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質問力を鍛える【1】

セミナーや講演の終了時に「質問はありますか?」という問いかけに対し、誰も手を上げず、沈黙の時が数秒続くという光景。日本では普通にあることだ。しかし、海外の人からすると、大変理解しがたいと口を揃える。
質問に対する姿勢は、日本人と外国人の文化の違いによるものだと結論づける専門家もいる。果たして、それで済ませてよいだろうか?

何故、日本人は質問を苦手とするのか

複数の人が集まる場で、質問がなかなか出てこないのは、仕事上の会議の場でも同様だ。
会議の出席者が多くなればなるほど、その傾向が強い。しびれを切らした会議の進行役が、出席者に対し指名して発言を促すと、その人はやっと口を開く。しかし、大概そのような時に出てくるのは、自分の意見や感想にすぎないことが多い。
ここで読者は、あることに気づくと思う。我々日本人は、会議の場で質問することに慣れていないということに。
我々が学生の頃、授業中に質問できる機会は滅多になかった。小学校から大学に至るまで、できるだけ多くの知識を一方通行で教えられることで、学校の授業は成り立っていた。一部の要領のいい生徒だけが、授業のあとに先生を捕まえて、質問をしていたくらいだ。
例外的に、沢山の質問が投げかけられる会議がある。経営会議や営業会議だ。これらの会議では、社長や本部長が部下に対して、質問を浴びせ続ける。業績数字の状況や商談の進捗に関する質問だ。だが、それらの質問はいつも代わり映えしない内容であり、どちらかというとプレッシャーをかけるために質問している様に映る。
質問するには、一定の思考を必要とする。経験を積み重ねていけば、質問のスキルは通常上がっていく。だが、日本で暮らしている限りは、学生の間も社会人になってからも、敢えて質問しなくても困ることは滅多にない。質問する機会が少なければ、質問する力はまずついてこない。
加えて、質問する力がつかないと、回答する力もついてこない。これは、記者会見で答弁する経営者や政治家を見ていれば、容易に想像がつくことだろう。
我々日本人が質問を苦手とする理由、それは質問することを訓練する機会が圧倒的に少ないからである。

質問することが大切である理由

質問は会話の大前提だ。問いかけをすることで回答が返ってくる。その結果、理解が深まる。さらに次の問いかけに展開させることもできるし、質問者と回答者の立場を入れ替えることも可能だ。
質問は「私はその事を知りません。教えてください。」と相手に伝えていることと同じだ。質問によって、相手から即座にその解答がある。つまり質問は、新しいこと、未知のことを理解するための最も手っ取り早い手段なのだ。一人で考えたり調べたりする時間と労力に比べ、質問することで一気に解決できる。
知りたい・理解したいという欲求が旺盛な人ほど、質問を多く発する。質問は知的好奇心の表れだ。知的好奇心が高まれば、質問が自然と出てくる。これが、質問するということの大切な理由の一つである。
さらに、もう一つ大切な理由がある。質問の際には、相手のことを考える。相手の立場やバックグラウンド、質問が適しているかどうか、失礼な物言いがないかどうか、等々。質問は、相手のことを思いやることにつながっているのだ。
要は、「未知のことを知る、未知の人とつながる」ための有効な手段が質問であると考えてよい。

質問力をつけるために(次回)

「いい質問ですね」と言われるようになるためには、どうしたらよいだろうか。
質問に慣れている海外の人と、対等に会話をし、互いの理解を深めることができるようになるためには、どうしたらよいだろうか。
次回はそれについて、解説をしていきたいと思う。
質問力を鍛える【2】

FIN. October 1st, 2022


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