書きたいことはまるで無いけど書いてみる



noteに僕が書いているどの文章も、適当に書いているようで、一応、書きたいことをある程度まとめたり、流れを考えたりして書き始めてる。でも楽には書いている。

だけど今日は、書きたいことはまるでない。

こんな状態で書く必要もないかもしれない。そんな感じで書き始めてもまとまらないかもしれない。読んだ人によっては、時間の無駄になりかねないと思ったが、人と話す時はもっと自由にその場で浮かんだことを人に伝えてるので、どんなものになるかわからないけど実験で、書きたいことは全く無い中書いてみる。

さて、もうこの1行目から迷っている。

いや、迷ってはいないな。ただ心の中で思ったことを書いてるから迷ってない。

浮かんだことを素直に書こう。今浮かんできたから。


今月の電気代が29000円だったんだけど、どういうこと?

俺一体家で何したの?

これまで最高17000円だったよね?

普段と変わりなく過ごして、筋トレして、鏡の前で胸筋の付き具合をチェックして、プロテイン飲んで、サバの缶詰食べて、檸檬堂のこだわりレモンサワーの蜂蜜レモン味アルコール3%飲んで、つまみでスルメを食っただけじゃん。

それなのに今月の電気代が29000円って、俺一体家で何したの?


唖然として、写真撮ってツイートしてやろうかと思ったし激震が身体中を駆け巡ったよね。


来月は電気代いくらになるんだろう?気になってしょうがない。

3万円台とか行ってたら、どうしよう。気持ちの整理がつかなそう。

29000円という、3万円よりも、ちょっと印象操作で、だいぶ安く感じられるわけだから、1000円の違いは1000円以上の衝撃をもらたらすわけだし。


全然違う話に移ります。ふと思ったので。


人は大概、人に見られるSNSには、だいたい自分の凄さとか、見栄とか、(見栄は映えと同じ意味かもしれないなと今思った)自分はすごいとか、そんな要素を入れたがる。

Twitterもインスタもフェイスブックもみんなその成分がめちゃくちゃ入ってると思うし、1%も入れてない人はあんまりいないといろんな人の投稿を見て思うけど、自分も過去はめちゃくちゃに入っていたし、今も少なからず入ってるし、それを見ると嫌だなーと思って直したりしたりもするし、そんな成分がマジで入ってないんじゃないか、というTwitterをつぶやく方は聖人かと思ってしまうし自然とそうなりたいと思う。

今のSNSのような見栄みたいなことを、昔リアルに、やらかしていて。

高校時代は酷い。

パジャマがシルクだった。(12000円、マルイで購入)

修学旅行で部屋に来た数人の女子が全員、目を丸くしていた。

僕のパジャマは、テロテロで真っ青に光る。

青く光るパジャマと無印の真っ白なヘアバンドが当時の写真を見ると凄まじいコントラストを作っている。

女子は目を丸くした後に半笑いになったけどそんな顔にもめげず、「いつも俺はこう」と言わんばかりの態度を崩さないでいたあの日の自分。

よくやった。

それはそれは自分の中で面白い思い出の一つになっている。

(ちなみにそのパジャマは、乾燥機にかけてしまい、光沢が一切失われ、あっという間にケバケバになってしまって捨てた)


他にも同じような思い出。


高一の時、埼玉に住んでいた俺は誰よりもオシャレだと思われたくて、青山に行った。ポールスミスでカーディガンを買った。でもそれは大宮でも売ってた。

その日から「買い物はいつもどこでするの?」と聞かれたら即答で「青山」と返答している高一の自分を、面白いから褒めてあげたいと思う。

ちなみに高1の時、青山に行ったのはその1度限り。

まあ嘘はついてない。


とにかくそういう見栄がものすごい強かった。


小説も読んでたらかっこいいなと思って3日に1冊を読み、高2で年間100冊読んだ。国語の授業中、国語の先生が見回りにきて、僕が小説を読んでいたことがバレて、その時読んでいたのはドフトエフスキーの『罪と罰』で、怒られると思ったら感心された。内容はイマイチ理解できてないままに。これも見栄。


見栄がすごいというか、なぜか強烈にモテたかった。


映えは見栄なんじゃないか、とさっき思ったけど、

映えとは、もしかして、モテたいってことなのか。

結局は、異性に。


優位に立ちたい。認められたい。自信がない。


映え写真を撮ってる人に少し嫌悪感があったけど、

ああそうか、シルクのパジャマを着てたあの頃の俺だわ。

親近感が湧いた、ところでおしまいにします。


書きたいものを全く考えないで書き始めたら、

最後は「昔の自分」と「映え」がつながるなんて。







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