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【推しの子】なぜアイはカミキを愛せないのか?

はい…シラヌイです。
推しの子は現在進行形で色々と倫理的にも、展開的にもヤバい方向に進んでいますが、今一度『15年の嘘』とは何なのか?について考察【妄想】してみます。
この考察は、今まででてきた要素を踏まえつつ漫画としてのシナリオ展開の個人的な妄想を絵に書いたような考察を行っているので、本編にでていない情報はすべて妄想で補完します。

本記事はネタバレWARNINGなのでお気をつけください。

まず、冒頭で書きました
『私は君を愛せない』
とはどういう意味で言っているのでしょう。

なぜ愛せないのか?

これはアイの恋愛哲学でいうと

『あなたは私を愛していないから私はあなたを愛せない』

となります。
理由としては彼女は『返報性の原理』を支持していて、自分のことを好きになってくれる人が好きという性分なのは45510にて語っていましたね。

そして、これまでに登場しているカミキは自己防衛の為に社交性仮面を被り、自分が傷つかない為に生きていくには自分の本性を見せずに自己を抑留し生きていく自己犠牲で他人との関わりを持とうとする悲劇的な性分を持っています。

これはアイも同じく、自分が傷つかない為に他人に合わせをせざるを得ないという惨めな生き方をしています。

①二人の共通点

二人に共通することは『容姿が美しい事』と『家庭環境が悲惨である事』ですが、『容姿が美しい事』は二人にとって武器でもあり弱点でもある部分ですね。
容姿が良ければ人から注目されるが、その分嫉妬心から言われない攻撃を受けてしまう。
人間の醜さを一手に受けて育った二人は、奇しくも芸能界のドアを叩いてしまったのです。

芸能界は欲望と美が集約される人間の負の感情の坩堝な訳ですが、そこにいて家庭環境の悪い二人が無事でいる筈がありません。
メンタルヘルスは当然悪辣な方向へ雪崩れ込み、
アイはアイドル仲間から鼻つまみものにされ
カミキはその容姿から法廷強姦を受けています。

彼らの出会いは同じ地獄と向き合った者同士、嘘をつく者同士の通じ合いから仲は深まっていき、ゆくゆくは交際中の行為によって妊娠することになります。

② 二人の年齢差からくる関係性の違い


アイとカミキは一歳違いで、アイの方がお姉さんです。なので、アイはカミキを弟のように可愛がっている姉ムーヴを行っていました。
アイはカミキが姫川に犯されていることを知り、姫川母を詰問しその凶行を辞めさせました。
他にもカミキに演技レッスンをしてもらったり、カミキをご飯に連れていったりと何かと世話焼きな様子を見せていますね。

カミキはアイに惹かれる要素が多いです。
しかしアイはどうでしょう?
カミキに同情しているから、色々とつれ回して挙げたり、姫川母から救い出していると思うのですが、そこに恋慕が有ったのは間違いなでしょうね。

③アイもカミキもお互いに好き同士

アイとカミキはお互いに恋慕を抱いているものの、過去のつらい経験から好きだと言い出せ無いでいた可能性があります。
アイが大人の顔になったという鏑木Pのセリフから分かるように、アイはカミキを男として見ていたのは間違いありません。

カミキもアイもお互いに好きではあるものの、もしも告白して振られてしまうとという恐怖からお互いに牽制し合うまま何も進展しないというのが恋愛漫画における定石ですよね。

しかし…カミキは違った。

④ アイの妊娠

お互いに好きな者同士、当然牽制はしている為に向こうがこっちを好きなのは自明の理な訳ですがそれを確信に変える為に人は相手に告白させるという手段を選び選択権を得たいのです。

アイとカミキはなんらかの弾みでキスをすることになります。
しかしアイにとってははじめてのキスでも、カミキは姫川にレイプされているのでアイと性行為寸前までを行おうとしてしまう。
アイはそれを受け入れそうになるが、理性が働いて拒絶する。

このギリギリ臨界点寸前なアイとカミキの恋愛模様はお互いに幼い中学生だからこそ起き得る幼稚さからくる危うげなものと思われる。

恋愛漫画的には、ここでまた一度距離が離れてそこからもう一度くっつくという流れになる為に二人はお互いに自問自答を行うクールダウンタイムが設けられる。

アイはカミキを男として見ていてますが、それを好きな証拠であるかと問われるとどこか違和感を覚えるのではないだろうか?
アイにとっての好きは自分を好きになってくれる人のことを好きになるという単純なものな筈。
しかし、ここでカミキを受け入れるとカミキのやりたいことやカミキを本当の意味で救うことにならないと考えてしまいがちです。

アイはやはり善人な性分な筈です。
一方カミキはどうだろうか。
カミキは自分を救いだしてくれたアイのことを好きになっていく、しかし彼にはアイ以上に危なげな部分が見えかくれしており自分を持っていない為に相手の行動に流されて自分のしたいことを後回しにしてしまうという悪癖が強く出ています。

アイとカミキは年齢的な精神構造の成熟さの違いからか、アイの方がカミキを導く立場を取り彼女は精神的に大人になっていきます。カミキはそれにつられていくだけで、大人になっていません。
だからこそアイはカミキを愛しているから、性行為事態行うことはやぶさかでは無いが、カミキに取って未成年ながらも破滅的な恋愛を行おうとする彼をアイは本心では受け入れられないのです。

アイは妊娠することを本心では望んではいなかったがカミキのことを好きだからこそ受け入れることにした。


大人になったとは

しかし、その行為はカミキを好きになれなくなる要素となって彼女自身が選択せざるを得ないモノだった。
好きだからこそ、その選択を行えば嫌いになる。というジレンマや二律背反は恋愛というゲームには付き物です。アイはやはりまだカミキを子供として認識していたのでしょう。

アイはカミキと性行為をしたくない、しかしカミキはアイと性行為をしたい。
その齟齬はどちらかが折れなければ収まらない事態へと発展し、カミキを傷つけたくないからこそアイはその行為を行うことを呑んだ。

それが口火となって彼女は彼の危なげな側面を理解し、彼が本当に意味で成長することを望んで好きだからこそ

『私は君を愛せない』

と別れの言葉を口にするのです。

アイは子供を妊娠することになりましたが、堕ろす選択は当然善人な彼女には存在しませんでした。
アイはカミキを好きになった時から、彼を受け入れる覚悟を持ち自分を受け入れた。

⑤ たられば

もしもカミキが大人で、アイの感情を本当に理解したのであれば彼女の言うことを聞いて彼女が嫌がることをしなかったのかもしれない。

カミキは自分が愛しているのに、愛さなかったアイを許せずに復讐を行ってしまった。
その幼稚さを自問自答し、自分に復讐してくるであろう子供達にどう向き合えば良いのか?それを考えなければならない。

もしもカミキが子供のまま成長していなければ、アイに執着しそれを邪魔立てする人間を排除するだけの生き方を選ぶ。

しかしカミキが大人になって成長し、なぜアイが自分を愛せないと言ったのか。その理由を理解し、アクア達に贖罪を望む。

【罪が無くなれば、人は何を贖罪すれば良いのか?】


『罪』と『罰』は等号では無い。罪というのは人間が作り出した形而上の概念であり、処罰感情、遵法精神、生存本能からくる攻撃性の言語化。

人類は産まれながらに罪を背負って生きていく、それを都合よく解釈し書き起こし自己保存の意識に当て嵌めて法律を作り出した。
しかし一方では、処罰されない罪という歪が産まれているのも確かである。

いつのまにか人類の共通化した意識が、さらに進むにつれて形骸化し我々を縛る筈の絶対ルールは朧げに淡く霞を帯びている。

人でなければ罪など無く、深層意識の中の罪悪感も無ければそれは生きる行為の輪の中にある。
行為を反芻するのは罪を実感したいからで、罪を償え無いことを何度も確認できるからである。

ではこの男。罪が無いのだから、一体何を贖罪すれば良いというのか?

⑥愛の形

人は誰かを愛する時に、その相手からも自分と同じような愛を返してもらえるとは限らない。

アイドルはファンを愛している人、金ツルだと思っている人、それは仕事としてでの側面もありわざわざ自分の為に推してくれるファンの為にどこまでできるのかは一線を引くしかない。
ファンはアイドルにガチ恋したり、上から目線の顔ファンだったりとそれぞれの愛の形がある。

『永遠の愛』は無くても『真実の愛』はある。
恋愛というゲームを用いて人々は本当に好きな人に、真実の愛があるかどうか確認して契約として具体化し処理して形而上の存在を具体化しようと努めたがります。

お互いの全てを晒け出し、お互いの全てを理解しあえたら真実の愛を掴むことができる。そう思う人は多いと思います。しかし実際の人間という生き物は歪みが多く、完璧な者など存在しえない不完全な生命体です。だからこそ、好きになって貰いたいから嘘を吐きその嘘を本当にしようと努力して未熟な部分を隠し成長を自立的に促すのです。

そういう誰にも見せられない部分を人は痩せ我慢や、恥部と言うのかもしれません。
全てをさらけだすには、人間はあまりにも不完全すぎます。

未熟な人間しか存在しえないこの世界において、一体誰が最初に真実の愛を証明することができるのでしょうか?
それはクロネッカーの青春の夢のような、人類最後の難問に近しいでしょう。未成熟さはたとえ100年生きようと、消失する者でも無い為、この『愛』という歪みの正体は人類の永遠のテーマなのです。

結論『15年の嘘』とは

『15年の嘘』とは15年前についた嘘。
アイがカミキを愛せないというのが嘘で、愛しているからこそ愛せないという婉曲的な表現だったと気づくことができる映画となるのだ。

そしてそれはカミキを試す映画でもある。

これはさらに妄想ですが。

アイはカミキに本当の意味での愛【アイ】を知って貰いたい。
アイと愛は即ち、自分の全てをさらけだすからあなたも私の全てを理解して欲しい。
そしてそんな意地悪で我が儘な自分を、変わりたいと勇気を出す自分を愛せるようになりたい。

恋愛という相互扶助のゲームの中で、お互いに自分と相手を愛せるようになればまた一つ人は真実の愛に近付くことができるのかもしれない。

『愛して欲しいから、愛せない。
愛したいから、愛せない。
好きだからこそ、私は君を愛せない。
そんな強情な私をそれでも好きだと言ってくれるのなら、いつか自分を本当に好きになれる日が来るかもしれない。』

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