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ご先祖様と麻と祈り。


その日の朝、さとうみつろうさんの
動画を目にした。

先祖の名前を「音波」振動で呼ぶと、
自分のDNAが震えるという研究より
https://youtu.be/_3Tmz6GKa2g
先祖の名前、言えますか?

さとうみつろうさん公式LINEより


母方の家系は現在叔母しか生きていないので、
祖父や祖母のことを聞いたりしていたが
そういえば父方の祖父祖母の名前、
知らないなと思い父に電話をしてみた。


すると、祖父の名前と、
生まれが長野県「みあさ村」だという
情報を初めて聞くことができた。

みあさ村?どんな漢字を書くのだろう、と
電話を切ったあと調べてみた。



美麻村
長野県北安曇郡に存在した村である。
2006年1月1日、隣接する八坂村とともに
大町市へ編入された。
村名は麻の産地であったことに由来する。

Wikipedia


なんと!美しい麻の村!!
なぜ、驚いたのかというと、
祈りの旅をスタートする2年ほど前から
急に精麻に興味を持ち、最初は1枚
取り寄せることからスタート
その後、束で注文し精麻箒や
アクセサリーを作るようになった。

最近では精麻を、友人が開発した
まこも墨で染色した世界でも類を見ない
最強アイテムが誕生した。



森羅万象 webshopにて販売中


美麻村は栽培の元祖であり、
慶安年間(1648~1652)には
栽培がされていたといわれる。

美麻・八坂方面で生産される麻は
「山中麻」の名で全国に販売されていきました。

あまりに需要が高まったため、
慶長14年(1609年)には他国から入ってくる
麻商人による「山中麻」乱売を
禁止する命令が出たほど。

美麻Wikiより抜粋


そんなに麻の栽培が盛んだったのに、
現在ではその姿を見ることはできない。
戦前、後で状況が大きく変わったらしい。


第2次世界大戦が始まると、軍需麻として
麻は統制品となりました。
良質な麻は軍用ロープの材料となり、軍艦の船体の鉄板の中に入れられ防弾用に使われるなど、非常に重要な役割を果たしました。


供出した麻は厳重な検査を経て直接軍関係機関に送られ、その反動で一般の売買は禁止されました。
当時、美麻産の麻の8割が軍関係で使われたことからも質の高さがうかがえます。

戦後は、次第に麻の需要が減り、麻栽培は昭和50年中ごろ美麻村から姿を消しました。
(美麻村村勢要覧 平成4年発行より抜粋)

美麻Wikiより抜粋



元来、麻は人々の生活に根付いていたもの。
それが、戦争の道具として使われ、
もちろんGHQに禁止された背景もあるだろうが
戦争が終わったら、必要ありません。

なんだか、やるせないなと思った。

大麻についてのGHQの記事はこちらを参照ください

こうして、本来の意味や意義を、今に生きる私たちは忘れ
悪だというレッテルを貼られたまま、
封印されて(奪われて)いる。


わたしは御神事をきっかけに、
麻(ヘンプ)の服を着るようになったが
麻は本当に氣持ちがいい。
温度や湿度も調整してくれる。

化学繊維にはない、植物そのものが
呼吸をしている感じ。


国内で麻を生産しているところは数少ない。
少し調べてみたら、雇うにはその土地に
住所があることが必須のため、
短期間でも外から人を呼ぶことは
現状、法律的にNGらしい。

故に、その農家さんが例えば高齢で動けないとか
怪我をして収穫ができないとかなったら
農家自体の存在が危ぶまれる。
(もちろん、他の農家でも起こりうるが
アルバイトやお手伝いには駆けつけられるはず)


今回、祖父の名前を初めて知り
美麻村を地図で開いた瞬間、涙が溢れ出てきた。
「見つけてくれてありがとう」
そんな言葉を感じたのだ。

とは言え、自分が麻農家になるかと言われたらハードルが高いし、
すぐになれるものではないけれど、なくしてはいけないものだと思う。


麻を通して祈りを、作品を生み出すことなら今の私にも出来る。
この記事でも書いたけど、祈りは暮らしそのもの。 
暮らしの中にこそ、ある。


日本人の生活に根づいていた麻の復活は、
自然と共にある本来の暮らし方そのものの復活でもあり
失われてしまった、人々の祈りという日常を
取り戻す鍵を握っているのかもしれないー


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