no.18/季節の変わり目【日向荘シリーズ】(日常覗き見癒し系短編小説)
目安:約4500文字
「ん〜…うーん……」
さっきから変な唸り声を上げているのは、この部屋の主。たくちゃんだ。
たくちゃんが時折り変な声を上げるのは日常茶飯事なのだけど、今回は何か違う。スランプとか? みんなも少し気になるのか、チラチラとたくちゃんの様子を伺っているみたいだ。やがて、堪り兼ねた様子でござるくんが声をかけた。
「……たくあん氏。少し顔が赤くはないであるか?」
「あれ? 本当だ。たくあんさん、もしかして熱あるんじゃないスか? それにさっきから辛そうじゃないです?」
「そうなのか。熱を測ってみてはどうだ」
「んぁ? 熱ぅ?」
うわ、だるそうな声。これ絶対に熱あるやつじゃん。
「ぃや、無理ぃ。俺、体温計持ってなーい」
……まぁそんな事じゃないかなとは思ってた。
「あー……そういえば僕も持ってないッス。こういうのって意外と使わないスよね。誰か体温計持ってません? 102さんは?」
隣人の俺に声がかかるけど、そう言われてみると……
「あ、俺も持ってない」
「それを言うと、僕も持っていないである」
ござるくんの言葉を聞き終わると、たくちゃん以外全員の視線が、一斉にメガネくんへ向いた。
「はぁ、全く。お前たちの体調管理や危機管理はどうなっているんだ」
「調子悪い時は早く寝ちゃえば大体何とかなりますから!」
「ここ数年は風邪など引いていなかったから忘れていたである」
「……俺も」
「……少し待っていろ」
半ば呆れたようにため息をひとつこぼして、メガネくんは103号室を出て行った。よりによって、ここから一番離れた部屋の住人しか体温計を持っていないとは……
「たくあんさん、寝てた方が良いんじゃないです?」
「僕たちがうるさかったら、一旦解散して部屋に戻るであるよ」
「ぃやぁ、大丈夫ー。ちょっとだけ頭ぼーっとしてるけどさぁ、作業できるし。元気よー」
座っているのに上半身がフラフラして、とりあえず元気そうではないけど。
「寒気とか、ないであるか」
「んあー? むしろポカポカしてるーへへへ」
「それヤバくないスか? もう相当熱出てたりして」
「作業は一旦中断するであるよ」
「えー、やだー」
「水分摂ってます?」
「お茶ー、これー」
指さす先にはいつも見るペットボトルの麦茶が、モニターの横でスタンバイしていた。
(コンコン ガチャ)
「メガネさん、おかえりッス! たくあんさん作業やめないって言うんですよ。何か言ってやってください」
キツネくんの訴えに、メガネくんはまたため息をひとつついた。
「風邪拗らせて数日寝込む事にでもなったら、俺たちがここへ集まるわけにもいかないからな。治るまで夕飯は作りにこないぞ」
「えー、それはちょっとやだー」
「ならばとりあえず作業をやめて熱を測れ」
「……はーい」
……さすがメガネくん。
「あ、これおでこにかざすやつッスね。メガネさんすごい体温計持ってますねー!」
「……凄いのか? 職場のものと同じタイプなだけだ。非接触型は何かと便利かと思ってな。測定結果は若干高めに出るようだが、まぁ許容範囲内だろう」
メガネくんの職場……役所はもっとこう、昔ながらのブンブン振ってリセットする水銀計とかを使ってるのかと思ってた。……偏見以外の何ものでもないけど。
間もなくピピピピッと鳴って、たくちゃんの体温測定が完了した。
《38.6》
「やはり熱があるじゃないか」
「しかも結構高熱である」
「えーぇ、大丈夫だろ〜?」
「どこが大丈夫なんスか! 風邪です! 病院に行くレベルっすよ!」
「病院〜? やだー。このくらいの不調なら今までもあったしさぁ。今めっちゃ頭使ってるから知恵熱とかじゃねーのぉ? 風邪じゃねーよ」
「知恵熱って、たくあん氏は子供であるか」
前に「仮に熱が出ても作業できる自信しかない」って言ってた事があるけど、勢いで口をついた発言とかじゃなくて、本当にそうだったのか。
「それなら病人の仕事の邪魔になってはいけないから、今日はこのまま解散だな。夕飯は自分でなんとかしろよ」
「はぁっ? なんでそうなるんだよー!」
「体調を崩しているのに仕事をするのだから、俺たちがいたらいつもより集中できなくなるんじゃないのか? 気遣いだ」
「わかったわかった! 今日は作業中止するよー」
最初からそうすれば良いのに。
日曜日の昼から集まってしまっていた俺たちはそれなりに暇で、たくちゃんが風邪をひいたことで途端にやる事を与えらたように動き出した。まず俺とござるくんが押し入れから長袖のスエット上下を取り出し、メガネくんが自室から市販薬を持ってきて、キツネくんは念の為に保険証を確保した。スエットに着替えるようたくちゃんへ指示を出した後、今はみんなで近くのクリニックを検索しているところだ。
「……あのさぁ、前にも言ったよな? 俺、みんなの前で着替えたくないんだけど」
「ならば風呂場にこもってでも着替えてこい。まぁそれか、俺たちが部屋に戻れば良いだけの話でもあるが」
「……わかったよ」
やはり熱でいつもの元気がないのか、反論もそこそこに、押し入れから出したばかりのスエットを抱えて風呂場へ入って行く。
「開けんなよ!」
「誰も開けませんから、安心して着替えてきてくださいねー!」
「今は病院を探すのに必死だから、邪魔はしないであるよ」
さすが都内の住宅街だけあって、それなりにクリニックはあるけれど、とはいえ今日は日曜日。救急病院の休日外来はちょっと高くつくし。さっき飲んだ薬が効くと良いんだけど。
「げぇっ、この時期に長袖のスエットはないわ〜。あっち〜」
文句を言いながら、見慣れない出立ちのたくちゃんが戻ってきた。あついのは発熱のせいもありそうだけど。
「ちゃんと靴下も履いておいてくださいよ! あるでしょ? 僕があげたやつ!」
「靴下嫌いって言ったじゃーん」
「風邪なんだから、ダメっす!」
「えー」
「ほら、たくちゃん。布団広げておいたから横になって」
「やっぱ作業しちゃだめなのー?」
「だめである。少しは今の自分の状態を自覚するである。38.6℃であるよ」
「ちぇっ、所詮非接触で予測された数値じゃねーか。数字に踊らされやがって。実測でもあるまいし」
それはそうなんだけど。誰よりも感情的な言動をする印象があるたくちゃんだけど、外からの感情論的な事象から影響を受けている様子はほとんど見たことがない。いつも事実だけを受け止めてそこへ文句を言っている。でも、文句を言うなともう一度測らされた末、0.2℃上がっていたたくちゃんは、問答無用で寝かされてしまった。
「吸熱剤でも買ってくるか」
おでこに吸着してジェル状のシートで熱を放出する。氷で冷やすよりもお手軽なイメージのアレだ。
「僕も行くッス!」
「みんなで行ってはどうであるか。たくあん氏も休みやすいと思うのであるが」
「そうだね。俺も薬局で買いたいものがあったからちょうどよかった」
「一旦出るか」
「みんな行っちゃうのー?」
「薬局行くだけッスよ。絶対に、ちゃんと寝てて下さいね!」
「えー、ヤダナー」
「寝てなかったらそのまま解散して俺たちは部屋に戻るぞ」
「そうなったら各々で夕飯である……」
「わーかったよー。ねてますよー」
たくちゃんを布団に突っ込んで、俺たちは103号室を出た。毎日顔を合わせているというのに、思えばこのメンバーでそろって外出なんて、ほぼほぼないんだよな。
「たくあんさん、気付かなかったんスかね、熱出てたの」
「まぁ、集中すると周りが見えなくなる状況は、なんとなく分かるである」
「とはいえ、あそこまでになっても気付かないとはな」
「……」
俺は……ワンチャン気づいていたんじゃないかなと思っている。でも作業している方が充実するとか、もしかしたら作業に集中する事で他の事を考えないようにしたかった、とか? ……考えすぎか。たくちゃんの頭の中はたくちゃんにしかわからない。
初夏の陽気はまだ慣れなくて、暑いと思えば急に冷えたり、雨が降ったり真夏みたいに太陽が照ったり。そう。今は春から夏に向けての季節の変わり目なのだ。こんな時期は体調を崩しやすいから気をつけなさい……なんてよく言われていたっけ。
「体調を崩した時、1人だったら大変スよね。僕前住んでたところでインフルになっちゃったことがあって、めちゃくちゃ大変でしたよ。一人暮らしだし、友だち呼ぶわけにもいかないでしょ?」
「確かに。インフルエンザでは人を呼ぶのも憚れるである」
「だからこそだ。体調管理と危機管理。せっかく薬局へ行くんだから今から全員体温計を買ってくるといい」
「今ッスか?」
「いい機会ではあるが……」
「いい機会だからこそ、逃したらまた忘れるぞ」
「……そうだね」
倒れた時に1人だと困るのは経験済みだ。あの時、会社から無断欠勤の連絡を受けた母さんが駆けつけてくれるまで、どれくらいの時間が経っていたのかもはっきり覚えていない。あの時と今は違うけど、それでも体温計くらいは買っておこうか。
「たくあんさんは1人じゃなくて良かったスね! もし僕が風邪ひいちゃったら、その時は僕のことも助けて下さいね! もちろんお互い様なんで、僕もみなさんを助けまッス!」
薬局で、みんなが無事に普通の体温計を購入して、たくちゃんの分も買って。総合感冒薬と吸熱剤とスポーツドリンクを買って103号室へ戻ると、たくちゃんは静かに眠っていた。この部屋、こんなに静かになるんだな。
「たくあん氏が寝ている横で夕飯……というのも気が引けるであるな」
「確かに。今日は別々にご飯食べます?」
「何となくバタバタしたしな、ファミレスでも行くか」
「いいッスねー!」
「たくあん氏の夕飯も何か買ってくれば良かったであるな」
「まあ、お粥でも作っておいたらいいだろう」
「そうっすね! そうだ、僕これおでこに貼ってあげよーっと。あー、寝る時くらい眼鏡外せばいいのにー」
キツネくんに眼鏡を外され吸熱剤をおでこに貼り付けられても、たくちゃんは目を覚まさなかった。メガネくんが手早くお粥を作って、食べる前に温めてという置き手紙と、さっき買ってきた体温計をテーブルの上に置き、俺たちは部屋を出た。
「んー…」
月曜日の朝だ。今日は少し寒い、ような気がする。バイトもあるし早く起きよう。昨日は少しバタバタしたけど、外食は久々だった。たくちゃんは元気になったかな。
「……ん?」
なんだか頭が痛い気がする。ちょっとぼーっとするし重たい。……いや、まさかな。
布団からのそりと起き出して、昨日買ってきたばかりの体温計を開ける。嫌な感じだ。
《37.8》
いやマジかよ!
数字を見るとどんどん具合が悪くなってくる。あー、バイト休めるかな。隣の部屋にある薬やら吸熱剤やらのお裾分けが欲しくて、朝早くから隣人へチャットを送る。
『おはよう、具合はどう?
実は俺も熱が出ちゃって
薬とか分けてもらえたら助かる
起きたら連絡してもらえるかな
取りに行きます』
送ったメッセージはすぐに既読になって、同時に隣の部屋で元気な奇声が響いた。
「キェアーーーッキャッキャッキャッ! マジかよー! 今持ってくー! ヒャヒャヒャ!」
全く、季節の変わり目はあなどれない。
[第18話『季節の変わり目』完]
▶︎次回の更新は6月!
6月の活動スケジュールは5月28日頃発表予定です。
▷たくあんが靴下を嫌う理由を語っている時のお話
第14話『いつもの?日曜日』
▷「仮に熱が出ても作業できる自信しかない」言質となったお話
第11話『気温20度、何着る?』
▶︎【フルボイス】連続アニメ小説版の『日常編』もYouTubeにて定期投稿中です!(最新第4話は5/31投稿予定です)
現在最新話(第3話)はこちらから↓
▶︎「日向荘の人々」シリーズ
その他のエピソードはこちらから↓
最後まで読んでいただきありがとうございます!