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勧学・司教有志の会より【全国の門信徒の方々へ~新しい領解文について」】


勧学・司教有志の会より【全国の門信徒の方々へ~新しい領解文について」】が公開されました。こちらは、全寺院へ発送する資料に含まれます。郵送が5月にかかることもあり、少しでもはやくネットへ公開されることになりました。

以下、Facebookの浄土真宗本願寺派勧学・司教有志の会より転載します。


全国の門信徒の方々へのメッセージ

 現在本願寺では、記念すべき慶讃法要において「新しい領解文」の唱和が強く推進されていることにより、大きな混乱が生じております。《詳しくは声明(一)(二)(三)をご覧ください》。
 どうぞ僧侶の皆さま方におかれましては、門信徒の方々に、私共「勧学・司教有志の会」からの以下のメッセージをお届けいただき、一緒に考えていただければと存じます。
 なお、以下のリンク内に、この門信徒の方々へのメッセージのPDFファイルが格納されています。
 また、これまで「勧学・司教有志の会」で発表してきた声明(一)(二)(三)のPDFファイルも格納しております。
 よろしければ、ご活用ください。



全国の門信徒の方々へ ~「新しい領解文」について~

勧学・司教有志の会

 門信徒の皆さま、このたび御正忌報恩講において、ご門主さまのご消息として「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)が発布されたことをご存じでしょうか。浄土真宗本願寺派において、ご門主さまのご消息は、重い意味を持っています。それは私たち本願寺派の僧侶や門信徒に対する、ご門主さまからの直接のメッセージだからです。したがって、これまでのご消息の発布にあたっては、ご門主さまのメッセージが誤解を受けることのないように、勧学寮をはじめ関係の方々によって入念に内容の検討がなされ、厳密な手続きを経て発布されてきました。しかし、このたびのご消息の発布においては、ご法義を大切にしてこられた全国の僧侶や門信徒の方々に大きな混乱が広がっており、その様子がマスコミにも報じられています。それは「新しい領解文」の発布に至る経緯がきわめて不透明であり、その内容にも、全般を通して親鸞聖人のみ教えにそぐわない表現が見いだされるからです。

 たとえば、「新しい領解文」には

私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ そのまま救うが 弥陀のよび声

という一文が出てきます。この言葉を聞いて、皆さまは違和感を持たれたのではないでしょうか。皆さまはこれまでご法話のなかで、「私たち凡夫はいつも煩悩に振り回され、傷つき続けている。阿弥陀さまはその姿を深く悲しまれ、煩悩を抱えてしか生きられない私たちを救うためにご本願をたてられた。そして、この私に《南無阿弥陀仏(われにまかせよ)》と喚びかけ、煩悩を持ったままさとりへと導いてくださる仏と成ってくださった」とお聴聞してこられたと思います。しかし「新しい領解文」では、「私の煩悩と仏のさとりとは本来一つ」と表現されています。私が本来仏であるならば、救う必要はないのであり、阿弥陀さまがご本願をたてる理由もなくなってしまいます。

 これは一例であり、「新しい領解文」には全般的に親鸞聖人のみ教えに対して重大な誤解を生じる危険性のある表現が見られます。にもかかわらず、今回のご法要では強く唱和が勧められており、記念すべき慶讃法要のなかで、不唱和・退出・従来の「領解文」の唱和など、全国の僧侶・門信徒のなかに混乱を生じさせる悲しい状況となっています。

 門信徒の皆さまには、この度の慶讃法要にご参拝された折、また今後の本願寺派の様々な行事において、この「新しい領解文」の唱和を促されることがあるかも知れませんが、その時は静かに親鸞聖人のみ教えを思いつつ、お念仏申されることをお勧めいたします。

 本来「領解文」とは、一人一人の信仰の表明であり、強要されるものではありません。皆さまお一人お一人のなかで、充分に消化していただき、ますます阿弥陀さまのお救いを味わうご縁となされますことを心より望んでおります。

称名

勧学・司教有志の会の声明まとめは以下をご参照ください。


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