集団免疫か根絶か(SIRモデルの解説)

(5月5日修正)
感染の広がりと終息を予測する一番単純なSIRモデルを通じて,COVID-19対策について考えてみる.単純化し過ぎているため正確な予測はできないけど,終息の2つのシナリオ,集団免疫根絶かの違いはよく分かる.一人一人の行動変容が大切な今,何を目指しているのかを明確に理解する必要がある.

ここの解説は牧野先生の記事を参考にしつつ,自分の理解を書いているので間違いがあればメールで教えてください.seto{at}wibe.ac.cn
https://www.iwanami.co.jp/kagaku/Kagaku_202005_Makino_preprint.pdf

SIRモデルは,これから感染する可能性がある人感染して他の人を感染させられる状態の人、そして治療中や回復・死亡も含め感染を終えた人、と3つのグループに分けて,その人数S(t), I(t), R(t)の時間変化をみる.3つの部屋があり人が移動するイメージ.

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3つの変数 S(t), I(t), R(t)とその合計 N の他に2つのパラメータβとγがある.

βは,どのくらい感染するかを決める係数.接触度とウイルスの感染しやすさに依存する.接触度は社会的距離の呼びかけやロックダウンを実施することで変化する.この2つの効果がβに入っている.
γは,R(t)が recoveredだから「回復までの時間の逆数」というのが一般的かもしれないけど,必ずしも病気の治癒そのものと関係するわけではない.infectious(=「病気を感染させる」)という状態から,そうでない状態への変わる速さというのが式から解釈できる.感染が判明して入院などで隔離状態になることで,人を感染させる可能性がなくなれば,IからRへ遷移したとみなせる.その場合は,1/γは感染してから隔離状態になるまでの時間.軽い病気で普通に生活をし続ける病気の場合は,回復するまで他の人を感染させ続けるので,1/γは回復までの時間.今回のCOVID-19では隔離も積極的にするけど,無症状感染者が感染を拡大させている可能性もあるため,γ を決めるのが難しそう.

S(t), I(t), R(t)の時間変化を式で表すと以下のようになるけど,全人口 N が一定なので,1つはあとの2つが分かれば自動的に決まる.画像7

単純なモデルなので,地理的な情報も個人差も無視し「平均化」している.見やすくするために式変形し,感染の推移の議論でよく現れる基本再生産数 R0 を導入し,時間はI(t) が減衰する時間1/γを単位にとる(チルダ付きの時間1が例えば5日とかに換算される).

スクリーンショット 2020-04-16 9.04.27

感染の初期では感染中と感染後の人数 (I+R) は全人口 N よりもずっと少ないので

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と近似でき,R0 > 1 なら指数関数的に増加し,R0<1 なら減少することがわかる.

SIRモデルの一番重要な結果は,感染拡大はいつかピークを迎えて、最終的には終息するということ説明すること.R0の値が大きかったとしても、感染中と感染後の人の割合(I+R)/Nが大きくなれば,Iの変化率が正から負に切り替わる。つまりピークがある。免疫が失われないとするなら,(I+R)/N が小さくなることはないので,I(t)は減り続けいずれ終息する.

そして,終息後の免疫保持者数の割合 R/N が (R_0-1)/R_0 よりも大きければ,Iの時間変化が常に負になるため,外から感染者が入ってくるような状況でも,感染が広がることはない.この第二波を心配しなくてよい状態になるため,一度は感染を拡大させてしまおうというのが,「集団免疫」のシナリオだ.

SIRモデルの計算を具体的にしてみる.下図は人口1000万人で最初に1000人が感染している状態から始めた計算。R0 の値を0から3まで0.1刻みで変えてある。R0=1だけ黒で太線。人数も時間も値の範囲が大きいので対数表示にしている。

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今回のCOVID-19は、重症化して死ぬ確率が5%とか大きい値が報告されている.検査で確認されることなく治癒した軽症者も多い可能性があるため,実際は1%もないかもしれないけど,それでも十分に高い死亡率だ.上で説明したような集団免疫によるピークを待っていたら大勢の死者が出ることがわかる.R(t)のプロットの右端が感染者の合計で,その1%が死ぬとすると相当な数だ.

増え方が十分にゆっくりならば医療崩壊しないという解説を見ることもあるけど、人口1000万人での計算でR0=1でも10万人というオーダーで,R0=1.1となるだけで一気に100万人近くなる.また,R0が1に近づけて「ゆっくり増える」戦略でいくと,当然の帰結として終息まで時間がかかる。上のR(t)プロットに,感染者が最後の一人になる時間を点線の曲線で示した.(下に詳しく書くように,時間の単位を1/γにしているので,上のプロットは γ が一定のケースの時間の比較にしかならない.)

また,「集団免疫」というけど,対策によってR0を1に近づけて終息した場合は、免疫を獲得する人の数も少なくなるので,第二波を防げるとは限らない.(←これは不要だったけも.集団免疫が機能する免疫保持率ギリギリを目指すという意味ではR0を制御する意味がある[追記2020.5.5].)

犠牲者数の観点だけでも,集団免疫による終息は現実的ではなく,ワクチンができるまでは,しっかりした対策で感染を抑え込む「根絶」を目指す以外に道はない。R0<1となれば、感染者数は時間と共に減少する。根絶することに決めたのなら、なるべく速くそれを実現したい。まだ感染初期なら根絶を見積もる式は上の同じ近似でこれだけ.

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これならR0を導入する前の元の式を見た方がいい.

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この係数の初項と第2項の比がR0だけど,時間スケールを実際に決めているのはその差.βNが小さくγが大きいほど感染者数 I(t)が速く減衰することがわかる.βNについては,病気の強さはコントロールできないが,人と会う機会を少なくすれば小さくなる.γは,感染している人を早く見つければ大きくなる.その2つの差で終息までの時間が決まる.(上のプロットは,時間軸を1/γでスケールしてしまっているため,γが一定でβによってR0が変化する時の終息時間しか見れない.)

人と会う機会を少なくすることと早く見つけて隔離することは,どちらも積極的に立ち向かう対策でコストがかかる.しかし,強い対策ほど感染者数の減衰が速く,感染者数が0になるまでの時間が短くなる.弱い対策を長い時間続けるか,強い対策で短い時間で終わらすか.的確な判断のためにも,具体的な対策と終息時間がどのような関係にあるのかを正確に見積もる必要がある.

後半はSIRモデルである必要もないが,集団免疫の誤解のために,目指すべきゴールが明確になっていないように感じ,この記事を書いてみた.

追記:潜伏期間 τ による遅延について

(「佐藤彰洋氏(横浜市立大学)の新型コロナ感染予測シミュレーションに関する疑義について」https://www.sano-lab.com を読み潜伏期間を考慮したモデル拡張を考えてみた.何を「潜伏期間」と呼ぶかでも人それぞれの解釈があるみたいだけど,ここでは自分の理解だけを書くことにする.)

感染した人も直ちに人を感染させる状態になるわけではない.「感染しているけど,まだ人を感染させない状態」のグループEを導入することで,潜伏期間τを考慮したモデルにすることができる.

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時間 t にS(t)の感染していない人たちが,(感染させる状態の)感染している人に接触し感染が起こる.この感染で潜伏期間にはいる,つまりS(t)が減りE(t)が増える.この潜伏期間のグループの人は,体の中でウイルスの量が十分に増えることで次の「人を感染させる」グループのI(t)に移行する.時間 t に移行するのは,潜伏時間τを過ぎた人だから,時間t-τに感染した人数,つまり β I(t-τ) S(t-τ)となる.式で表現すると以下のようになる.

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(追記:この微分方程式の初期条件は -τ < t < 0 の範囲で S(t)とI(t)を設定する必要がある.一番シンプルな初期条件としては,t=0にいきなり感染者が入ってくるものだろう.画像11

-τ < t < 0 の感染者数を一定にする場合など,その間のE(t)の変化もちゃんと計算しなければいけないことを@ceptree さんに教えてもらった.)

感染が蔓延する前では上と同じように以下の近似が成り立ち,潜伏期間が長くない場合の振る舞いを近似的にしめした.遅延τがある場合は,指数関数的に増加する場合も減衰する場合も指数の係数が小さくなることが分かる.

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潜伏期間τが長い病気もあると思うけど,今回のような短期間で感染爆発が起きている状況を考えると,極端に長いというわけではなさそうだ.潜伏期間τはおまけの効果だと思っているので,潜伏期間ゼロに設定した結果と質的に異なるような状況まで今は考えなくても良いように思う.


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