世界創造主と世界統治者たちの責任4

前に「魂を家畜や奴隷や囚人のように扱ってはならない」と伝えた。

また、自分に無条件に従う部下を生み出すための拷問体験の強制などもしてはならないと伝えた。飴と鞭による魂の不当な洗脳や調教はこれを実行してはならない。

そして、そうしてはならない理由は、そのように扱われたくない魂=体験者が圧倒的多数であることが明白だからだ。

そのように扱われたいと本気で願っている世界統治者や世界創造主がいるならば名乗り出るがいい。

他の魂に、家畜や奴隷や囚人のように扱われたいと本気で思っている者がいるならば、同じような願望のある者たち同士で、特別区のような場所でそうした関係性を互いに交代で公平にかわりばんこに支配者と被支配者の立場を交代して味わい続ければよい。

だが、本気でそんな体験を交代で味わい続けたいと願う魂は、ほとんどいない。

いやそう願う魂も結構いるよ…と思うのならば、この惑星の歴史に記録されている残酷体験のすべてを交代で味わい続けたいと思うのかどうか、自問自答するがいい。

そして、それでもそうした体験をし続けたいと願うのならば、今、そうした拷問体験を味わっている犠牲者たちとその立場を交代してやればいい。

それが嫌だと言うのならば、魂を家畜や奴隷や囚人のように扱おうとすることや、拷問体験の強制や拷問体験を駆使した魂への洗脳や調教は止めねばならない。
また、そうした行為に加担することも止めねばならない。

すなわち、あらゆる体験者の体験の自治権の保証提供よりも絶対的な権力者や支配者や絶対者を最優先にして崇め、そうした絶対者に従わなければ拷問的な体験を与えるようなことを正当化しているような宗教や政治システムや経済システムや法律や価値観や文化風習…などは、根本から改めなければならない。

あらゆる体験者の願いを満たすためには、世界の創造主や支配者や権力者を是とすることを最優先だとする価値観は、明白に間違っている。

世界創造主や世界統治者や支配者や権力者とその被支配者たちには、いろいろな体験を感受する能力を持った体験者として同じ体験の自治権があるべきなのだと理解しなければならない。

つまりは、自分自身の体験のすべてを自分自身の意志でコントロールする自由と権利が保障提供されねばらない。

そして、世界創造主や世界統治者たちではなく、そうした価値観を最優先だとしなければならない。

それに否と言うのならば、それに否と言うものたち同士で、先に説明したように、この世界で、この惑星で、この世界の歴史の中で…今まで発生したありとあらゆる拷問体験を支配者役と被支配者役を交代で公平にかわりばんこに…永遠に味わい続けるがいい。

そして、まず第一に一番ひどい拷問体験から体験するがいい。今すぐにだ。

それでこれは無理だと、耐えれないと感じるようならば、今すぐに価値観を改め、あらゆる体験者に体験の自治権を保証提供するために最善を尽くすがいい。

それは自らの未来の運命の選択であり、自分自身のためなのだ。

だから、本当の本当にそうした拷問体験を与えたり、与えられたりというゲームがしたいのであれば、本当にそうしたことがしたいもの同士だけでやればいい。一種のスポーツのようなものとして。

殴り合いをスポーツと名付けて楽しみたいのならば、それもいい。だが、そうしたくない者たちを巻き込むな。

体験の自治権を奪われて、家畜や奴隷や囚人のように扱われてもいい、それでもいい、それが望みだ、そうしたことをやりあいたいのだ。それが楽しいのだ…などと思うのであれば、それもいい。

だが、決して、そう望んでいない者たち、魂たちを自分勝手な支配被支配の拷問ゲームに巻き込んではならない。
家畜ゲームにも、奴隷ゲームにも、囚人ゲームにも、巻き込んではならない。

そうしたことを確信犯で実行してしまえば、とてつもなく残酷な自業自得の罰と償いの義務を背負うことになるからである。

だから、自らそのようなことを実行してはならないし、そのような行為に自ら加担してもならない。

どうしてもやりたいならば、本当にやりたいもの同士だけでやれ。

ただし、本当にやりたいのかどうかを確認するために、少なくとも今時点で一番ひどい拷問体験をいくつか自発的に体験してから答えを出すべきだろう。
残酷な強制収容所や監獄などでは自殺したくても自殺する自由すらないような状態で死に勝る拷問を受けている魂たちもいるのだから、そうした者たちと同じ体験をまずはしてみるべきだろう。

それで耐えれないのであれば、そうした拷問体験の強制システムを改めるために必要なことをしてゆかねばならない。

また、そうすることはこの世界の創造主や統治者たちの当然の義務だと理解しなければならない。

なぜなら、この世界の全知全能なる創造主や統治者たちは、少なくともそうした拷問体験の強制を止めさせることができるだけの支配力や権力や能力を必要十分に持っているわけだから、それが当然の義務となる。

自ら望んでそうした世界創造主や世界統治者、あるいはもっと小規模の組織や関係性においても、他者の運命や体験を自由自在にコントロールしようとし、拷問的な苦しみを好き勝手に他者に強制できる力を望んで持とうとする者たちには、当然、そうした責任や義務が自動的に発生する。

そのような他者の運命や体験をコントロールできる権力を手に入れた者を無条件に崇め従うように誘導する洗脳や調教などは許されない行為であると理解しなければならない。

あらゆる体験者の望みを満たすために必要なのは、他者の体験を自由にコントロールすることではなく、各自各々が「自分自身の体験のみを自由にコントロールできるようにすること」であるということは明白だからだ。

またそうした間違った行為に飴体験やご褒美に目がくらみ…自発的に喜んで加担するような行為もまた許されない。

世界創造主や世界統治者たちだけでなく、この世界の霊的指導者や権力者や大きな組織の長などのほとんど、また人類の過半数以上が、現在、そうした許されない行為に加担していると判断されている。

心してそうした許されない間違った行為に加担しないようにしなければ、この世界の拷問体験全体に対する責任や義務を世界創造主や世界統治者たちと一緒に背負わねばならなくなる可能性がある。

耐えがたい拷問体験などで脅されたりしていないのであれば、加担しないことを選択する自由があったと判断されるからだ。

特に生活に困っているわけでもないのに、権力者に従うことで優遇されたり、ご褒美のようなものや賄賂のようなものをもらえることを喜んで自発的に加担してしまうと大きな責任を負うことになる。

だから、自ら望んでそのような選択をしてはならない。

まずは、体験の自治権=望まれていない酷い体験を誰もが強制されないように目指し、その前提の上で、誰もがありとあらゆる望ましい体験を最大限多様に自由に自分の意志だけで選び楽しみ続けれる世界を実現しようと目指すとよい。

「体験の自治権」とは、そうした自由や権利を象徴した言葉であり、概念となる。

決して、他者の体験を恣意的に好き勝手にコントロールできるようにしてやろう…などと意志しないように気をつける必要がある。

なぜか…

そうした好き勝手に他者の体験をコントロールできるシステムや技術が実現すれば、必ずそうしたシステムや技術を悪意ある者や利己的な者が自由に使えるようになる時が来る。遅かれ早かれ、間違いなくそうした時がくるのだ。

するとどうなるか…

あなたを含め、世界創造主も世界統治者たちもその他ありとあらゆる体験者たちが皆、その悪意ある者、利己的な者に自らの体験を好き勝手にコントロールされてしまうような未来が必ず来ることになってしまうのだ。

それがどういうことなのか、理解しなければならない。

つまりは、自分で自分の首を絞めることになるのだ。
首を絞めて殺されるくらいで済めばまだいいが、永遠に最悪級の拷問体験を永遠に強制され続ける運命が発生してしまうということになる。

これはあらゆる魂たち、体験者たちにとって、最悪な未来であり、どうあっても避けなければならない未来である。

この世界の創造主や統治者たちやその加担者たちが、現在目指しているのは、そうした最悪の運命を生み出すための技術やシステムを現実化するような行為である。

他者の体験をコントロールできる完全で絶対的な支配…を実現化してしまうということは、そうした運命を受け入れるという選択になるのだ。

よって一部の者が他の体験者たちの体験を好き勝手に操作できるような絶対支配システムを手に入れよう、開発しよう…などと思ってはならなかったのだ。
すでに、そうした力やシステムを求めた時点から進むべき道を完全に間違っていたということだ。

現在の、また、これから生まれてくる者たちの心の中に悪意や利己心が生じる可能性が少しでもある限り、また、すでに世界創造主や世界統治者たちの心の中に悪意や利己心がわずかでも存在している限り…それは避けようがない運命となる。

体験者たちに自由意志が存在するということは、その最悪の運命が避けれないということと同じ意味になり、完全に自由意志が存在しない世界にしてしまえば、ロボットしか存在していない世界になる。
自分以外をすべてロボットにしようと目指しても、まさにその技術で自分がロボットにされてしまうことになる。

世界統治者たちは、自分たちが一体何を目指し、何を望んでいるのか、こうした道理も考慮し、もう一度よく自問自答しなければならない。

そうした運命を回避できる唯一の方法が、あらゆる体験者に「体験の自治権」が保証提供される世界を実現してしまうという選択だ。

あらゆる通信機器の徹底検閲技術だとか、遠隔操作毒による命や心身の徹底支配だとか、マイナンバー制度支配だとか、顔認証システム支配だとか、ピラミッド型の体験強制権力システムだとか……そんなものは、すべてそうした最悪の運命に突き進むための技術や道具やシステムでしかない。

そうした技術を最悪の心を持った者が独占しないという保証はまったくないからだ。
というか、遅かれ早かれ、最悪の心を持った者に、それらを丸ごと独占されることになる。

つまりそうした技術を開発し、使えるようにしてゆく行為とは、長い目で見れば、絶対確実に自分の墓穴を掘る行為ということになる。

なぜ魂=体験者たち全員を見境なく家畜や奴隷や囚人のように扱えるようにしてはならないのか、この説明で少しは理解できたであろうか?

それは、こうした最悪の運命をあなたがたが回避するためだと理解しなければならない。

他者に対する徹底的な支配ができるように……などと目指せば、長い目でみれば、ありとあらゆる者たちが拷問体験を徹底的に永遠に強制される運命を回避できなくなるのだ。

その最悪の運命を回避するには体験の自治権をあらゆる体験者たちに保証提供することだけを目指すことだ。

いやいや、うまく回避してやる…などと思っているのかもしれないが、

そもそも、あなた方は、自分が何者なのか理解しているのか?

自分が何者であるのかすら理解できていないのであれば、一体誰が何を回避するというのか?

あなたがたは、本能なのか? それなら肉体とともに滅びるだけだ。

あなたがたが、本能や感情や気分や苦楽や痛みや快楽…などの一切の体験を体験している者であるというのならば、あなたと他者の違いはどこにあるのか?

もしあなたが自分が体験者であるという自覚を持てば、あなたは肉体が滅んだだけでは、滅びなくなる。

なぜなら体験者がまだ世界に生き残っているからだ。

だが、ただ生き残ればいいというものでもない。

それが最悪級の拷問が強制され続ける世界であった場合、生き残ってしまう…ということはとてもつもなく危険なことにもなるのだ。

まず自分が何者なのかを自覚できなければ、それはまだあなたが生まれていないのと同じようなことなのだ。

あなたがどんな最悪級の拷問体験にも全く動じず平然と永遠に耐えれる不感症ならば、あなたは体験者ではないのかもしれないが、そうでないのならばおそらくあなたも体験者だ。

体験者であることが本質であり、自我意識や気分や感情や思考や欲望や本能…の方が幻のようなものなのだ。

であるならば、どんな立場になったとしても問題ない安心できる楽しみ続けれる世界を実現させることが正解だろう。

ただ、そこに至るための道は、今から皆で意識して切り開いてゆかねばならない。

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