孫崎享氏の返答に対しての私的考察

昨日10月3日、私は孫崎氏の以下のツイートに対して、ちょっと待てよ、果たしてその言葉をまに受けていいのか?と、疑義を挟むRTを行った。

以下、孫崎氏は自著を読んで判断して欲しいとの返答を得たので、遅ればせながら読ませていただいた上で、私が思うところを書いておきたい。これは論争を喚起する意図ではなく、氏のファンの方の「勉強不足」の言葉で、確かに私が勉強不足と言うなら、私の浅薄な知識で考察した点も、書き記した方が良いと考え、書いておこうと思ったからだ。

まず、孫崎氏は、

こう記し、アサヒカルチャーの文章を取り上げている。

この『日本の戦後史』と題する文章には、孫崎氏がその著書『戦後史の正体』の中で繰り返し述べておられる、「米国に対する追随路線と自主路線の対立」と言う視点に立っての考察と推察する。

私は上述の孫崎氏のツイートに対して、

と私見を書いた。

それに対し、孫崎氏は、

と、ご返答いただいたので、では私が何故、?を付けて疑義を呈したかを書いておく。

これはあくまでも私の推測だが、孫崎氏はその著書『戦後史の正体』の中で、米国と日本との戦後史を簡単に「陰謀論」として片付けるのではなく、その正史を検証し、実態を知る必要があり、孫崎氏の外務省官僚時代の実体験を通じ、一般に知られることの無い米国と日本の軋轢の現実をつぶさに歴史的な事実も含めて検証されている。

文章を読めば、氏が歴史上の人物が語ったり、文章として残したり、公文書として残されているものを調査した上で、「対米追随路線と自主路線。この二つの糸で戦後の日米関係を書く」と担当編集者へ記した文章でその目的を明確にしていることが分かる。

断っておくが、私は孫崎氏の言う「対米追従路線」と「自主路線」の戦後史については、ご意見を言う立場にはなく、むしろ確かにその通りだと賛同したい。ただ、私が氏のツイートに対して、「陰謀論」と書いた意図は、戦後史を総括した上で歴史に埋もれた事実を表出させることは大事なことだが、氏の経験を尊重した上で、果たして対米追従に反した政治家や官僚が失脚したことを、一方的にアメリカの圧力によるものだと考えるのは些か、拙速では無いのか?と言う点だ。

明星大学の細川昌彦氏は、産経新聞の「正論」において岸田新総裁が誕生したことを受けて、米中対立の中にあって中国がTPP加盟を言い出したことを受けて、岸田新総裁がこの問題に対してどのように対処すべきかを書いている。

細川氏は、「中国はTPPを中国包囲網ととらえて、巨大市場を武器に加盟国を分断するのが狙いだ」に全面的に賛同する。

と言うのも、鄧小平以後、中国が「改革開放」路線をひた走ってきた背景には、中国の遠慮深謀があるのは明白で、その裏には中華思想に根ざした中国共産党の支配欲があるのが明白だからだ。

長文になるので、ここではその裏側には触れないが、これは事実として厳然と存在する。

強いて言うなら、孫崎氏の「自主路線」と言う言葉が日本の外交政策の主軸であり、その為の一見「対米追従」と見られる政治のあり方に他ならず、戦後史の中で日本が対米追従の姿勢だったのは戦後のごく僅かの期間だと考える。

アメリカが言うように、自由主義と共産主義の境界線が極東アジアの日本であり、陸続きの韓国だと言うなら、それを守り切るための対日工作としてのアメリカの圧力と言えるだろうか?

私はそうは思わない。

そもそも、日本は明治維新以後、国家発展のために欧米の文化文明を、取り入れるべきは取り入れ旧来の日本文化と融合させ、近代化へと進んできた歴史がある。近代化の歴史に必要なのは経済力の強化であり、欧米に倣った豊かさへの探求であった筈だ。当時、多くの国が対峙していた清朝はその末期、朝鮮半島平定の権利主張の違いから日清戦争が勃発、結果、満州国建国へと繋がった。

その是非はともかく、日本も国家発展の道程で経済発展のあり方を模索してきたし、今もその姿勢に代わりはない。

その意味で、第二次世界大戦もその一つであり、その結果として、日本が自ら連合国側につく選択を行なったと考える。歴史に「もし」は無いが、それでも自由主義社会、資本主義社会を選択した日本は間違っていなかったと考える。

では、日本が戦後、自主自立の道を歩むことと、対米追従の姿勢の相剋のみで来たのか?と言えば、私は違うと言いたい。

と言うのも、中国は日清戦争以後、「日本憎し」の姿勢は変わらず、また共産主義者の世界覇権の夢はついえていない。日本は確かに満洲国建国を通じて、中国の植民地化を描いたのは事実だろう。多くの日本人が入植し、経済発展の活路を模索し、多くの日本人は日本の国策に乗じて大きな志を胸に大陸に渡った。ここでは触れないが、南米大陸への日本人入植の歴史もそうだ。日本と中国は日清戦争を通じ戦いはしたが、同時に歴史ある中国が欧米諸国からの圧力に打ち勝つための日本による平定を模索したのも事実ではないだろうか?

これらは日本から見た歴史観であるのもまた事実だ。

実際、中国人の歴史観から言えば、中国に侵略し、多くの中国人の犠牲を払った忌まわしき歴史、と言うことになる。

それが、今で言うTPPの中国加盟申請ということになるのではないか?そこには、中国が持つ日本をはじめとした西側諸国への怨嗟が感じられて仕方ない。

日本の外交は、戦後史だけをとってみても、必ずしもアメリカからの圧力だけとは言えず、中東への外交にしても、また経済発展の道程での膨大なODAによる途上国援助の姿勢にも現れているだろう。アメリカが日本のそのような外交姿勢に対して、例えば孫崎氏の言うような対イラン外交への関与も、無いとは言い切れない。言い切れないが、では事実としてはどうだろうか?

戦後日本は、自由主義のアメリカと共に経済力による貢献を行なってきた。それもまた事実なのだ。

長くなってしまったが、歴史観は多面的に見て、外交なら外交に活かす必要があることは、私のような門外漢が外交問題に直接関わってきた孫崎氏に言うべき立場には無い。

私もそこまでお人好しではない。

ただ、日本は資本主義経済、自由主義社会を選択した上で、アメリカとの共同歩調の道を選んだ。私はそうした先人の知恵に敬意を表するし、その意味で孫崎氏の言う「自主路線」には大いに賛同する。

だがしかし、「対米追随」でアメリカからの圧力に屈したと言うのは、やはり少し違うように思えてならない。

最後になったが、孫崎氏の所見を纏めたその著書には、圧倒的な調査と研究の姿勢が見られ、日本の歴史観の一つを詳らかにしようとされる姿勢には敬意を表する。

長文多謝


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