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#61 秋の幸せ/泖

【往復書簡 #61 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈ねえもっとよく見せて〉
水曜日:泖〈心にぽっかり空いた穴をふさぐ〉
金曜日:くろさわかな

心にぽっかり空いた穴をふさぐ

スイカが食べられなくなると、本当の夏の終わりを感じます。スイカが食べられる季節だから、大嫌いな夏だけど暑すぎる気温やモヤモヤした湿気、肌に突き刺さる紫外線を大目に見てやっていたところがあります。

でも、夏が終わるとスイカが食べられない。夏は嫌いだけど、スイカは好きというやりきれぬ想いが秋になるとわたしを埋め尽くします。

スーパーのフルーツコーナーには糖度の高そうなスイカは消え去り、その穴を埋めるようにブロック切りのパイナップルが並ぶばかり。わたしはスイカの代わりにパイナップルに手を伸ばしそうになりますが、「しかしパイナップルってずっと食べてると口の中がピリピリしてくるんだよな」という苦い経験が頭の中を横切り購入を思いとどまるのです。

しかし、わたしには ”秋の幸せ” がある。スイカと同等レベルに大好きな、”秋の幸せ” があるのだ。

わたしの ”秋の幸せ” は、毎年かなり唐突にやってきます。我が家での秋のおすそ分けといえば、この ”秋の幸せ” 。それは箱に丁寧に並べられていたり、なぜかA4書類が入るような封筒の中に雑然と入れられたりして提供されることが多いです。

一見地味な見た目だけれども、中身を知れば煌々と輝くかっこいい姿がお目見えします。まさに、わたしの好きなタイプ。インテリジェンスを感じます。地味(決してマイナスな意味ではない)な見た目とは裏腹に、瑞々しく詰まりに詰まった中身。その瑞々しさは、もはや水を飲んでいるのではないかと錯覚するくらいです。

一度中身を知ってしまうと、地味な見た目さえ粋になる。いつも身につけている皮もの。あの色の皮が似合うのは、きっとわたしの ”秋の幸せ” くらいなのではないでしょうか。
そして、わたしの ”秋の幸せ” を嫌いという人に、生まれてから出会ったことがない。そのくらい人望にも厚い、わたしの ”秋の幸せ” は、たくさんの人を幸せに導いているのでしょう。

秋になると、わたしの "秋の幸せ" にちなんだ商品が増えますが、やはり本家にはかないません。本家が一番です。わたしは未だに、"秋の幸せ" の、あの後腐れのないさっぱりとした、でもしっかりと感じられる甘味をきちんと表現できているものを知りません。わたしは幾度も "秋の幸せ" のそっくりさんに落胆し、それに比例するかのように本物の面影を探し、そして恋しさを募らせてしまいます。やはり、わたしは本物の "秋の幸せ" でなければ、この秋を生きれないと確信するのです。代わりがいないのです。ここまで "秋の幸せ" を愛することができることを嬉しく思う反面、もう後戻りはできないほど深く愛してしまったことを苦しく思います。

ただただ、今年の秋もわたしの側にいてほしい。そして側にいさせてほしい。

しかし、今年はまだお目にかかれておりません。
今年はいつ ”秋の幸せ” に会えるのでしょうか。

愛しています、梨。


追伸。
忙しさで目が回りそうですが、最近はわかめスープの美味しさと猫の無敵な可愛さに癒され自我を保っています。


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