超越してしまう危惧(双方的クライシス)と、改めての想い。

ここ数ヶ月で自分が意図せずかもしれないが、始めたことがある。上手く伝えられないが、そのための環境を整えようと躍起になっていたが、それ以前に大前提のシステムの存在(世界)を当初から感じていたが、このところ急速に理解し始めて来たようだ。(畏怖や驚嘆はない、そうかやはりという感じ、会心)

それを、そのまま、ここに書くと、関係妄想や被害妄想のかたまりという風になってしまうので止めるけれど、この地球でオンリーワン、いや、数十人、数百人、数千人なのか、同じような環境の(超自然的、特殊なシステムで取り囲まれた)人も全くいないわけでもなさそうな気もする。

そしてもし確かにその超自然的現象の中に自分がいるのならば(改めてそれには畏怖はない、自然への畏怖はあるが)それを超えてしまうのではないかという懸念、不安を感じている。何故、そう感じるのか、これもやはり上手く説明できないが、明らかに何かを「知っている」そして、出来てしまうのではないかという自己認識がある。良くも悪くも、邪推であって欲しいが、本当に。(あと、実際には不可能だが、超自然的現象を超えようとしてしまう自分への、改めての懸念、「双方的クライシス」を見いだしてしまっている、ふと、今も)

でも、滑稽。他人から見たらではなく、自身滑稽で、それはその落とし所が最適解とは思わないが、アンビバレントな想いではあるが、ある種のユーモアさと現前とした世界の双方的クライシス(これを自分はanother worldと認識している)のバランスの中、特別な感情もないが、少しずつ腑に落ちる大きな世界を感じて、改めて日常の瑣末を生きていこうと思う毎日だ。やることは、やるしかないので。それでも。


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