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仏教(日本的な仏教ではない)からクールな生き方を学ぶ

少し悩んだり壁に突き当たると、私はなにか背中を押してくれるような本を読みたくなります。
それは自己啓発本でも箴言集でもなんでもいいのです。
そのなかでも私はたまに仏教の原典を読むことがあります。

なぜ仏教の原典かというと、その本にはクールな生き方が書いてあるからです。
すなわちブッダが説いた人生の生き方です。

この本は生前にブッダが弟子に説いた言葉が書いてあります。
当時はメモなどをする習慣がなかったため、口伝で編纂されたという経緯があります。
そのためどこまで真実かは不明ですが、勇気がわくような言葉が多く載っています。
たとえば以下の言葉は私が好きな言葉です。

悪魔パーピマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」
師は答えた、
「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うことがない。」

ブッダのことば 第一蛇の章 p17より引用

おそらく普通の人の感覚は悪魔パーピマンと同じでしょう。
子供がいれば自分の子供の成長や成し遂げたことに対して喜びが生まれます。
このような感覚は普通のことです。
言葉では説明できません。
ただ子供が成長していくだけでも、親としてはうれしいものです。

ですがブッダは違います。
ブッダは子供がいるから心配ごとが多くなり、気が沈んでしまうのだと言っています。
つまり子供がいるから自分たちは苦しむのだと言っています。
悪魔パーピマンとは真逆の見解です。

親は子供の成長が無条件で嬉しいものです。
子供の存在そのもが親にとっては喜びなのです。
ですがブッダはその子供の存在があるため、無用な悩みが生まれてしまうと言っているのです。

ですが私はこの言葉を知ってからすこし心が軽くなったような気がしました。
なぜならば子供とは自分の人生の一部でしかないと認識できたからです。
自分の人生の比重は子供に多く割り振られるが、すべてではないと理解することができたからです。

仕事が忙しくなかなか家族の時間を確保できない。
帰宅しても家事や仕事などやることが多くて自分の時間がない。
そうこうしているうちに、いつの間にか寝る時間にあっという間に1日が過ぎ去ってしまう。

こんなことは子供がいなかったときはなかった。
まだ独身だったときは、仕事が忙しくても帰宅してから自分の時間を確保できてました。
本を読んだりバイクをいじったり。
あまりやる気がないときはすぐに寝ることだってできました。
このような日々はもう帰ってこないんだなと思うことがしょっちゅうありました。

ですがブッダの言葉で目がさめました。
子供の存在はたしかに親にとっては大きい。
ですが全てではないと認識できたからです。

悪魔パーピマンの見解も私はわかります。
やはり子供の存在は大きいです。それは疑いの余地はありません。
子供と一緒に過ごす時間はかけがえのないものです。
一緒に過ごす一瞬がなにより幸せに感じます。

ですが子供のことばかり考えていると、自分の人生の目的を失ってしまいます。
子供に尽くすというならば何も言いませんが、私はそれでは寂しいと思います。
なぜならば自分自身をないがしろにしている気がするからです。

こんな感じでたまに『ブッダのことば』から人生を生きるためのヒントをもらうことがあります。
悩んだり壁にぶつかったときに開いてみると、冷たい水で顔を洗ったときのように目が覚める感覚を得られることがあります。
個人的には宗教書というよりはどちらかというと哲学書のような感じで読んでいます。


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