世界創造主と世界統治者たちの責任3

この世界の統治者やその部下たちの行為について調べてみた結果、この世界の統治者たちやその部下たちの多くが、日常茶飯事に明らかな暴力を行使していることがわかった。

暴力とは、ただ拳で他者を殴りつけたりする行為だけではない。
それが拳であれ、剣であれ、ピストルであれ、大砲であれ、爆弾であれ…

「他者の心からの合意なく他者が望まない体験を確信犯で強制的に与える行為は為してはならない暴力だと理解しなければならない」

そして、そうした暴力行為を指摘され、暴力行為を止めるように説得や注意や警告を受けてもなお確信犯で暴力行為を繰り返し為すならば、当然、その暴力行為の結果に対する「自業自得の責任」を負わねばならない。

つまり、そうした暴力を実行した者は、まさに自らが与えたと同等の暴力を他者から強制されても文句は言えないだけでなく、心から反省できるようになるまで自分が与えたと同じ暴力を受け続ける義務も発生する。

さらに確信犯で暴力の行使を積極的に能動的に実行するような場合には、相手への償いをする義務も同時に発生する。

そして、この自業自得の責任や償いの義務は、直接暴力を行使した者にだけ発生するのではなく、間接的に自分たちの部下や奴隷や操り人形や雇った者などを使って間接的に暴力行為を指示し、命じた者たちにもその義務が発生する。

多くの場合、その暴力行為における命令系統のトップ、つまりこの世界においてはこの世界の最高統治者たちやこの世界の創造主たちの責任が最も問われることになる。

なぜならば、この意識世界は、よりピラミッドの上部にいる者が、その下部にいる他者に好き放題にありとあらゆる酷い体験を強制できるようなピラミッドのようになっていて、生命世界全体が「体験強制収容所」のようなものとして創造され、かつ、統治されているからだ。

であるならば、そのような強制収容所で発生した拷問体験のほぼすべてにおいて、その強制収容所の創造者と所長たちと彼らに自発的に喜んで何でも従う直属の部下たちには、避けることができない責任が発生するのは当然である。

なぜならば、もしもこの世界をそうした体験強制収容所のようなものとしてではなく、あらゆる体験者たちが自分の意志だけで自分のあらゆる体験を自由に選び、心から楽しめるような世界となるように世界を設計し創造し管理統治していたならば、この世界に拷問体験などは発生しなかったであろうことは、明白だからである。

さらに言えば、本来、ここまで言われるまでに自らその過ちに気づき、自発的に世界創造と世界統治のあり方を改めねばならなかった。

それができなくとも、こうして指摘され、注意されたならば、速やかに反省しその持てる力のすべてでそうした不当な暴力行為が好き放題になされている現状を改める選択をしなければならなかった。

だが、何年説得を繰り返しても、ついに本気で体験者たち全体への暴力行為を根本から改めようとする選択は、この世界の大勢において、なされなかった。

一部の権力者がわずかに、さらに一時的に改めるようなことはあったが、継続的に本気で全身全霊でこの世界の統治者たちが一丸になって改める選択をしたことは一度もなかったし、今もその状態が継続している。

つまり、望まれない体験や運命を他者の心からの合意なく好き勝手に強制し続け、また、そうした強制行為を改めれるのに放置している未必の故意が全世界規模で確認されている。

暴力行為には、当然、拳以外の諸力の暴力行為も含まれる。

例えば、気象を操作する力、地震を操作する力、電磁波を操作する力、プラーナや気のエネルギーを操作する力…なども当然、他者が望んでいない酷い体験を強制する結果を生み出すならば不当な暴力行為になる。

さらに生物化学兵器のような力、

不正選挙などで政治経済の権力を好き勝手に使えるようにする行為、

また、他者の心からの合意がなされていない良心に反した法律を身勝手に制定し強制するような行為、、

また、親や上司や教師などの圧倒的有利な立場を悪用した子や部下や生徒への各種暴力行為も含まれる。

善人悪人の見境なく全人類を家畜や囚人や実験動物のように扱おうとするような行為もまた、暴力である。

また、そのような暴力行為がしたくなるような欲望をこっそりと故意に植え付けるような行為もまた、明らかな暴力行為である。

また、人間がその存在を理解できていないようなありとあらゆる一切の超能力の類…を使った暴力もまた暴力行為であり、許されることはない。

さらに、特に重要だと思われるすでに確認されている暴力行為について指摘しておく、

この世界の創造主たちや統治者たちやその直属の部下たちのほとんどが、肉体という体験強制装置に束縛されている人間たちの心や身体に生じるありとあらゆる体験=本能、欲望、気分、感情、思考、五感に生じる苦楽、さらには夢見の体験にまで相手の心からの合意を得ることなく身勝手に介入し、操作し、自分たちの利己的で身勝手なシナリオや願望に巻き込むようにコントロールし続けていることは、重罪に価する。

すなわち、前に説明したが、良心に明らかに反するような行為でも無条件に何でも従う部下や奴隷やペットや操り人形や…を得ようとするためにそうした心身への操作や洗脳行為や調教行為を実行することは明らかな暴力であり、今後は、そうしたことは止めなければならない。

そうでなければ、前に説明した自業自得の責任と償いをする義務を負うことになる。

そうした行為は、あたかも魂を殺して食べて自分に同化させてしまうような行為であり、これを暴力ではないと主張することはできない。

おそらく肉体生命たちのほとんどに生命同士の食い合い本能を強制的に与えたのには、そうしたことを正当化しようとする魂胆があったのであろうが、そのようなことをわざわざしてもそうした行為への正当性など生じることはない。
なぜならば、そうしたことが「わざと」なされたのであれば、より重い罪であると判断されるからだ。

つまり、そのようなことをする自由や権利など、体験者全員が心から安心できる世界を実現するためには存在していてはならない。

なにゆえに生き残りたいという本能や願望を持っている者同士が、互いに殺し合い、食い合いなどをしなければならない?
なにゆえに、そんな仕様の世界にしなかればならなかったのだ?
良心的にそうしなければならなかったのだという嘘偽りのない説明ができるものならば、するがいい。

過去からずっとそうだったじゃないか…などと思う者もいるかもしれないが、ならば、過去からずっとあなたが拷問体験を強制され続けている場合、あなたは、それを永遠に継続することに同意するのかね?

同意するというのならば、そうした継続する最悪級の拷問状態を自分から体験してそのままで本当にいいのかどうか確認してから返事をするがいい。

他の動物や人間や魂を殺して食べてもいいというのならば、自らも同じように食べられることを受け入れるがいい。今すぐ、自発的に殺され、食べられてみればいい。
そうする覚悟もないくせに、昔からそうだったのだから今まで通りでいい…などと間違っても思わないことだ。

そのように思いたくなる本能や欲望や気分や感情を植え付けられていたり、いろいろな方法で洗脳されたり調教されてしまっていて、そう思いたくなってしまうのであろうが、理性と良心と自由意志を目覚めさせて、そうした欲望や気分…に対しては意識的に抗う必要がある。

世界とは、自然とはそうしたものなのだ…だから、自然な欲望にとにかく従っていればいいんだ…などと思わないことだ。

つまり、過去からずっとそのようであったというような事実がたとえあっても、だから、これからもずっとそのままでいいのだということにはならないのだ。

つまり、自分だけ良ければいい…というような価値観にしがみつかないようにしなければならない。
他者の拷問体験の上にしか成り立たない贅沢や特権や権力には、しがみつかないようにしなければならない。

そうではなく、皆で協力して、皆が自分の意志で自分の体験のすべてを自由に選び、心から楽しめるようにしてゆこうと意志してゆく必要があるのだ。

もはやこうしたことは、いろいろな言葉や方法を駆使して、今まで何度も何度も何度も…伝えてきたことではあるが、再度再度再度…伝えておく。

この世界の全知全能?なる創造主たちやこの世界の統治者や彼らに無条件で従う主だった部下たちは、すでにこうした指摘や注意や警告を、通信機器や心を身勝手に検閲して知り、理解しいることは既にわかっている。

よって、知りませんでした…というような言い訳は一切通用しない。
本当に知らなかった場合は、例えば生まれたばかりの理解力のない赤ん坊のような者であれば、してはならないことを知らなかったのだから仕方がないではないか…ということもできるが、この世界の創造主たちや統治者たちにおいては、そうはならない。

なぜならそのような存在たちにおいては、普通人よりもはるかに十分な理解力があることがわかっているからであり、そして合意を得ずの身勝手な検閲行為の実行によってこうした指摘や注意や警告について知っていることもわかっているからである。

だから、「そんなことが許されない行為であるとは、知りませんでした…」というような言い訳は通用しないのだ。

よって選べる選択は、全身全霊で過ち=あらゆる体験者に対する体験の自治権のはく奪行為…をすべて改める決意をし実際に改め償うか、自分たちやその部下たちが実行した暴力行為全体についての自業自得の責任と償いの義務をすべて背負うのか…という二者択一しかないという状況になっている。

自分たちの正体を隠し、他者のことをできる限り知ることで、自分たちが圧倒的優位になると思っていたのであろうが、このように知ることでその責任や義務が回避できなくなるようなこともあるのだ。

自分たちの安全確保を望むのであれば、そんなことをせず、ただあらゆる体験者が自分の意志で自分の体験のすべてを自由に選び心から楽しめる世界を実現しようと本気で目指すとよい。

そして、「成功」せよ。知性や力はそうした世界を実現するためにあると理解せよ。

利己的な心や動機をもっていかにずる賢く立ち回っても、ずる賢く立ち回れば立ち回るほど、自分にとって明らかにマイナスとなる責任と義務の程度が雪だるま式に膨れ上がってゆくだけである。

そして、それは、自らだけでなく、魂全体、体験者全体を苦しめ続ける結果になるのだ。
つまり、この世界の世界創造主たちや世界統治者たちは、そうした負の連鎖をわざわざ生み出しているということになる。

その自他を苦しめ続けているという致命的な自虐行為の過ちを理解し、自覚し、負の連鎖を正の連鎖に転換する責任と義務があると自覚する必要がある。

自ら望んで世界創造主であろうとする者、世界統治者であろうとする者たちには、当然にその義務と責任がある。

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