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日米交換公文から学ぶ決断力

アメリカの輸出規制緩和

昨年の記事ですが、アメリカが宇宙開発の国際連携強化策として、同盟国への輸出規制を緩和する検討に入ったとのニュースが報じられました(なお、中国への輸出については厳しい規制を維持)。中国との関係は気になりますが、同盟国間の協力によって宇宙開発がより加速することが期待されそうです。
日本は、今でこそH-Ⅱロケットやイプシロン、きぼう、こうのとり等をはじめとした技術を提げて宇宙開発の場に参入していますが、宇宙開発に乗り出した当初から今に至るまでを調べてみると、ある種の「悔しさ」がバネになっているようです。今回は、その「悔しさ」の元となった日米交換公文を取り上げます。

背景

1960年代、アメリカとソ連の間では、圧倒的なリソース投下の下で、衛星開発やアポロ計画をはじめとする宇宙開発競争が進められていました。日本でもロケット開発は行われていたものの、このような世界情勢を背景に、日本でも自前の人工衛星を持っておかなければならないのではないかという議論が展開されます。当時は文部省と東京大学が中心となって開発をしていましたが、1969年にはJAXAの前身であるNASDAが設立され、人工衛星やロケット開発のための組織体制が整備されました。

技術供与の考え方の変化

日本はアメリカの技術を獲得するための交渉を行っていましたが、当時、アメリカはロケット技術を他国に移転しないという政策「National Security Action Memorandum:NSAM」をとっていました。ロケット技術はミサイル技術と同じようなものなので、アメリカのロケット技術を転用して他国が核兵器を開発、保持することを防止する必要があったためです。
ただ、後にアメリカは日本への宇宙技術の移転を認めつつ、これを対外政策に活用しようという方針に転じます。
そして1969年7月、日本への技術移転を認める「日米宇宙開発協力に関する交換公文(日米交換公文)」が交わされました。

日米交換公文の内容

日米交換公文の概要は以下のとおりです。

①日本に移転された技術・機器は平和目的のためにのみ使用する
②①の技術・機器、それらを使用して作られたロケット、衛星等は日米間で合意された場合を除き、第三国に移転してはいけない
③アメリカの協力を得て開発・打ち上げられた衛星は、現行インテルサット協定の目的と両立するように使用する

このうち、①と③は問題になりませんでしたが、②は少々考えものでした。
というのも、日本が宇宙開発に着手する時点で(言葉は悪いですが)手っ取り早く実力を底上げするには、アメリカの技術を使い真似をすれば良いわけですが、日本が実力を付け、国際市場に参入していくことを考えると、開発したロケットや衛星を第三国に移転できないことはどうしても制約となります。つまり、長期的に考えると非常に厄介な条項が付いていたのです。
また、日本は、後にアメリカとの間で、アメリカから得た技術・機器はNASDAの人工衛星打上げにのみ使用されること、取得した技術・機器によって作られたロケットは日米政府間の合意がなければ第三国の打上げプロジェクトに使用できないことを定める複数の書面を別途交わしています。
これにより、日本のロケット・衛星開発はアメリカのコントロール下に置かれてしまいます。

日本の底力

しかし、日本はここで底力を見せます。ロケットの大型化と国産化を進めたのです。
N-Ⅱ、H-Ⅰと大型ロケットの開発を進め、国産比率はH-Ⅰの最大値で98%まで向上しました。
そして、いよいよアメリカの技術に頼らない純国産ロケットの製造に着手します。
そこで生まれたのが我らがH-Ⅱロケットでした。H-Ⅱは、地球の重力だけでなく、アメリカのコントロールからも脱出する機体だったわけです。

まとめ

日米交換公文の内容は、長い目で見れば日本の宇宙活動に支障を来たしかねない条項が含まれていましたが、当時の日本とアメリカの技術力や世界情勢を考えると必要なもの、あるいはやむを得ないものだったのかもしれません。
しかし、これがきっかけとなって、日本はその技術力を駆使して誇りを取り戻しました。
想像ですが、「そもそもアメリカの技術・機器を使わなければ宇宙開発ができないのか?純国産ではできないのか?」、「日本の技術力はアメリカを越えられるのか?今のままでも宇宙開発自体はできるのだから、無理する必要はないのではないか?」などといった議論もあったかもしれません。
それでも日本は、純国産の道(純国産であれば日米交換公文の前提が成り立たない)へ踏み出すことを決断し、市場に参入するチャンスを得たわけです。
つまりこのエピソードは、(日米交換公文を「逆境」と言えるかは別段の議論があるとしても)逆境打破のケーススタディとして、

①不利な内容も受け入れざるを得ない状況の存在
②①を打ち破るための道を選択する決断がなされたこと
③②のきっかけがそもそもの①

と整理できそうです。
外部的要因が逆境打破のきっかけとなったのではなく、逆境それ自体が打破のきっかけとなったケースと言えるでしょうか。
逆境打破の手段は無数に考えられますが、そのヒントは直面している逆境それ自体にあるかもしれない、そんな考え方が学ベるエピソードかと思います。

参考:
・宇宙ビジネスのための宇宙法入門第2版 小塚荘一郎ほか
・宇宙法ハンドブック 慶應義塾大学宇宙法センター

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