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山の暮らし 梅雨の季節

2024年6/23~7/5まで,小院瀬見にいたときの記録


1. 田

衣手ころもでや 梅雨にぬれつつ なえいそだつ

りゅっぢ

3人で田植えをした.水の深度を調整し,田植え機を操作し,柄振で田をならし,苗の補給や植えなおし,手植え,片付けが一連の作業.

自給用の田仕事が土地への隷属的作業では無いことを知ったのは,昨年の玄米を食って仲間と土地と季節と共に生きる喜びを実感したときであった.

他にも,餅にする古代米:赤米,黒米,緑米を植えた.餅付きは人手がいる.楽しいから人手がつく.

4条植え

今度は「田が余ってないか」と訊いて辿り着いた田.山からの一番水を引く.鍬で田おこしをしながら苗を移植した.機械化してない分整った感じがしなかったが,これでも毎年米が稔る.品種改良の恩恵か,地力があるからか.

手農業

2. 草

刈払かりはらい機で山に住む税 仮払い 鹿猪田ししだのくにの つゆ知らずとは

りゅっぢ

江ざらい.山道や法面の草・木刈り,刈った草木を捨てる,水路を清掃すると言う作業が必要.実に広範囲に手を加えた結果,清々しい風や水が通るようになった.

この集落の住民は8人だが,沢山の協力者が集まった.

電柵設置
耕作放棄地を2年かけて田んぼに戻すために,法面の草と木と竹を切って,猪の被害を防ぐために電柵を設置した.4日がかりで完成.3枚の棚田.水路の下流に自然栽培米がある以上は除草剤散布はできない.除草剤や農薬を使わない地域なので,色々な生き物がいて楽しく裸足で田仕事をするのが心地良い.その分労力はいるが,そもそも田と共に生きるのが目的だ.スタイルには適した生き方がある.平地に近づくにつれて市場に流通する機械や化学物質に依存したスタイルになり,人と田の距離が大きくなるように見えた.同じ山間地域でも隣村同士でもそのスタイルには大差がある.現代社会の影響が隅々まで浸透した今,そのスタイルは人の思いによって成立し,それは除草という労によって具現化されることを数日間の除草によって知った.

何本か支柱が見えるのは,電柵の一部である

3. 梅

熊のやま 人住まねども 梅実りけり

りゅっぢ

70年前まで100人くらい住んでいた集落も,すっかり人がいなくなったのだけれども,この集落には梅や柿,栗といった,昔の人が植え育てた木々が生い茂っている.かつて人が棲みそれを生きがいにしていた様に想いを馳せる.

梅は高い所になるので,手が長ければ良いのに.

梅ジュースと梅酒をつけた.一番好きな養蜂家の友達が大量の蜂蜜を提供してくれた贅沢な様は,酒池密林を髣髴とさせた.ベースの酒は清里町のじゃがいも焼酎の原酒
日々田んぼや養蜂の仕事を手伝っていたことを労っての蜂蜜だろう.
信頼関係を築くには多大なコストがかかるという箴言は,山では見事にシンプルに実感できる.利害関係を超えた友という感性がしっかりと根付いている.生きる(働く)ために食べ,食べるために生きる(働く)というトートロジカルなライフスタイル由来だろうか.

4. 蜂

したたる 蜂蜜の味 どんな味

りゅっぢ

養蜂をすると,蜂との対話や蜜源植物の観察など田畑とは別の世界を知ることになる.1週間でも蜜を絞る時期が違えば花が変わり,蜂蜜の香・味・色・粘度に影響する.
そうやって,絞った蜜を味比べして細かな季節の変動を実感するのが愉しみなのだ.

養蜂によって得られる主な産物は,蜂蜜,蜜蝋,花粉,プロポリス,蜂の子で,そこから蜜蝋キャンドルや蜂蜜クリーム,蜜蝋ラップといった加工品を作ることもできるから面白い.

5. 酒

この酒は 計画も取りあへず ほしいままに 木の実あつめ 医王山いおうぜんのまにまに

りゅっぢ

自ら採集したものを酒につけるという放蕩.いま採集可能な植物と相談しながら,香りの掛け合わせを考えて,呑んだ時に結果を知る.取り立てて知識はないので,色々と香りを嗅いでみて,好き勝手やってみる.香りの質は間違いなく良いに決まっている.
榧の実,芹の茎と根,山椒の実と葉,プロポリスをつけた.ベースは清里町のじゃがいも焼酎原酒.それぞれの量のバランスが大事だ.プロポリスはごく少量だけ入れたのに,主張が強すぎた.あるいは,山椒感が少ない.揮発性の香りが抜けてしまった感がある.
今週末東京民に提供してみよう.
また,酒ではないが野草茶の季節として,種々の野草をとってきて茶にした.

6. 食

鮎鰻 鹿猪ししに山菜 米に味噌 生命いのちの中心に 山の水あり

りゅっぢ

山の水がうまいから,何でもうまくなる.
ここ周辺ではご飯に味噌汁という世界で生きている人が多い.朝でも昼でも,とにかくパパッと作れるのがこれらしい.自作の米を食ったり,自作の梅干しや漬物や味噌をアテにするのが良い.

「龍の瞳」という玄米に,箸濡らしのつゆ,辣韮と梅干し,昆布と山椒の佃煮.

 最近は朝のご飯を二杯食べる.一杯目が猪茶漬け.二杯目が梅干し茶漬け.熱い煎茶をかけると猪の出汁が良く出る.庭先に山椒が生えているのでよく利用する.

猪肉の山椒煮
鮎の炭火焼きを,鮎の炊き込みご飯とともに食った

猟師の友達が熊肉をくれたので,熊の味噌鍋やビール煮込み,出汁をとって熊蕎麦を作った.

熊肉炭火ジャーキー

ところで,私の知る限りではスーパーの食材中心の食生活をする人もあれば,大量の保存食を小出しにしながらも自身で狩猟採集・農耕牧畜をする食生活をする人もある.これは重要な違いなので前者の食生活をPとして,後者をP'として一般的傾向として話を広げたい.世の中の主流はPである.山に住んでいるからといって,全員がP'なわけではない.P’は丁寧な暮らしを心がけた環境倫理性の高い人種だが,工業社会の都市生活においてコストの低いのはPである.P'は自ら作ったりアレンジすることを好み,食に関するコミュニティに属しているが,Pは無頓着である.
下水道などのインフラが未発達な山でPの生活をすると,人口密度が閾値を超えた途端に環境のレジリエンスを超えて環境汚染へと向かう.つまり,山が観光地化したり住民が例えば数十倍になった世界線では,山の恩恵は限りなく小さくなる.
私の住む小院瀬見の面積は約5.2km²で,縄文中期の人口密度は多い数値を取って100人/100kmとすると,縄文中期水準での狩猟採集生活の人口はおよそ5人になる.弥生時代には農耕牧畜の恩恵でその3倍になったので,せいぜい15人がこの地域のP'型の生活可能人口ということになる.現代社会の文明の恩恵には,農耕の生産性向上といった収容可能人数の増加要因がある.一方で,現代社会の弊害として,川が枯れたり汚れたり等の人口の割り引き要因もある.人口は多すぎても少なすぎても持続可能ではない.多すぎると環境汚染につながり,少なすぎれば地域の退廃につながる.まあ30~50人程度が適しているのではないかという見立てが実感としてある.
現在の小院瀬見は,確かに人が少なすぎるが,それに甘んじずに洗剤の種類等の環境負荷には常に気を使うべきだし,食材に関しても季節と共に暮らす楽しみ方をしないとセンスが無いと思う.スーパーの食材に金を使うということは,山の地域の人ではなくて平地の農耕民に金を流出するわけだから,循環しない.平地の人が山に金を使い,山の人は山の仲間内で金を循環するくらいで無いと,やっていけない.

7. 翁

吾妻建ちの 翁と蛍 ここにあり

りゅっぢ

ここらの民家を訪ねると,驚くほどに似たような雰囲気がある.囲炉裏や仏壇の配置,重厚に見える扉と取手の紋様.なかでも,外見が下のような家は特別に吾妻建ちと呼ばる.この集落で生まれ子供時代を過ごしたSさんに,地域の昔話を聞いた.
平野のためのダム建設は川の水量を減少させたし,熊や猪が出るようになってから野外で遊ぶのも億劫になったし,兎がいなくなって兎を追う遊びも無くなった.
そんな中,蛍が見れたと言って喜んでいた姿が忘れられない.アズマダチの縁側で,庭先の田畑や木々を背景に,数は少なけれど蛍が飛んでいたと.手に乗ってかわいかったと.この話を聞いて後日うちも熊を覚悟で外へ出てみた.蛍が庭先に数匹飛んでいた.

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