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量子未来社会ビジョンの策定を振り返る⑤ 〜ビジョンにおける基本的考え方〜

はじめに(量子未来社会ビジョンの構成)

前回までの4回の記事で、量子未来社会ビジョン策定までを振り返りました。(過去の記事は👇を参照)

ここからはビジョンの中身に簡単に触れていきたいと思います。

まずは量子未来社会ビジョンの目次を見てみます。

量子未来社会ビジョンの目次

明示的に分離はされていませんが、大きく2部構成になっています。

「1.はじめに」と「6.さいごに」は抜いて考えると、第1部が「2.量子技術を取り巻く環境変化等」〜「4.未来社会ビジョン(未来社会像)」まで、第2部が「5.今後の取組」というイメージです。

すなわち、

  • 第1部において、「2.量子技術を取り巻く環境変化等」を踏まえ、なぜ量子未来社会ビジョンの策定が必要になったのか、そして、今後の「3.基本的考え方」と目指すべき「4.未来社会ビジョン(未来社会像)」を定め

  • 第2部において、未来社会ビジョン実現に向けた「5.今後の取組」を示している

という流れになっています。

さて、前置きが長くなりましたが、今回の記事では、第1部において示されている基本的考え方を中心に振り返ります。
※量子技術を取り巻く環境変化等については、この振り返りシリーズの第1回〜第3回で結構触れているので省略します。

基本的考え方

以下の3つです。それぞれ見ていきます。

(1)量子技術を社会経済システム全体に取り込み、従来型(古典)技術システムとの融合により(ハイブリッド)、我が国の産業の成長機会の創出・社会課題の解決

(2)最先端の量子技術の利活用促進(量子コンピュータ、通信等のテストベッド整備等)

(3)量子技術を活用した新産業/スタートアップ企業の創出・活性化
量子未来社会ビジョンの3つの基本的考え方

(1)量子技術を社会経済システム全体に取り込み、従来型(古典)技術システムとの融合により(ハイブリッド)、我が国の産業の成長機会の創出・社会課題の解決

量子技術で社会変革を起こすため、量子だけでなく古典とも連携していきましょうという話です。以下で詳しく見てみます。

現時点の量子コンピュータは、計算中に起こった誤りを訂正する機能をもたず、Noisy Intermediate Scale Quantum device:NISQ(ニスク)と呼ばれています。

NISQでは、計算中に誤りがどんどん蓄積していくため、大規模な計算をすると、最終的にエラーがが多く乗った結果になってしまいます。
(例えば50量子ビットの量子コンピュータで合計1000ステップの計算をしたら、約63%の確率でエラーが起きてしまいます。(参照記事

そこでNISQでは、古典コンピュータとの組合せで計算を実行する量子・古典ハイブリッドアルゴリズムにより、エラーを許容しつつも量子コンピュータの優位性を探る研究が進められています。

また、量子コンピュータハードウェアの大規模化に向けては量子ビット制御のエンジニアリング、コンピュータ・アーキテクチャ開発、古典コンピュータとの接続など既存技術・概念との融合が不可欠です。

このほか、NISQで得られた測定値の統計処理やエラーの抑制、また誤りに耐性のある量子コンピュータ(Fault Tolerant Quantum Computer:FTQC)についても、誤り訂正の部分は古典コンピュータでの推定、制御へのフィードバックが必要となってくると言われています。

通信の世界も、QKDのように原理的に秘匿性が担保された量子暗号通信に全てが置き換わるとは考えられていません

古典技術でありながら量子コンピュータに耐えうる耐量子計算機暗号(PQC:Post Quantum Cryptography)も含めて、実用時期・コスト・守りたい秘匿性の観点から総合的に判断され、量子/古典暗号のベストミックス(ハイブリッド)で利用される形態が見込まれます。

このように、近年、NISQやQKDの実証研究や誤り訂正の基礎研究が進むにつれて、技術的な面から量子と古典のハイブリッドの必要性というのがより高まってきています

ハイブリッドの重要性は見直しワーキングの座長の伊藤塾長も当初から言及しています。
(例えば、慶應のIBM Qハブ発足時のコメント

もう1つは、量子技術の社会実装に向けて、古典も含めた人材・技術システムとのハイブリッドの必要性の側面もあると思います。

当たり前のことですが、よっぽど新しい概念でもない限り、新たな技術を社会実装する際には、既存産業・ビジネス・システムなどの中に新たな技術を取り込むことで付加価値を上げていく必要があります。

量子技術に関しても同様で、特定の問題を高速に処理する量子コンピュータを開発して終わりではなく、その能力をいかにビジネスに活用し、顧客に価値を届けて収益を得る/課題解決に貢献することができるか、ということまで考えないと、真の社会実装・産業化にはつながりません。
ここでは従来型(古典)技術システムとの融合は欠かせません。

量子技術はまだまだ研究開発のフェーズではありますが、基礎研究から産業化までのスピードが極めて速い分野だからこそ、研究だけに閉じて議論をし続けるのではなく、サービスインの姿までを見据えながら、産学官の量子・古典の関係者がともに手を取り合って取り組んでいく、そうしたスローガンを掲げたものではないかと考えます。

(2)最先端の量子技術の利活用促進(量子コンピュータ、通信等のテストベッド整備等)

これは量子技術イノベーション戦略(量子戦略)以降の変化として大きかったところ、また、量子戦略ではそこまで大きく取り上げられていなかった理念だと個人的には思っています

量子コンピュータのクラウド利用サービスはIBMが2016年に開始ししましたが、複数の実機をラインナップするAWSの Amazon Braketや、最近ではNVIDIAからcuQantumと呼ばれる量子コンピュータのシミュレータが発表されたりと、多くの利活用サービスが展開されるようになりました

また、量子暗号通信の実証実験も、欧米・中国を中心に世界中で活発化しています。日本でも総務省やNICTを中心として、量子暗号ネットワークの構築が進んでいます。 令和3年度の補正予算では140億円の追加投資もなされています。

さらに、これに付随して量子コンピュータ利用を支援する教育プログラムやコンサルティングがビジネスになっています。

量子技術は、現段階では研究開発フェーズではありますが、以上のように、研究開発と並行して、将来におけるビジネス活用・顧客獲得を見据え、ハードウェア・ソフトウェアのベンダーによる量子技術の市場投入や、それによるユーザーの利活用促進が一気に加速している状況です。

また、IBMやGoogleなどの大手企業やIonQといったベンチャー企業によって野心的な量子コンピュータの開発ロードマップが示されるなど、(根拠があるかどうかはともかく、)まだまだ先と想定されていた量子技術の実用化時期が、大きく前倒しとなる可能性も出てきています

参考までに、誤り耐性型量子コンピュータ(FTQC)開発プロジェクトであるムーンショット型研究開発制度では、2050年の実現を目標とした研究開発制度ですが、Googleは2030年に1,000論理量子ビット規模のFTQCを出すと言っています。
科学的な実現可能性は不明ですが、2030年に本当に実用レベルのFTQCが出てきたら、世界が変わってしまうようなインパクトがあると思います。

こうした背景を踏まえ、我が国も、量子技術の研究開発だけでなく、産学での量子技術の利活用を強力に促進する必要があるとの思いが、基本的な考え方に盛り込まれたものと考えられます

量子コンピュータについては、すでに各民間企業が最先端の実機をクラウドで公開していますが、いよいよ我が国でも、今年度から来年度にかけて理研、富士通が開発する国産実機の利用が開始される予定です。(こちらの記事も参照)

今後、量子技術が社会経済に溶け込んで、その価値を発揮していくためには、(量子未来社会ビジョンにも書かれているとおり、)①多様な産学官のプレーヤーを巻き込み、②オープンな形で、③量子技術のユースケース探索・成果の情報発信に取り組み、④持続可能な形で量子技術や周辺のコミュニティが発展、していけるような環境整備や枠組みづくりが必要になる、そのように思います。

④の持続可能な形で、というのがポイントで、NISQが使えないんじゃないかと思われ始めてきている昨今の情勢では、いつ量子バブルが崩壊してもおかしくありません。

2030年頃までは各社の量子コンピュータ開発のロードマップが敷かれているので、個人的には、まだまだ量子ブームは続くと見ていますが、その間に小さな成果を積み上げ、最終目標であるFTQCが実現した時のインパクトをより精緻に見積もり、広く社会が認識できる土台を築いておくことが重要ではないかと考えます。(量子未来社会ビジョンにおいても、留意点として示されています👇)

ユーザ企業にとっては、将来の不確実性の高い量子技術に取り組むことが、投資家への説明責任 という観点からも難しいケースが多いため、まずは小さな成果(活用事例)を創出・蓄積していくこ とが重要である。特に、潜在的なユーザが多い分野や実装の敷居の低い分野、市場性・インパクト の大きい分野、我が国が強みを有する分野などを特定して、量子アプリケーションを研究開発していく視点も重要となる。
量子未来社会ビジョン P.18より

(3)量子技術を活用した新産業/スタートアップ企業の創出・活性化

これは理念としては読んでその字のとおりの話なので、解説することは特にないのですが、量子だけで済む話ではなく、先端技術分野全般に通ずる理念でもあり、課題も共通的なことが多いと思います。

ただ、今後は、日本全体として、「スタートアップ創出に力を入れていく」方針を掲げていますので、量子は量子で上述のような利活用環境整備を着実に進めながら、日本全体の大きな波に乗っかっていければいいのかも、と考えています。

なお、日本では今年の4月に初の量子コンピュータのハードウェアスタートアップが誕生しました。(過去のnote記事でも取り上げています)
今後の活躍に大いに期待です。

おわりに

「基本的考え方」は、さらっと流すつもりが書き始めたら意外と長くなってしまいました。

実は、古典との連携はビジョンの前身の国家戦略である「量子技術イノベーション戦略」の3つの基本方針にも登場します(ちなみに、伊藤塾長も策定時のメンバーです)。

なので、全く新しい概念ではなくて、産業化・実用化に向けて、より意識してやっていきましょうね、という気持ちの現れと捉えてもいいかと思います(大事なことなので2回言いました的な)。

次回は、ビジョンにおいて掲げられている未来社会像について触れていきます。

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