「カリスマゲーム」という甘ーいお薬


さて、ということで、対策を考えてみよう。


治療方法だ。


痛い注射や手術は、カリスマたちも嫌がるだろうから、甘い甘いお薬を考えてみよう。


その甘いお薬の名前は、「カリスマゲーム」だ。


なんて簡単な命名なんだろうと思うかもしれないが、名前よりも中身を気にしてもらいたい。


話は簡単だ。


いわゆる多人数でできるVRゲームのようなゲームやRPGゲームみたいなゲームでカリスマ体験がしたい人、この指とまれ!と呼びかける。


世界中のカリスマ体験を求める魂たちが、この呼びかけに応じることだろう。


そうすると100人に一人くらいしかそうした応募者がいなくても、世界人口が100億いれば、一億人もの応募がある。


一億人もいれば、もうカリスマゲームが成立する。


別に一億人もいなくても、せいぜい一万人でも成立するだろう。

そうなると、かなりのカリスマゲームが可能になる。


ゲーム内ではカリスマとカリスマを持ち上げるその他というキャラ分けになっていて、一定期間、カリスマをみんなで持ち上げる。


相手がだれであれ、なんであれ、ゲームなので、お望み通りのシナリオをカリスマ役になった者に描いてもらって、内容に異存がない者たちだけで、その通りにその他のキャラたちは演じる。


ここで重要なのは演じる能力だ。


ここで演じる能力が不足していると持ち上げるべきところで、失敗して、地が出てカリスマをけなしたりして争い始めたりするとゲームにならないからだ。


だから、応募者には、一定の試験を課して、自由にいろいろなキャラを演じれるところを試験で示さねばならないものとする。


そのために日夜、訓練することが未来の世界では、人類の仕事のひとつになっていたりする。


訓練といっても軍隊訓練や義務教育や社畜教育みたいなものではなく、それぞれが自発的に、自分がカリスマゲームに参加したいならば、そうした訓練をするだけだ。

でないと、試験に合格できなくなり、ひいては自分もカリスマ体験が味わえないので、がんばるわけだ。

別にカリスマ体験などしたくないし、持ち上げ役にもなりたくない……という者は、カリスマゲームに参加しなければいいだけだ。そうした自由は完全に保護されるようにしておく。でないと暴力になるから。


そして、演技力が高ければ高いほど、カリスマゲームでの選択肢が広がることになるので、自発的に必死で訓練する者も出てくる。


これは結局は自分が楽しむための訓練なので苦にならない。


こうしてカリスマゲームの参加者たちは、交代でカリスマ体験ができるようになる。


ゲームが終わったら、みんなで温かいお茶でも飲みながら丸テーブルを囲んで雑談したりして、その後も楽しめるようになっている。


「あー、あの時は、あのタイミングであのセリフはよかったねー」とか、


「あそこでの敬礼は、ゾクゾクしたよ、ありがとう!」とか、


「今度は一万人のファンたちにもみくちゃにされる体験がしたい……交代でやりたい人はいるかな?」とか、


まあ、そんな感じでいろいろ話あって親睦を深めるわけだ。これがまた楽しい。


ゲームでも楽しみ、その後の雑談会でも楽しめる、一度で二度おいしい仕組みだ。
さらに、次のゲームのための話し合いの場にもなっている。


そんなこと無理だよ、絵空事だよと思うかもしれないが、それはあなた次第であり、そのために演技力を訓練すれば、可能になる。


ここで重要になるのは、表面的な演技だけでなく、内面の心の演技まで習得するという点だ。


どういうことかと言えば、カリスマが好まれるのは、表立って持ち上げられるのはむしろ付録のようなもので、メインは多くの者たちに、その内面で感謝されたり、尊敬されたり、慕われたりすることだからだ。


それが一度体験すると、なかなかやめられない麻薬的な喜びや楽しみになっているからだ。


だからこそ、中毒してしまうのであって、それをこうしたゲームで合法的?というか倫理的に問題ないようにみんなで公明正大にフェアに体験しあおうというのがカリスマゲームの治療薬としての役割になる。


別にカリスマがいけないことではないのだ。


ただ、カリスマ体験をし続けるために、他の魂に無理やりそのカリスマ体験につき合わせようとする暴力行為や詐欺行為が問題なのだ。


だから、そうした最高のカリスマ体験のありとあらゆるバージョンをを参加者全員心からの合意の上で楽しめるゲームの場を作り出すわけだ。


いや、自分の願望はかなりニッチなんで……必要十分なメンバーが集まらないと心配するカリスマ愛好家もいるだろうが、そこは、人口減少ではなく、積極的に宇宙空間や他の惑星にでも快適なコロニーでも作って、人類100億を100倍、1000倍、10000倍と増やしてゆけば、それに応じて参加者の底辺が増えてゆくのでいつかはほとんどのカリスマゲームが成立するようになる。

現状の人類の中でたった一人しか持たないニッチな願望だとしても、じゃあその人類を、というか魂を10000倍に増やせば、少なくとも10000人の参加者は集まることになる。

そして、それは例えば、現在の人類がそれぞれ自分の心の中に10000人の別人格や別キャラを持てるようになることでも可能になる。


さらには、人類以外の知的な魂が参加してくる可能性もある。


さらに例えば、複数のキャラを自分の心の中に育成できれば、自分の心の中だけで、そのニッチな体験を自作自演で楽しむという方法もあったりする。


だから、どんなニッチな願望でも、諦める必要はまったくない。


あくまで心からの合意の上でという話だから、そうした「完全合意の上でできるだけ多種多様な体験ゲームを楽しむ」ということが、人類の生きる楽しみや目的や文化となるように世界を変革してゆくといいだろう。


そもそも、社畜とか奴隷とか……そういうのは過去の 馬鹿げた黒歴史だった というような未来を目指すといいだろう。


もう戦争も貧富の差もなく(まあ、そうしたことも心からの合意が成立すればすべてゲームとしてならゲームの世界で演じて楽しみあえるのだが……)、生活に必要なものはすべてAIつきの生産工場でロボットが自動生産するような未来も可能だ。


その自動生産工場では、快適に生活できる個人用や家族用の水陸空、そして宇宙空間すべてで豊かに生活できる特殊宇宙船を自動生産する。


そして、心からの合意が成立すれば、その快適宇宙船がどこかの惑星やどこかの宇宙空間などに集まって、いろいろなお楽しみ体験ゲームをはじめるわけだ。


あるいは、電波利用によってVRゲーム的な感じでキャラを選んで楽しむ方法もある。これならば、自分の外見も自由に変えることができる。


そのころには、当然、宇宙人たちもこのゲームに参加してくることだろう。彼らも望む体験を楽しみたいはずだからだ。


すると一気に参加者の底辺が広がり、成立するゲームの範囲もグッと広がることになるだろう。


とくにキャラ選択自由のネットゲーム的なゲームならば、光通信とか、量子的な科学力を使えば、宇宙中の宇宙人たちとそうしたゲームが楽しめることになる可能性もある。


さて、こうしたゲームでカリスマ体験をみんなで楽しむなんて選択肢をつくれば、何も無理やりカリスマの地位を維持するために他の魂の自由を束縛したり、不当に支配したりしなくてもよくなるのではないだろうか?


ちなみに、すでにネットゲームなどは現実に生まれているので、これは絵空事ではない。


実際に、そうして心からの合意のもとでカリスマ体験を味わってみたり、戦争ゲームを楽しんでみたり、その他いろいろな体験を双方合意の上で楽しんでいる人たちがいる。


まあ、ホストクラブやキャバクラなども、似たようなゲームの一種ともいえるのかもしれないが、未来のゲームでは、お金のために仕方なくそうした場所で働く……という状態はないようにする。


快適な安全生活は完全に保証しておいて、誰もが完全に自分がより楽しむために参加する という仕組みにする。また、そうしたゲームに参加しないのも完全に自由とする。そうすれば、倫理的に問題はなくなるからだ。
そうしないとどうしても不公平感や恨みつらみが発生するので、長い目で見れば、そうした方が精神的な安全度や満足度が高くなるからだ。


不公平や不条理な体験強制システムを使って無理やり一部の魂だけが良い体験をできるようにしておきながら、ずる賢く恨みつらみを持たせないようにしようとしてもそれは無理だからだ。


なぜなら、相手の自由意志がなければ、まともなカリスマ体験もできないわけだからだ。


意志を持たないロボットをいくら集めてカリスマゲームをしてもそれでは満足できない。


であれば、自由意志を持つ魂が、無理やりそんなことをしてくる者たちを恨んだり憎んだりするのは必然となるからだ。自由意志の性質がまさにそうした性質だからだ。


だから、一時的には成功しても、長続きはしない。そしてついには正反対の体験が発生する。


カリスマ体験で持ち上げられるつもりが、心から恨まれ、憎まれるようになってしまう。そして未来永劫、常にそのリスクが存在し続ける。
場合によっては、永久に呪われる……良心の呵責に責めさいなまれ続ける……
だからといって良心を完全に捨てると、出会った相手にさらに嫌われ、呪われてゆく悪循環が発生する……そうなると、もう人前には出れなくなってくる……こうして、完全な悪循環となる……


このカリスマゲームの仕組みは、そうしたリスクを消した甘い甘いお薬になっているというわけだ。


そしてそのお薬に必要なのは、そした体験ゲームを誰もが強制なく自由に楽しめるような世界であり、そうした安全で楽しい世界を一緒に進化させてゆこうとする遊び心に満ちた自由で愉快なメンバーを増やしてゆくことになる。


そうしたメンバーの底辺が広がれば広がるほどに、楽しみあえる体験の種類やシナリオもどんどんと増えてゆくことになる。


演技力のエキスパートになってくれば、ありとあらゆる役割やキャラを迫真の演技で、相手が演技だとまったくわからないように演じて、しかも、その演技をすることを心から楽しめるようになる。


奴隷や社畜や使用人ではなく、カリスマたち含め、あらゆる体験者たちにとって素晴らしい未来を実現するために育成すべきはそうした超自由人、超演技者、超遊び人……たちであるということをここに指摘して、甘ーいお薬のひとつとして提案しておく。


みんなで飲めばすごく楽しい未来があるだろう……

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