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それでも私たちは自民党に投票するしかない

日本の政治の不幸は選択肢が無いことだとも言えるが、一方、先の大戦後、日本には自由と平等のある社会を民主的な政治体制によって構築するという制度が輸入された。

イギリス議会の様式を採用した大日本帝国政府は、自由と平等を旗印にして世界の覇権を握ったアメリカに倣い、半ば強制的ではあるが、新たな日本国憲法によって、新たな時代を迎えることになった。

日本に民主主義が無かったわけではなく、明治以降、制約はあるものの民主的選挙は行われてきた。また、昭和に入ってからも非公式ではあるが共産主義活動も行われてきた。天皇制を敷く日本に対して、天皇制と王制を勘違いした戦前の共産主義者は、地下に潜る形でセクトを構成し、共産主義革命を夢見て若者やインテリ層の洗脳活動をせっせと行ってきた。元々、欧米の民主主義国家以上に自由があった日本にとって、確かに富裕層、貴族、華族が統治の特権階級と言えなくも無いが、そんな『るろうに剣心』的歴史認識も間違ってはいないが正しくはない。

確かに帝国陸軍の暴走による戦禍はあったとしても、それを権力の暴走と解釈するのは、正しい歴史認識と言えるかは、大いに疑問だ。何となれば、今のロシアの屁理屈のように、当時の日本の歴史観と国際社会を見る目は、今とは大いに違っていたのだ。つまり、その時代はその時代の国家としての意味があった。当時、確かに左翼主義者が天皇制や軍国主義を批判していたとは言え、また、軍部に関わらない地方都市の住民が戦争に突入することに抗うことが出来なかったのは厳然たる事実であって、戦後日本の法曹界、芸能界、報道各社が一気に左傾化したのは、歴史上に現れるイデオロギーの振り幅が故とも言えるだろう。

戦後数年間、日本の左翼の強がりは最高潮だった。軍国主義がもたらしたとされる戦禍は、300万人の日本人同胞の死に繋がったことが最大の理由だ。これにより、日本人は戦争アレルギーが増し、同時にアメリカと対峙する共産主義国家は、日本を共産主義化することでアジア全域に共産主義を拡大しようと試みた。それがあの手この手による、日本左傾化の主因だ。

ところが、至る所で繰り返し述べているように、共産主義自体が人類に否定されたイデオロギーであり、もはや共産主義者の革命思想は行き着く先のゴールを失ったと言って良い。中国共産党は革命思想が未だに続いていて、彼らの論理から言えば、華夷思想に基づく漢民族支配こそが正しいのだという間違った論理だ。本当に漢民族が世界で最も優秀な民族か否かは不明だが、漢民族が世界を支配「すべき」だと言う「べき論」が中華思想の源泉にある間は、漢民族は世界から認められない。しかし、漢民族が世界を支配するまで、華夷思想を掲げ続けるだろう。その華夷思想と共産主義を結びつけたのが、福井準造の『近世社会主義』に端を発する日本の社会主義思想だったことを忘れている人は多い。中国共産党の源泉は日本だった。三国志の時代から現代まで、中国の統治観は変わることはない。清国を倒し中華民国を設立したが、その中華民国を倒して共産主義革命と漢民族の華夷思想とを重ね合わせた思想性は現在に至るまで生き続けている。しかし、台湾に中華民国政府が存在している以上、中国共産党の革命は終わっていない。

中国共産党はGDP世界2位まで経済を伸ばしたと自慢するのに、政治イデオロギー的には、一向にその革命思想は成就しない。中華民国政府を倒してこそ、中国共産党の革命思想の実現の筈が、全く、それが進んでいない。だから習近平の革命思想の根幹である祖国完全統一の思想も終わらない。そしてそんな絵空事を馬鹿馬鹿しいと感じているのが中華人民共和国国民でもある。中国国民は、祖国統一など全く関心が無い。それより、地盤沈下した国内経済をなんとかしてくれと言うのが、本音中の本音だ。

既に中国ウォッチャーや専門家と言われる人々から、中国国内の経済状況の実態や、若年層の失業率等、厳しい現状が報じられており、情報統制を敷いている中国共産党から本当のデータが出てくることはないと思うが、その数字が真実と乖離しているとは言えないだろう。繰り返すが、漢民族による華夷思想と革命思想を結びつけた一党独裁制度は、共産主義者以外を排斥すると言う態度を崩していない。つまり、革命思想の無き人は、全て共産党の敵であり、資本主義は労働者を苦しめているのだから、労働者を解放して民衆の手に平等な社会を取り戻そうとの点前を崩さない。つまり革命思想を堅持する中国共産党こそが正しいのであり、決して間違えることは無い無謬性を有している。だからこそ、実態を隠し、表面を取り繕っていけば国民を騙し続けられると考えている。

この理想主義や国民を平等にするという謳い文句の危険性は、平等と同時に自由を国民から奪うものだ。私が共産主義を批判し続ける理由の根幹は、まさにこの一点にあると言ってもいい。確かに平等も自由も、人間が生きていく上において欠くことは出来ない。日々の生活の糧は収入であるが、その収入に職業選択の自由があるからこそ、相互補完する人間社会が形成される。そして、労働に対して一定の等価性が維持されるからこそ、平等な社会が実現するのだ。この自由と平等の両立を行なってきたのが、戦後の自由民主党的な政治体制だと言って良い。

自由に偏することも平等に偏することも、どちらもバランスを欠く。自由と平等の相剋の実態が国家を形成してきたアメリカを見れば、未だ、その答えは出ているとは言い難い。

一方、外国文化を上手に取り入れながら独自の文化を形成してきた日本は、島国であるが故に陸続きの国とは違う発展を遂げ、今日に至っている。これも以前から言っていることだが、日本こそが自由と平等が保障された理想的な社会主義国家と言えるのだ。つまり、自由民主党が作り上げてきたものは、右も左も、保守も革新も包含した統治機構であり、どちらに偏することもない、理想的な体制なのだ。

石破茂新総理になり、解散総選挙を目前に控えた状況で、自民党への風当たりが強い。このままいけば、自民党は大きく議席を減らすことになるかもしれない。しかし、自民党に取って代わる野党がいない以上、我々に選択肢は限られている。

総選挙より重要とも言える自民党総裁選において、党内政局のパワーバランスの結果が石破茂新総裁に帰結したが、これが正しい選択だったとは言えない。それは現在の政局を見れば、一目瞭然で、新総理の力量で選択された新総裁ではなく、党内政局のパワーバランスから生まれた新総裁だからこそ、石破茂新総裁、新総理は、ブレにブレている。繰り返すが、石破茂の力量が総理総裁の地位に上り詰めたのではない。パワーバランスの結果に過ぎないのだ。だからこそ、私は石破茂に票を投じた国会議員を猛烈に批判した。石破茂が変節して言うことがコロコロ変わるのは当たり前で、彼は総理総裁になることが目的で、日本の方向性などまるで関心がない。彼は党内政局に打ち勝つことが目的であり、その先にあるものは何もない。だから岸田政権の継承を言うしかないのだ。

石破茂が誕生したキングメーカーは菅元総理と言われているが、真のキングメーカーは岸田前総理だろう。岸田前総理も、石破茂に期待など寄せてはいない。岸田前総理が見ているのは、石破茂の次の総理総裁だ。今の自民党議員の政治資金不記載問題の沈静化を図るのが、石破茂の使命であり、石破茂は国民の期待を裏切ることで役目を終え、次の政権に引き継ぐことになるだろう。

経済対策にしても外交安保にしても、石破茂の変節は酷い。近代の総理総裁の中でもかなり酷い方だと思っている。これも何度も何度も言ってることだが、彼には理想など何も無い。リーダーの器では無いのだ。だからこそ、地上波で改革開放の旗手と持ち上げられる。つまり、自民党内にあって自民党内を批判する役割が石破茂であり、それ以上でもそれ以下でもない。テレビのコメンテーターが彼の役割なのだ。

石破茂新総理批判をする人は、彼の本質を見抜いている人だと断言しても良い。

今回の衆院選で自民党は大きく票を減らすかもしれないが、その本質は、自民党議員への批判票ではなく、石破茂への期待の裏切りだと言って良い。石破茂が最初に国民を裏切った結果だ。しかし、これで終わらない。石破茂は次に緊縮財政と増税で二度目の国民への裏切りを行うだろう。

それでも尚、自民党に票を投じるしかない日本国民は、ある種の不幸を背負っている。

唯一の希望は、大きく議席を減らした石破政権が早期退陣を果たし、新たな日本のリーダーが生まれるまで、忍の一字で待つことだ。

そして、それは現有野党では決してない。

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