トランスジェンダー男性が「自分に戻る」とはどういうことか

僕は、20代後半でカミングアウトしたトランスジェンダー男性である。

僕は、カミングアウトした時、一番の切なる願いがあった。

それは、「自分という人間を取り戻す」ことであった。

それは、約20年間、自分として生きることを許されず、「自分」という人格が認識できなくなっていった一人の男性の心からの叫びであった。

そして、僕はカミングアウトすれば世の中に「自分」という人間が認識され、時間はかかれど「自分」というものがわずかながらでも取り戻せるのではないかと思っていた。

しかし、現実はそうは甘くはなかった。
周囲の人間は、カミングアウトしても目の前にいる人が性別のことで悩んできたらしいという情報を知るだけであり、「僕」という人間に関心を持つことも認識することもなかった。

僕は、自分でない人間として虚構の人生を20年歩むということが、どれだけ自分と自分の人生を壊していったのか段々と思い知ることになった。

もう少し、具体的な話をする。

僕はこれまでの20年間、自分がXY染色体をもたない男性として生まれてきたのかもしれない、という疑念を抱きつつも、いわゆる「自分らしく」生きてきたつもりであった。性別のことで苦しみを抱えていても、服装だけは自由に生きよう、好きなことをして生きよう、周囲が求めてくる「フェミニン」な言動はとらないようにしよう。

しかし、カミングアウトして社会的にも男性として扱われるようになってから、新しく出会った人、つまり女性として接した期間の一切無い人達と話すようになり、今までの自分ではとらないような言動や思考を行うようになっていった。これには自分でも驚いた。僕は、変に「男らしく」しようとしてこんな言動をとっているのか?これが本当に自分なのか?

だが、自己理解が深まっていくにつれて、それは「男らしく」無理して振舞っているのではなく、本来の僕という人間のやっていることだと分かった。そうして、僕は今までどれだけ自分が「女性として考え、行動し、振舞わなければ」と無理をしてきたのか分かった。その癖は、周囲がどうやら僕を「女の子」というものと認識しているらしいと気づいた4歳ごろから始まっていた。僕は、物事も自分が何者かもよくわかっていない頃から、自分が男性であるという性自認を捻じ曲げ、「周囲の人間は僕を女の子として認識している」という設定に合わせて会話・演技を行わなければならなくなった。

僕は、元来「男だからこうあるべき」「男はこうだ」「女はこうだ」とか「男と女はまるで違う生き物だ」などと思っている人間ではないし、少なくとも他人に対してそのような先入観を持って接する人間ではない。

しかし、たった4歳の男の子が「どうやら自分はこの世から女の子だと思われおり、女の子として見られることから逃げることはできない」と悟った時、別の生物として生きなければならないような感覚になった。それは、さながら犬が猫の真似をしろと言われいているようなものだろうか。

当時の僕は別の生き物になるため、必死で勉強した。周囲の女の子、テレビに登場する少女、女性を目に穴が開くほど観察した。(もちろん個人差はあれど)女性の思考の傾向や、女性が社会的に置かれている状況、ある状況におかれた時に女性が取る(とされているステレオタイプの)言動、女性に求められる言動。例えば、男子が騒いでいるのを見たら女子が決まって「これだから男子は!」などというお決まりの常套句から、おしとやかな口調で話す、といった立ち居振る舞いなどだ。そうして学習した「ステレオタイプの女性像」を元に、普段演じられる程度に自分の性格をミックスさせたある女の子のキャラクターを作り上げ、人と会話するときにはそのキャラクターを演じるようになっていったのであった。

自分の性格をミックスさせたキャラクターであったから、何とか24時間演じられていたものの、やがてその一部分は僕という男性からは大きく乖離していった。男女の究極的な本能の部分の性差までごまかすことはできない。それに、キャラクターのベースになっている「ステレオタイプの女性像」も、男とか女とかとは関係なく僕の素の性格とは異なるものであった。

しかし、20年も芝居を続けていくうち、やがて僕はその作られたキャラクターが自分そのものであると思い込むようになる。しかし、24時間のうち1時間くらいは本当の「僕」という人間が発現し、僕は混乱していった。男性同士の友情に嫉妬したり、男性器を無性に欲しがったり、支配欲に駆られたり。そんな時いつも自分に言い聞かせた。僕は女性のはず、この感覚は大人になれば消えるに違いない。これは自分ではない。

そうして時がたち、女性として扱われ、自分として1秒たりとも生きることができない苦しみが限界に達してカミングアウトした時、僕は冒頭に述べたような感覚に襲われた。僕は、自分が自分でなくなっていっていることを薄っすら感じながらも、それがどれくらいの程度なのか、どの部分が自分であってどの部分が偽りなのか区別できなくなっていっていた。

カミングアウトして数年が経ち、ようやく少しづつその区別がつくようになってきた。しかし、自分の中では明確な違いを認識しているものの、他人からその違いを認識することは困難であるらしい。カミングアウト前とカミングアウト後の僕の言動にほとんど変化がないように見えるそうだ。これは、僕がまだ演技を続けているからなのか、はたまた「女性」として認識されていた期間が少しでもある人の前では自分として振舞うことができないからなのかは定かではない。

しかし、僕は初心を忘れてはいない。僕がカミングアウトとした時に誓った「自分を取り戻す」という願いが実現するまで、僕はあきらめずに生き続ける。