ベガルタ仙台 助っ人外国人列伝[2000~2006]

tkqさん、ジェイさんから火がついたこの企画。
流れに乗るしかないだろう!!!ということで、初のnoteでの投稿でございます。

FW:ロドリゴ[00年]

CFZ・ド・リオから来たブラジル人フォワード。
だからかわからないけど、ジーコの秘蔵っ子という触れ込みだった。
ゴールを期待されていたのだが、
開幕の湘南戦でデビューも何も出来ず。
次節からベンチから途中交代要員に。
その途中交代要員もすぐに新人だった大友に奪われフェイドアウト。
Youは何しに仙台へ。となった。無念。

DF/MF:リカルド[00年-02年]

ロドリゴと同じくCFZ・ド・リオから来たボランチ/CBを主戦場とするブラジル人
こちらは前年度鹿島で試合に出ていたので、安心安定かと思いきや、デビューの開幕湘南戦でいきなりの退場。
おいおい。と思ったがこちらは優良助っ人。
J2から昇格までは不動のボランチとして、ポイチが移籍後はCBとして活躍。
昇格、そして02年残留の立役者となったわけだが、
02年に事故を起こし、しかも無免許だったことが判明。
これが要因で契約満了。(これが03年降格の要因のひとつだったね)
その後リカルドはJ2昇格請負人として、広島、京都の昇格に貢献。

DF:ドゥバイッチ[97年-00年]

ブランメル戦士。00年で引退。シュトゥットガルトに居たこともあるCBというかリベロ。一応ユーゴ代表経験もある。
彼が居なければベガルタ仙台が無かったといっても過言ではない。
プロとは何か、チームとは何か戦うとは何かを教えてくれた選手。
キャプテンとして最終ラインから鼓舞し、特に余計なイエローももらったがそれでも、異国の地キャプテンとしてチームを引っ張る姿は頼もしかった。
なお、駅前で出会った時に恐る恐る声をかけたら試合では見せたことない笑顔で握手してくれためっちゃ良い人でもある。
僕らは彼を忘れちゃいけないのだ。

DF:ヴィエラ[01年]

U-17のブラジル代表経験もある堅実な守備が光るボランチ。
左サイドバックも出来る。一応CBも出きるっぽいが仙台ではCBはやらなかった。触れ込みは清水さんが自らブラジルに行ってスカウトしてきた。だったはず。
序盤はボランチで、終盤は左サイドバックでコンスタントに出場してたけど、プレーは全然記憶にないのは地味だからなのか!?
この01年はみんなキャラが濃い。その中で最も地味だった選手なのは間違いない。
ほんと地味なんです。

FW:マルコス[01年-04年6月]

俺たちの英雄。仙台のレジェンド。伝説。
神様仏様マルコス様。
J2初年度で40試合34ゴール
J1初年度で24試合18ゴール
テルのクロスからマルコスは分かっていても止められない。
単純な高さじゃないポジショニングも駆け引きもうまくそして、高くて強い。
03年以降は怪我に苦しみ中々試合に出れず。04年夏に退団。
そして、マルコスの代わりに連れてきた助っ人はネタの宝庫だった。
乞うご期待(笑)
退団セレモニーでは
「みなさん、長い間マルコスを応援ありがとうございました!仙台サポーターすばらしい!仙台スタジアムすばらしい!マルコスはベガルタ仙台思い出たくさん。ベガルタサポーター親切ありがとう。こんなによくしていただいて感謝です。ベガルタ仙台に神様のご加護がありますように。サポーターのみなさんありがとう!!」
と語り全仙台市民が泣いた。
未だに仙台を気にしてくれてる良いやつ。
代理人として、エリゼウを連れてきてくれたけど、それ以降は外ればっかだから何とかしてほしい(笑)

MF:シルビーニョ[02年-05年]

レジェンド。
ボランチからミドルレンジのパスで左右に捌くコンダクター。
個人的には02年のMVP。愛称はシルビもしくは「汁様」
とにかくミドルレンジのパスが素晴らしく美しくゲームを組み立てられるボランチであった。
また、仙台後期には自らペナに突っ込んでゴールを決めるようになった。
03年降格し、みんな居なくなった中残ってくれて熱い気持ちを見せてくれた。降格した04年-05年はシルビーニョの調子次第で勝てるかどうか決まったといっても過言ではない。
05年は新潟に移籍。でも、悲しくて悔しくて新潟での活躍は一切見てない。
10年に横浜FCに移籍してきて、サイン貰いにいったが正直あまりキレが無かった。6月に退団。
今でもツイッターで仙台大好き。仙台かったやったーとかつぶやく良いやつ。
仙台の監督やりたいとずっと呟いているがブラジルでコーチ業やってる感じもしない

FW:金 殷中[03年8月-12月]

ここまで優良助っ人ばかりでしたが、ここからネタに走っていきます。
その一人目が金 殷中03年マルコスの復帰が年度中に不可能だとわかると、急遽の補強。
初戦ではゴールを決めるもそれ以降はからっきし。
何が出来るのかさっぱりわからなかった。今思えばシャープなヘッドってなんだよw
そもそも、マルコスの穴を埋めるなんて到底無理なんだわな。
てか、情報確認するためにwiki みたら
「ベガルタ仙台在籍時は伊達政宗になぞらえて独眼竜との通称も。」
とか書いてあるけど、俺そんなの知らねーぞ!!!

DF:マルケン[03年1月-6月]

ネタ3兄弟の1人。覚えている人いるのか!?
サンパウロとなんかの提携をして、ユース上がりの選手を仙台にレンタル移籍させてきた3人のウチの一人。一応ブラジルのU-17代表経験はあるらしい。
しかし、練習を無断で休んだのだか練習試合でサブだったかで、途中で勝手に帰った。もちろん、トップの試合は出ていない。

FW:エデー[03年1月-6月]

ネタ3兄弟の1人。こちらはトップの試合で1ゴールとってるので比較的覚えている人も多いのではないだろうか。
この人もサンパウロとなんかの提携をして、ユース上がりの選手を仙台にレンタル移籍させてきた3人のウチの一人。
秘密兵器と言われながら結局ほとんど秘密のまま終わり、
最後には勝手にブラジルに帰って戻ってこなかった。
サンパウロはこんなやつしか寄こさないんだから困るよなー。

FW:ドッダ[03年6月-12月]

エデーが勝手に帰ったので、代わりにどうぞ。と差し出してきた人。
なお、全然記憶にない。サテライトで見たかな…っていう程度。当然トップ出場はない。お前ほんとに居たのか!?w
いや、公式のリリース文が激おこだったので妙に覚えているのだけど
それが彼のピークだったなw

DF:ガスパル[04年-04年7月]

スロバキア五輪代表を経験。
ズテンコ・ベルデニックが大好きな高くて強い屈強なCB
3バックの真ん中で活躍。空中戦はほとんど負けなし。
そして、セットプレーからでも点を取れる素晴らしいDFだった。
なお、自陣で致命的なパスミスがあるのだけれどそれは目をつぶってほしいw
本人は通訳に恵まれず首脳陣や選出たちとコミュニケーションがうまく取れずストレスを抱えての途中退団となった。
最後の湘南戦。そんな状況でも必死に戦うガスパルが印象に残っている。
引き分けだったが、ガスパルが居なければもっと失点していたのかなと。
どんな状況でもベストを尽くした彼の姿が物凄く記憶に残っている。

DF:ゴッツェ・セドロスキー[04年7月-04年12月]

で、ガスパルの代わりに来たのが、ゴッツェ・セドロスキーだった。
今度は現役のマケドニア代表。ガスパルと同じようなタイプで、
高くて強い屈強なCBで、ガスパルよりフィードが上手かった。
DFを統率するキャプテンシーも持っていた。
終盤負けていると大作戦要因として前線に駆け上った。
ところで、通訳問題は解決されてなかったのだけど、
彼は何とかなったのかな。。。笑
なお、ベルデニックが去ったのと一緒にチームを去った。もっと仙台で見たかった選手ではあったので残念。
ところで、引退後はマケドニア代表監督とかやってて驚いた記憶がある。
今は何をしているのだろうかw

FW:ファビオ・ヌネス[04年7月-04年12月]

マルコスが退団すると代わりの選手としてファビオ・ヌネスに白羽の矢立った。
フットサル仕込みの足元のプレーは確かにうまかったが、
来て早々ベルデニックに私が求めているタイプのFWとは違う。
と一蹴される。ようするに、フロントと監督の意思疎通がうまくいっていなかったのだ。酷いな仙台(笑)その犠牲者だった。
そんなファビオ・ヌネスだが、やたらPKがうまく3試合連続のPKゴール
という謎の記録を持っている。
仙台で4点とっているのだが、もちろんすべてPK。
仙台サポーターには稀代のPKキッカーとして後年に語り継がれるのである。

FW:バロン[05年]

日本の色んなチームを渡り歩いたバロン。仙台にも居たのである。
相も変わらずマルコスの代わりをさがs(ry
仙台では35試合14ゴールとそこそこの成績を残せたのだがやっぱりマルコスの(ry
なお、僕が一番驚いたのは練習場で息子が帝王切開で生まれたんだよ。はっははーとしゃべって居たことで、ブラジル人から帝王切開という言葉が出てくるとは思わなかった。今でも忘れないエピソードであるw

FW:シュウェンク[05年]

バロンが怪我で出遅れた春先にはなぜかポストプレーをやらされて苦労していたが、バロンが戻ってきて自分が1.2列目で動けるようになると、次第に能力を開花させていく。
裏を狙うプレーやニアに飛び込むのが得意だった。意外と打点も高く万能なストライカー。また、FKもミドルシュートも持っていた。
地味だが結構良いFWだった。38試合13得点。
春先の謎起用が無ければもう少しやれていたとは思う。それもこれも都並が悪い。
ちなみに、wikiでみたらどんだけ移籍してるんだよ。この人。
12年から15年にかけて一年に2チーム経験ってどういう事だよ。あほかよ。

FW:ボルジェス[06年]

昇格するには強力なブラジル人が必要だ!!!と急にフロントが言いはじめ
巨額のお金をつぎ込んで獲得したブラジル人3人衆の一人。
懐かしのさくはちさんのHPで紹介されており、実力は折り紙つきだったが、
実際に見たボルジェスは想像を超える能力で、たぶん仙台史上最も能力が高いFWだと思う。なお、戦術が…
パラナでは「パラナのアドリアーノ」と呼ばれていたらしく、
僕は勝手に「ミニアドリアーノ」と呼んでいた。全然流行らなかったけどな!!
仙台では当然のごとくJ2得点王。で翌年サンパウロに移籍
11年にはサントスでブラジレイロ得点王。そして、ブラジル代表デビューと輝かしいキャリアを築く。
なお、代表の時には藤原清美さんのインタビューに答えていて
仙台時代のチャントを歌ったり、
同じブラジル代表のチアゴネーヴィスとの思い出を語ったり結構仙台時代他のかったんだよーっていう話をしていた。

MF:チアゴネーヴィス[06年]

巨額のお金をつぎ込んで獲得したブラジル人3人衆の一人。
一番若くこれから来るぞ!!みたいな立ち位置だったけど、
仙台時代は球離れ悪くブラジル人にすらパスを出さない。
ボールを失っても戻らない。
で、仙台ではあまり役に立たなかった。そして、最終的にはスタメンから外された。
当然1年で退団なのだけれど、ブラジルに帰ってから日本で覚えた切り替え。運動量を武器にネドベドとプレイスタイルが似ているためネーヴィスと合わせたネドヴェスとか呼ばれ、
全国選手権でMVPを取るなど大活躍。そして、遂には欧州へ。
ファンデルファールトの後釜として、チアゴネーヴィスが呼ばれたがさすがに荷が重く6試合出場にとどまる。
紆余曲折あって、ブラジルに戻って11年にフラメンゴで全国選手権優勝。
ボルジェスと同時に代表招集はなんか夢みたいな話だった。
仙台時代のちゃんとはたらこ・たらこ・たらこ だったのに…w

MF:ロペス[06年-07年]

巨額のお金をつぎ込んで獲得したブラジル人3人衆の一人。
たぶん一番安かった人。でも、なんだかんだ一番仙台にフィットし、3人衆の中では唯一残留した。
ロペスダンスは一部で熱狂的な支持を受けている。しかも、未だにだ。
仙台ではもっぱらゲームメイカーだったが、パンチ力のあるミドルや
ヘディングでゴールもアシストも出来る選手だった。
07年の前半戦は仙台の王様でロペスと愉快な仲間たちだった。ロペスのサイドチェンジからパピコのアイソレーションアタックは忘れない。
なお、後半ロペスが抑えられるとなかなか勝ち点を積み上げられず結局ロペスもベンチが多くなってしまったが…
08年はマリノスに移籍。なお、当時の監督であった木村のコーキチがボランチで使っていてひっくり返った笑

というところで、あとはきっとモト田中氏が書いてくれるはず。
お付き合いありがとうございました。

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