につけているべき学習の成果)を設定するとおのずと学習内容が限られてくるからである。履修の体系性を示すための授業科目相互の関係や学習の道筋を示すカリキュラムツリーが作成されているので学生は目指す成果のために体系的に履修しなければならない。ということは、授業の空きを埋めて登校日を少なくしたり、朝1限やバイトのために5限はとらない、といことが難しくなる。
皆さんが学生だったころとはずいぶん違うと思うがいかがだろうか。当然ながら教員も昔より教育に関する負担が大きくなっているのである。
専任教員を目指す方は文部科学省の「教学マネジメント指針用語解説」を読んで勉強することをお勧めする。
https://www.mext.go.jp/content/20200206-mxt_daigakuc03-000004749_005.pdf

写真はある日のFD(ファカルティ・ディベロップメント)研修だが、何をやっているかというと学生から聞き取った24時間×1週間の生活モデルパターンを見ながら課題の出し方を研究しているのである。あらゆる先生方が自分の都合だけで課題を出しまくると学生がパンクしてしまう。だから先生方で課題の出し方を調整しようというのだ。専任教員はこんなこともやっているのである。


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