『伊束法師物語』一「岡崎与駿府一味之事」
(1)あらすじ
三河国岡崎の松平広忠(徳川家康の父)は、西の尾張国の織田信秀(織田信長の父)と東の遠江&駿河国の今川義元(今川氏真の父)に挟まれていた。松平広忠は、松平信定に裏切られたことがあり、似たタイプの松平信孝も裏切るのではないかと思い、先手を打って領地を没収すると、松平信孝は怒って、織田信秀のもとへ逃げ、一味同心して松平広忠を攻撃した。松平広忠は、今川義元に助けを求めると、今川義元は、「証人」(人質)を求めてきたので、松平広忠は、嫡男・竹千世(竹千代。後の徳川家康)を駿府へ送り込むことにした。
さて、松平広忠の正室は、水野忠政の娘・大(於大の方)で、竹千世を儲けたのであるが、水野忠政が亡くなり、大の兄・水野信元が水野家を継ぐと、織田信長と一味同心したので、松平広忠は、大と離縁し、三河国東端の田原城主である戸田康光の娘・真喜(於真喜の方)と再婚していた。
さて、竹千世は、岡崎を天文16年(1547年)8月2日に出て、西之郷(愛知県蒲郡市)まで海路、そこから今川義元の本拠地・駿府(静岡県静岡市)までは陸路の予定であったが、白須賀宿外れの潮見坂(静岡県湖西市)まで行くと、養母・真喜の父・戸田康光(祖父)が待っていて、「田原城(愛知県田原市)へお寄り下さい」と言われ、行ってみると、歓迎後、「陸路は、天竜川や大井川といった大河が増水していて難儀だから」と船に乗せられた。船から降りると、そこは、今川領駿河国駿府ではなく、織田領尾張国熱田であった。
今川義元は、「証人」(人質)を奪われたが、松平広忠の誠意は認め、松平広忠と一味同心した。
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