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共通意識というゆりかご

    海外に行った日本人が言う言葉ナンバーワンは、日本は素晴らしい。日本人でよかった。ではないだろうか。

    海外に出ると、あらゆる常識が通用しない。いや、日本で培ってきた常識(のようなもの)は、非常識なのだ。それはなぜか。その常識(と信じていたもの)を、知る人が圧倒的にマイノリティだからである。世界は広いのだし、日本人なんてその中で圧倒的な少数派だからである。

   つまり、言葉はおろか、共通意識を持つことすら出来ない。そんな世界で生きることが心地よいはずが無いのだ。よって。日本に生まれた人は日本で暮らす方が良い。それは共通意識を持つことが安易だからである。共通意識とは、常識のことだ。

    常識すら疑わないといけない環境は、それすなわち修羅そのものである。朝は静かに起きたいと思っても、外の銃弾や爆破の音で起きる朝が常識の場所もザラである。ましてや、夜に女の子一人で出歩ける国は日本以外に皆無だろう。

   それが出来る日本に住んでいながらにして、海外に行けばもっと私らしく生きられるはずだと夢を見るのは本当に無知を晒すようなものでもはや滑稽だし、海外の厳しさを知って日本にすごすごと帰っくる未来を予言したらほぼ100%の確率になるだろう。

    なぜ、こんな話をしているのか?と問われれば、私は、そろそろ共通意識とは何かについて真剣に考えなければならないと思っているからだ。共通意識とは、幻想であり、統一された人種の間だけで実現するある種ボーナスステージのようなものであって、当たり前ではないので、それを当たり前と思う風潮もそろそろ嫌気が差しているし、それを海外に求める幼稚さはもはや同じ人間として恥ずかしくて仕方がないと感じるのだ。

    なにも、僕自身がそうでは無いと自分を棚に上げている訳では無い。僕もそう考えてここではないどこかに約束の地があると夢想したひとりだ。結果。ここではないかもしれないがここにいるしかない自分になっているだけである。

     海外、というとあまりに大きい括りなので(それは自分とそれ以外と言っているのと同じくらい大袈裟だ)、あまり使いたくない言葉なのだが、海外を日本以外の国ととらえた時、それは主に宗教観で区切っておけば概ね間違いでもないように思う。キリスト教、と言っても派閥がたくさんあるのでそれすら無数に存在するが。キリスト教なのか、イスラム教なのか、ユダヤ教なのか、ヒンドゥー教なのか、それである程度は想像は着くだろう。問題はそれらの宗教が入り乱れている地域が多いことである。つまり、話してみて相互理解を図らないとそれすらわからないという事実だ。

    日本人みたいに、肌が黄色くて、日本語を話せば日本人!解決!とはならないだろう。同じような肌の色をしていても信じる宗教を聞いてみないことにはどう判断すればいいか分からない。もっと言えばその人がどこの地域の出身か?どんな両親から、どんな家庭環境で育ったのか?まで知らないことには、その人との共通意識など、図れるはずもないのである。

   そこに人種問題の難しさが、普遍的かつ恒久的な問題が横たわっている。話せばわかる!とか、知ろうとすれば分かり合えるなど、どこまで行ってもそれは幻想そのものであり、その証拠に海外では、当たり前のように紛争、戦争で、人種間で殺しあっている。それがもはや日常と言ってなんら問題ないのである。

    先日、営業先でイスラエルとトルコの話を聞く機会があった。わたしはどちらも行ったことはないので、イメージで、トルコは日本人と仲良くなれそうと言った。すると、「彼らは平気で嘘をつくので仕事にならない」と言う。イスラエルはどうかというと、「かなり頭が回るひとばかりだが、ロシア語がメインなので会話に一苦労する」だそうだ。ここであまりに自分が世界の今を知らなさすぎることを痛感した訳だが。

    同時にわたしは、サウジアラビアの盛り上がりについてニュースで見聞きしたことを話した。それは、脱石油を掲げていること、コンテンツ産業に力を入れていることである。その共通意識は得ることが出来た。そこから話は若い人たちの話になり、いま、インド、インドネシア、アフリカの若い人たちの生活水準がどんどん高まっているという話になった。つまり、先進国では当たり前の家電やパソコンや高級車がそれらの地域で飛ぶように売れているという現実だ。それらはみな、安くていいものを買うのではなく、高くてもそれなりにいいものを買いたいのである。つまり、いいものを安く提供しようとする日本ではまるで歯が立たないハイソサエティな文化がそこに芽生えつつあるという現実だ。

   コンテンツ産業に活路を見いだしているサウジアラビアと手を組めば、日本は明るい。確かにそうだろう。だが同時に届けるべき顧客が求めている高級感やハイソサエティさは持っているとは言い難い。それらはすべて中国が囲いこんでいるのだ。

    ただ、だからと言ってそこに対抗せよと言いたい訳では無い。むしろ高級感は中国に任せて、日本はニッチなニーズを答えるマニアックな存在でいいと思う。それと、これも言っていたのだが、「日本はそろそろ正攻法じゃないやり方をしないといけない」。これが面白かった。

    日本がアメリカの属国であることは周知だ。だが、中国がいまアジアを席巻し、BRICsでロシア、インドの次に中心になることは確実視されている。インドやロシアが日本と手を繋ぐことはかなり難しいと言えるだろう。それでも、そこと影で手を組むなり、中国と仲良くするなり、それなりの強かな戦いは今後必要になるだろう。それをしなければ?中国に全て美味しいところを吸い尽くされるだけだ。

    もちろんそれでいいだろうし、もうそうなるしかないと思う。だが今そうなっている(またはそうなりつつある)ということを、知っているかそうでないか?には雲泥の差がある。わたしたちはそこを知っていることが何よりも重要なのだ。

    世界に共通意識など、ない。
あるのはあるのは圧倒的な現実と、
もはやどうしようもない人口格差だ。
これから、日本人は減り続けるだろう。
ユダヤ人達が故郷を追われ世界に散ったように
日本人が故郷を追われないように
この島国を守り続けていきたいと思ったりする。
ま、ぼくができることなんてたかが知れてるさ。


むじかでした。

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