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潰れたTSUTAYA

 歯石を取りに行った初めての町医者で、台の上に座り宙に浮かぶ明るすぎる光を見つめながら、歯医者さんに永遠と映画の話をしてもらった。してもらったと言っても、私は映画に関しては気になったものをふらっと映画館に見に行くぐらいのにわかだったため、話している内容に関してはよくわからなかった。現代の映画も、オーディションも、映画のあるべき姿も分かんなくて、適当に相槌を打っていただけだったから、会計を済まして帰る時に、焼き増しのカラダさがしのDVDを渡されて困惑した記憶がある。その場しのぎの軽率な判断のせいで、DVDの焼き増しというプチ犯罪の片棒を担がされたのだ。自業自得だ。
 ただの有象無象の貧乏学生の私の家にDVDプレイヤーなんてものはなく、どうせ見れないし断ればよかったと思ったのだが、受付のおばあさんの一ミリも悪気もない善意に負けて、気づいた時には手に受け取っていた。町医者の古びた扉を開けてタバコをつけるまで、私は手元に握られた焼き増しのDVDを見つめながら歩いた。私の家では、それはなんの映像も流れないただのプラスチックの円盤でしかなかった。ただのプラスチックの円盤。歩く度に感じる底が切れ始めたコンバースの底。タバコを吸おうと、親指に誘われて摩られるハイライトの先。まだ売価も価値も0円のDVD。それを握りながら歩いた。
 そのDVDの円盤を見て、子どもの頃、祖父母がなんでも好きなのを選んでいいよ、と言いながら連れて行ってくれた近所のTSUTAYAを思い出した。年齢も一桁台のクソガキ、ビデオからDVDに変わって薄くなったパッケージ。店の天井から垂れ下がってるポップアップも、それと同時に現代風になって、お腹が痛いとよく閉じこもっていたトイレも和式から様式になっていった。身体も脳みそも小さい当時の自分にとって、そのTSUTAYAは外国を見ているような気分で、読めない漢字がたくさんの本も、ポケモン以外知らない作品のビデオやDVDも、行ったことのない2階まで続く階段も、全てが新鮮で、全部楽しかった。祖父母が、毎回ポケモンのDVDがある場所にちょろちょろと動く俺に続いて笑いながら後をゆっくりついてきた。笑ってない顔を見たことがなかった。多分、愛されてた。数年後、そのTSUTAYAは潰れていた。そのときはもう、なんとも思わなくて、横目でそれを見て、すぐに目を逸らした。たくさんの感情を沸かした場所がなくなることに、もうなんの感情も沸かなかった。

 あの当時の祖父母がくれた愛情と、平成が彩っていた中途半端な心地よさとダサさは多分本物で、それを手の中の焼き増しのカラダさがしのDVDを見て思い出した。タバコの燃えカスと共に消えそうなそれを、ただみっともなく思い出して、家に帰ってから、捨てようと思っていたそれをゴミ箱じゃなくて机の上に置いた。
 そのままベット上に座って開いた携帯のカレンダーだけ、優しさをなくしたまま、煌々とブルーライトを主張し続けていた。すぐに電源を切ってベッドの横に置いたそれを気にしないふりをして、眠りについた。

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