薬に生かされている

ラツーダを飲み始めて変わったこと

生まれて33年、心療内科で薬を処方されたことはなく、風邪や腹痛のときに内科から処方された薬や、その他精神に関係する薬というのはほぼ飲んだことはないと言っては過言ではない人生を送ってきた。

変わってしまったのはここ数年

仕事上でのトラブルやちょっとした激務で心を痛めてしまった。
感受性が強い人間なので、他人の暗い感情や言動にも響いてしまう性格(今でも)なので、それが積み重なってしまい、今年の1月辺りで心のいろんな思いが溢れ出てしまった。
それから、色んな出来事にオーバーに捉えてしまう状態となり
SNSのニュースや、他人のつぶやき、知り合いの苦悩、家族関係、仕事のちょっとしたミス、将来の不安、過去の戒め。
そういったものがぐるぐる頭の中を巡ってしまい、その中でふと出てきた「死にたい」という感情が大半の時間を支配してしまうようになった。

そして出会った「ラツーダ」

ラツーダを心療内科で処方され、飲み始めた。1日1錠、食後に必ず服用。
そしてグレープフルーツは厳禁(まぁここ数年食べてないので気にならなかった)
この薬を飲む前は「楽しい」「辛い」の落差が激しく、激しく辛い時やしっとり辛いとき。激しく楽しく、しっとり楽しい。等。
すべての感情が極端に浮き沈みしてしまう状態であった。
そりゃ、人生が常に楽しいということであれば、放っておけばいいと思うが
常に楽しいときなんてありゃしない。辛いときだっていっぱいある。
ただその辛いが「躁鬱で言う躁」のときに来たときに、激怒したり、自傷に走ったりしてしまうのだ。
ましてや、体力がないとき何かを傷つけたい欲求に入ったときしんどくて動けないので、眼の前の自分を傷つけるというメカニズムに入ってしまう。
うつ病という中で「うつ状態」も確かに危険ではあるのだが「躁状態」もまた危険というのが、この数ヶ月で気付けたポイントかもしれない。

ラツーダを飲み始めたが、効いてない…?効いてる…?

薬を処方されてから、なんだか気持ちが穏やかになった気がする。
もともと喧嘩等する人間ではないが、突拍子もない言動をすることも多かったことから落ち着きがないという評価はできたと思う。
薬を適切に服用している間は、ある程度のニュースや、人からの評価や他の人の話をしている中で起きていた「心の中をぐちゃぐちゃと掻き混ざる衝動」が収まった。
「別人」のような感覚も少しあるし、自分自身を取り戻したような感覚にもなる。

ただ、それがどうも発揮できない日があり、その日は1日中死生観を考えながら仕事をしたり、ロープを買ったり(今は処分済み)、人間関係を終わらせようととんでもないDMを送ろうとしたり……まぁ笑えない行動が多かった。
薬が効いてないので耐性が出来てしまったと勝手に判断したり……
ただ、蓋を開けてみれば「服用」出来てなかったのである。
冷静に分析した。薬を飲むときの前に取った食事を。
穏やかに過ごせているときの服用条件は漏れなく「夕飯後」
やたら気分が落ち込んでいる日の服用状況は「アーモンド2粒」「チョコレート1欠片」等。
ラツーダは消化を促した状態で吸収する薬なので、空腹時や胃が機能していないときに服用しても意味が無いのである。
薬の服用について真剣に考える必要があったということである。

薬をきちんと飲んだ1週間のレビュー

耐性がつくとは思わないが、現状は非常に落ち着いている。
もちろん元気というわけではないのだが、日常生活を送るうえでは精神が病む前には戻っている感じはする。
そしてSNSについても距離をある程度置くことで、色んな気分低下を抑えている気がする。
何より、暗いことを書きたいという気持ちはそんなにわかない。
決して書きたくないというわけではないが、全然我慢できる。
楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、気になること
色んな感情が失われたわけではなく、それぞれがオーバーではないということが非常に大きい。
自分にとってのラツーダの評価は「狂おしいほどの感情を起こさない」こと。
些細なことかもしれないが、人間そんなにムキになってもいいことは無いのである。

何故死にたいのか

薬を飲む前(効いていないとき)の自分

他者共感が働き、他の人の暗い感情をモロに受けてしまう。
みんなは家庭を持ってるのに俺は未だにこどおじ
イラストが上手くいかない。ツイッターで嫌われてる(被害妄想)
暗いニュースが多くて生きててもいいことはないだろう。
カネがない(これは割と一番大きい)
過去の自分の犯してきた贖罪
人間関係の失敗(被害妄想)
仕事の将来の不安

これ以外もたくさんあるのだが、ざっと書き起こすとこんな感じだ。
まぁみんな悩み持っているものだとは思うが、時折道で楽しく歩いている子連れを見ただけで「あ、死のう」てなるぐらいには病んでいたので
薬を飲んでいる段階では「いいっすね~」程度で済んでいるので、やっぱり薬は飲んだほうがいいっすね。

悩み疲れて死という方向で思考停止してしまう。

疲れると「もういいや」となるのは誰でも経験はあると思う。
長距離走ったりしてると途中で止まって息を入れ直す。
中には途中でリタイアしてしまうことだってあるでしょう。
ただ、人間は走ることには限界があるし、誰もがフルマラソンを出来るわけではない。
メンタルでもそうで、人はどこかのタイミングで息を入れなおす。
立ち止まるなり、自分のペースで歩いたり、走り続けながらも耐えれる人など様々。
でも、途中で止まって白旗を上げても、係員が来るわけでもない。止まったら後ろに来る何かに踏み潰される噂を信じて恐怖に感じる人だっている。
休んでたらカッコ悪いと思う人だっている。
そうこう考えていくうちに、自分ルールで「リタイア」しようと思ってしまうのである。
学校のマラソン大会とかであれば、リタイアしたらいいとは思うが、人生と言う名のマラソンでそれするか?って思ってしまう。
だが、そのマラソンすらリタイアしたいと思ってしまうのが追い込まれた人間である。

しんどいを安直に「死」につなげてしまうのである。
シンプルな考え方である。

メンタルがやられている時は、止まれないマラソン大会と一緒

普段なら、止まるなり、あるいはペースを落とすなりすればいいのにメンタルが病んでる時は「止まる」という行動が制限がかかってしまっており、普通の人が休めるのに充分な時間や環境も「止まれない」状態に陥ってしまう。
休む時間環境つくりも大事なのだが、その時間を活かせるコンディションが重要なのである。
止まれないマラソン大会なんてない」という気持ちを持つことが大事なのだが人間そう上手くはいかないのである。

死にたくならないようにする自分なりの考え

まずは薬を飲むなりしてみる選択肢も入れる

なんでも薬に頼りたくない人もいるかもしれないが、どうにもならないときが来たとすれば……の話である。
自分もかなりメンタルをすり減らしたので、今は薬のおかげで死生観を抑え込んでいる形にはなってる。
その安定したメンタルの状態で前進するのが大事なのである。
なので薬は飲んでみてもいいかもしれない。状況を好転したいのであれば。

薬が効いてきたら、焦らず少しずつ前に進もう

ラツーダを飲むと「異常な焦り」「すぐに答えを出す癖」が収まった。
薬を飲む前には出来なかった行動を少しずつ回収していくことが出来れば
もしかすると、自分自身が持っていたコンプレックスも少しずつ解消できるかもしれない。
もちろん人間と言うには老いや病気には中々勝てなかったりするが
成長する糧でもあるので、年齢とかあんまり気にせず、自分が出来ることを少しずつ増やしていけばいいのかなと思う。
ただ、出来ない日を根性でやるのではなく、根性出さなくても出来ることを増やしていけばスムーズなのかな。
そのアシストに今のところラツーダには助けられている。

あまり深くは考えなくていいよ人生。でもちょっとは考えよう

人生は難しいことがいっぱいあるけど、みんながみんな難しく生きているわけではないし、シンプルに生きれば確定申告とか以外は割と誰でも簡単に生きれるように社会は設計されている。
~が出来ないから私は駄目だ。とかそんなことは気にしなくていい。
自分が~だから~である。とか英語の文法の勉強以外使わなくていいよ。

シンプルに考えよう。
でも、自分が死にたいと思った原因については、根底があるかもしれない。
でもそれは急いで答えを出す必要はないので、余裕が出来たときに考えたらいいんじゃないすかね。
余裕がないときに、暗いこと深堀りしても時間だけ過ぎていくから。
余裕がない時は、スマホを閉じて、さっさと凝って寝よう。
おやすみ
※ この記事はすべて一個人の主観です。

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