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短編小説 幻谷(まぼろしだに)②

じじぃを無視して部屋に戻り、カーテンの間に手を入れ、ベランダへ続くガラス窓だけを開ける。ふわっと帆を張るように膨れたカーテンが顔に当たり、熱を持った茶色い生地が汗を吸い取りながら視界を覆う。鬱陶しいが、足元や太ももには風が入り、クーラーのように涼しく感じる。

窓を全開にしてアンバランスな状況から抜け出すと、再びベッドの上に横になった。大学の講義はもうすでに始まっているが、滑り止めの私立大学の低レベルな講義などを受ける気はない。

落第にならないぐらいに授業を受けて、あとは問題を起こさずにいれば親も怒りはしないだろう。

カーテンが翻り、一瞬目の前の白い壁が光る。乾いた風が背中を撫でてどこかえ消えていく。二度寝して起きたら、違う国に居て欲しい。こんなどうでもいい人生を初めからやり直せるような、誰もいない土地に目覚めたい。

そう思いながら二度寝をして目を覚ますと、目の前はあいも変わらず白い壁がちらちらと光るだけだった。


再び床からスマホを拾い上げて画面を開くと、時間は12時を過ぎている。昨日の晩は1人で酒を飲んだのに、いつもより多く飲んだ気がする。というより、日に日に量が多くなっていることには、正直危機感を覚え始めた。しかし、飲み始めると止まらない。

まだ、成人していないのに酒におぼれるのは良くないと常識的にわかっているが、自分の部屋での行動を常識で縛り切れるほど俺は出来た人間でない。

ベッドから立ち上がってカーテンを全開にすると、目を覆いたくなるほど眩しい夏の日差しが、部屋中に入り込んだ。明るさに目が馴染んでくるとベランダに出て大きく伸びをする。ベッドの上で緩んでしまった体を元の形に戻すように、色んなところからぽきぽきと音を出る。

アパートの2階からは小高い山の連なりに囲まれた閑静な住宅街が見える。目の前の通りには、女子高生3人組が楽しそうに話をしながら学校とは反対方向に歩いていた。

「今日から夏休みか~。勉強しろよ~。俺みたいになるなよ~」

交通安全のスローガンよりも参考にもならない忠告を独り言ちていると、去年の夏の不思議な記憶が蘇った。

あれはまだ俺が受験勉強に追われていた高校三年の夏の朝だった。住宅街が見下ろせる実家の自室の窓から、外の景色を目をやると同級生の女子たち4人が、制服とは打って変わったオシャレな姿で、楽しそうに町の方向へと歩いていた。

高校最後の夏。俺はそのすべてを国立大学の合格のために捧げていた。だからその時、人よりも努力をしている自負から、彼女たちを簡単に見下すことができた。心の中で「自分の人生どんなふうに考えてるのかな?」と、立っている場所よりも遥か上にいる心地で彼女たちを見下していたと思う。

でも現実は、違った。

(つづく)

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