この一週間を通して思ったこと

こんにちは
この長いようで短い一週間を通して思ったことを忘れないうちに言語化しておきました。共有範囲に関しては迷っているところですが、自分が何を考え、何を感じ、どのように動いていたかっていうのを内部の人たち、特にうちのメンバーに見てもらいたいので、省略すべき部分と、外部の人でもわかる文脈でなるべく慎重に記載してみました。。

さて、5泊6日と長丁場の合宿ですが、この合宿は毎年、数々のメンバーを成長させる神聖な場なのだと聞かされて育ちました。
昨年度は次年度の委員長候補として参加しましたが、今回自分が委員会の最高経営責任者であると共に、1800人の未来を定める意思決定者の一人として、次年度の専務理事候補人を選出する投票を行う場に参加するのは初めてのことでした。
票を投じることの重たさ、社会的責任、プレッシャーに押しつぶされながら、委員会の代表として、メンバー全員の総意として、出来る限り説明責任を果たせるよう、苦心しつつも、自分なりに納得のいく投票ができたつもりです。
また、選挙における意思決定やその他もろもろは、自分にとって大きな傷みを伴うものでした。だからこそ、今回の意思決定者として参加するこの合宿は、やはり自分を成長させてくれる神聖な場であったし、各委員会の代表者がえも言われぬ雰囲気を醸成していて、互いに成長をしながら、前に進んでいると感じることが出来ました。

というわけで思ったことを大きく3つに分けて話していきたいと思います。



 1. 意思決定の難しさ

様々な要因が絡み合って、それらを紐解きながら、自分やその意思決定に関わる人達の利害を考え、決定することの難しさを今回の合宿では感じました。
とはいいながらも自分が今から説明する意思決定は、もっともっと、勇敢さを必要とするものだったと僕個人は思っています。

僕が今回の合宿で行った重大な意思決定は主に3つあったと思います。そしてその3つは今までの自分が行ってきた意思決定の何よりも、責任の生じるものだったと感じています。しかし、組織という無機質の中に存在している有機的な人々に対する意思決定は、その複雑さ故に、意外と雑に行われていたりします。
自分の人生における意思決定はその責任が今のところ自分だけにしか影響しない分、まだラクなのです。 でもそれが1800倍、3000倍、10000倍になると、いよいよ10週くらい回って帰ってきます。すると、その影響度の大きさに感覚が麻痺してしまうんじゃないかなーなんてことをそれっぽく思っていました。更にそこに様々な人々の私情が乗ってくる。そうなってくるといよいよ手がつけられなくなってくる。
どうやらこの辺に組織意思決定の難しさがあるような気がしています。

さて、今回自分が行った3つの意思決定のうち、 1つは多分委員会の代表としての意思決定だったと記憶しています。こちらに関しては割と大過なく遂行したイメージです。もちろん、様々な要因に引っ張られたものでありますが。
残りの2つに関しては、僕は多分僕としての意思決定をしたような気がします。一つは投票前に行った意思決定について。もう一つは投票後に行った意思決定について。詳しくは記載できませんが、この2つの意思決定は、世の中を見渡しても、きっとそう簡単にできることじゃないと思えたし、この力こそが自分にしかできない究極的な強みだと確信するようになりました。この意思決定には、本当の意味での誠実さや、正義感や、勇敢さを必要としていて、この力が世の中を変革する力なのではないかと、今では納得しています。

勇敢さを必要とする決断は、時には痛みが伴ったり、反発やバッシングを受けることだと思います。
そのような中でも自分の正しいと思う生き方、価値観を強く持ち、一貫した誠実さと信念を以って前に進んでいくことこそが、"意思決定"なんだなっていうのを身を持って実感しました。
残りの仕事は、決めたことを正しくする為に頑張るだけです。一年後の今日、あれがあったから今の自分達があるよねって思ってもらえるように、今の自分にできることをしていきたいです。

今回の件を通して、この力強さこそが自分のいいところだと気付きましたが、もしこの力が社会や組織に必要なのであれば、常に自分がやっていかなければならないと思いました。その意味で、生涯リーダーであり続ける必要性を感じました。それほど、多分一生忘れることのない決断をした気がします。

今後、テクノロジーが人間の仕事を代替されるようになればなるほど、人間の行う意思決定の重要性が肥大していくように感じます。
そんな折に、自分の世代が社会の中心にいることになるのはきっと偶然じゃないと、そう思い続けてみようと思います。


2. 真のリーダーとは

真のリーダーとはなにか、については先にも記載したとおり、
英断をするカリスマ的な人物であったり、他者を巻き込んで目標達成をする人物を想定するような気がします。これはある意味で正しいと思っているし、一般的にそうだなと納得する部分もあります。
ただ、今回僕達が考えた真のリーダーってなんだろうねっていうものに対して、自分たちなりの答えがでたような気がしたので記しておきます。

今回の合宿の中で、後輩に聞かれた質問がありました。それが
「今年度学んだことの中で最も次年度に引き継ぎたいことは何ですか?」

というものでした。
僕はなるべく自分が失敗したことで属人的なものでないもの、つまり来年も同じ失敗をする可能性が高いものを最も引き継ぐべきだと考えました。
そう思ってその場で考えてみたのですが、やはり僕が最も後輩達に伝えたいことは一貫して変わらないことに気づきました。

"組織の課題は全て自分の弱みが反映された結果だから、困難にぶちあたっ
た時は、まず自分の弱さと向き合ってみてほしい"


これは一年間活動してきて感じたことなのですが、
組織の課題というのは面白いくらいトップの人格を反映させるものだなって感じています。

もしリーダーが他責的に行動していたら、メンバーも他責的になるし、
もしリーダーが活動しなかったら、メンバーも活動しなくなるし、
もしリーダーが報連相を徹底していなかったら、メンバーもしない。

でももしリーダーが
落ちているゴミを拾っていたら、メンバーもゴミを拾うようになるし、
毎日欠かさず日報を書いていれば、メンバーも書くようになるし、
メンバーの為を思って行動していれば、メンバーも人の為に活動します。

組織の課題が発生した時こそ、リーダーはその課題に対して真摯に向き合う必要があります。


"今自分は組織の為に行動しているか?それとも自分の為に行動しているか?"

この問いは一年間ずっと心の中で問うてきたものでした。
もし自分が自分の為に活動した途端、一気に組織の成長は止まります。自分のせいだと気づいて、自分を変え続けるというのは中々至難の業だったりします。だからこそ、

"今ここで変われなかったとしたら、自分の成し遂げたいことは成し遂げられるだろうか?"

と問い続けることが大切なような気がします。
自分の成し遂げたいことを明確にすることは、その意味でリーダーに必要な資質だし、自分自身の拠となってくれるはずです。

これらの問いも次年度を担うリーダーには大切にしてほしいものだし、しっかり引き継いでもらいたいと思っています。


人と人とでできた組織っていうのは面白い具合に自分を成長させてくれます。
もしリーダー機会をとって成長できていないと感じているならば、それはきっと自分のなにかしらと向き合っていない証なのかもしれません。




ここから僕の考察なのですが、やっぱりリーダーっていうのは自分を変え続けるというその意味で、謙虚さを持っていないと務まらないなって思いました。(今の自分に足りていないことなのですが・・)

もしもですけど、この話のように、謙虚さを突き詰めたらどうなるんだろうなって考えたら、なんとなく、悟りを開くんじゃないかと勝手に思いました。
更に、もし人が謙虚さを極めて悟りを開いたら、そのあとその人はどういう行動を取るのかなっていうのを釈迦を元に考えてみました。
個人的な結論ですが、きっと人は人の為に行動を起こすんじゃないかと思いました。釈迦が教えを広めて回ったように。

僕達がグローバルリーダーと呼んでいる、ガンジーやキング牧師、ネルソン・マンデラやマザーテレサもきっと同じなんじゃないかなって思ってます。
つまり、彼らは例外なく"人類に対する無償の愛"を持っているんじゃないかと。
その意味で、真のリーダーというのは"愛の提供者"だと、そう思うようになりました。

愛とかそういうのって凄い苦手なんですよね、個人的に笑
ただでも、社会に存在する問題や、その人たちが持っている課題を変えようとか、幸せにしようといった動機で動けるのは、
まず第一にその事象に対する赦し、寛容さがあるということ
第二に、赦した上で、Giveをしていること。

ガンジーは銃で暗殺をされた時、額に手を当てたそうです。これはイスラム教で、あなたを許すという意味の動作だそうです。
これを愛と形容しないでなんと形容するのがいいのかが正直わからないです。
人類に対する愛、これがきっと真のグローバルリーダーなのだと個人的には腑に落ち、そしてようやく、自分の目指すなりたい像が明確になった瞬間でした。
この学びを合宿中に感じられたことは、自分の今後の人生に大きな影響を及ぼすだろうと確信していました。



3. 未来に対する誠実性と今に対する誠実性

誠実さというのは持ち続けることがすごい難しいなと思ったのと共に、
共通の方向性に向かっているにも関わらず、すれ違いが生じるのはどうしてなんだろうということを、今回のこのキーワードを通して、少しだけわかったような気がしたので書いておきたいと思います。

未来に対して誠実性を発揮するというのは、
目的の達成の為には手段を選ばないという表現が正しいような気がします。
それに対して今に対する誠実性というのは
目的達成のためにも、今の手段に対しても常に正しくあるべきだ
という考えに立っているような気がします。

いままでの歴史を振り返ってみると、未来に対する誠実性を持っていた人が成り上がり、成功していたようにも思えます。藤原家の隆盛などがまさにそうだし、江戸時代においても大奥という世界は実際にあったみたいですね。 これは世界共通の文脈のような気がします。

そしてそれらは現代でも政治の世界では当たり前の価値観のようになっているし、根回しをすることが大人の世界での常識であるという価値観も、
きっと未来に対する誠実性を指すものなのだと感じています。

どこかの記事で読んだことがあるのですが、
高度経済成長期における証券会社のサラリーマンは、
ノルマを達成するために勝手にお客さんの株を売買していたらしいです。
利益さえ上がっていればそれでよしという考え方らしいです。
また、購入履歴が郵便で通知されてしまうので、家の前で待ち伏せして破棄するなどの荒業を行っていたそうです。
本当にそういうことがあるのかはわかりませんし、嘘のような話に聞こえますが、何かしら事が起こっていても不思議ではないことに対しての納得感はあります。

この件から、真面目なやつが馬鹿を見るといった表現は、薄汚れた世界を風刺したコトバのように感じるようになりました。

ただ、なんでかわからないのですが、
未来に対する誠実性を元に行動を起こすと
いつかは失脚するというのが世界共通の流れになっている気がします。
江戸幕府が無血開城したのは不可逆的なものであったかもしれませんが、個人的には黒船来航よりも、幕府中枢の腐敗のほうが問題の根本的な要因なのかもしれないとも思います。


逆に、今に対する誠実性、つまるところ
何が人として正しいのか、あるべきなのか、という出発点に立った行動は
いつか大きく華を咲かせるような気がしています。
JAL再建やKDDIで有名な京セラ稲盛さんなんかはまさに典型例なような気がしますし、
松下幸之助や本田宗一郎も同様の価値観で成功していたんじゃないかと個人的にはそう思っています。

世の中で成功した人たちは総じて何かしらの哲学や自分なりの価値観が存在していて、それらが"今に対する誠実さ"というコトバの中に収斂しているような気がしました。

思っていることはきちんと言うこと、
何か失敗した時はきちんと謝ること。説明責任を果たすこと

当たり前のことのように見えて、当たり前にこなせていないことはいっぱいあるなって思います。
今回の合宿を通して、今に対する誠実さを強く持ち続けたいと強く思うようになりました。






~~~~~番外~~~~~

最近は特に、本当は自分に自信がないことに気づいた自分がいました。
自信がないからこそ自分を認められなくて、認めてもらおうと必死になればなるほど認めてもらえなくなって・・・
そんな自分を変える為に、まずは自分に自信がないことを受け入れること。そして、自信がない自分や認めてもらおうと行動してしまう自分を受け入れることから始めました。
まだ抜け切れていない部分もあると思いますが、だいぶ景色が変わってきました。今もなるべく客観的にみるよう心がけています。

比較社会から開放されはじめてから見える景色は、思いの外自由に広がっていました。
世間的に良い会社にいくことも、いい大学にいくことも、大学を卒業することも、親の言うことを聞き、意思決定することも、心から自分のしたいことかと問うこと自体、本当に難しいです。
でもそのようなドグマに囚われて、一生を無駄にしてしまうのなら、
きっと目先のリスクに責任を負ってしまうことのほうが長期的にみてより良いはずだと思えるようになりました。また、なるべく自分のしたいことには素直に、また、自分のwantを大事にしてあげるようにしました。
すると次第に、未来がどこまでも続いていく景色を見ることができるようになりました。今日稲盛和夫BOTがアドバイスをくれたのでついでに記載したいと思います。

利己にとらわれない正しい判断基準、価値観を持つことができるようになってからはじめて、私たちは「足るを知る」ことができ、心から「豊かさ」を実感することができるようになるのです。

肩肘張って生きていくことが自分を疲弊させていることに気づくのは本当に難しいです。自分が経験したことだからこそ、この手の弱みはなるべくストレートに殴られたほうが後々ラクになると個人的に思ってます。


最後になりましたが、今自分が感じていることを少しだけ。

本当の幸せとはなにか。
まだ答えが出ていない問いですが、なんとなく答えに近づいているような気がします。ただ同時に、この問いに答えを出してしまった時、
自分が切り開かなくてはならない道が途絶えてしまうような不安もあります。

ただそれでも、自分は自分であるという思いと、必要とされ続ける人間であり続ける努力は惜しまず、進んでいきたいなと思います。
真のリーダーになるまでは。


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