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秋山具義→ピカソ論

オランダ人画家のゴッホは、生前に一枚しか絵が売れなかったというのは有名な話。
この「たった一枚しか」という噂話の真偽は分かりませんが、一つ言えることは世の中には認められていなかったということ。彼は〝不遇の芸術家〟という背景を含め、今でも人気の高いアーティストですが、一歩引いて見てみると映る景色は変わってきます。

ゴッホの死後、ほどなくして(およそ10年後)ピカソが商業画家としての成功を収めました。ここで僕たちが抱くのは、「あと10年待てば、ゴッホも日の目を見たかもしれない」という淡い憶測と「ゴッホとピカソは何が違ったのか」という疑問です。

〝創ること〟と〝伝えること〟は違う。


ゴッホが売れなかった理由を「運がなかった、時代と合わなかった」と説明することは容易いことです。実際にそうだし、少なくとも〝運〟が回ってこなければ誰も成功の足がかりを掴むことはできません。反対に、売れなかった理由は「時代に合わせなかったからだ(理解していなかった)」とも言い換えることができます。

対照的にピカソは時代に合わせることが巧みでした。それだけでなく〝キュビズム〟という新たなパラダイムを美術史に刻むことに成功しました。これは単純に流行を読み解くだけでは成し得ない功績です。ピカソがゴッホと最も異なる点は、世間に自身の前衛性を理解させたことだと思っています。


「ピカソ-ゴッホ」という式から算出される解は2点。

1.ファッション性(時代)を考慮すること
2.伝えること

そして、ピカソの成分からゴッホの成分を引いたこれらの要素にクリエイター〝秋山具義〟の本質が見えてきます。実は『れもんらいふデザイン塾』が毎回の講義で押しなべて塾生たちに語りかけている内容もここにあります。

ファッション性と伝える力。


それが広告の本質なのかもしれません。しかしながら、多くの学びの場(あらゆる教室)では、いまだにゴッホの部分しか教えていないというのが現状です。つまり、〝創る〟ということだけに焦点が当たっていて、〝伝える〟という点に関しては一切何も教えてくれない、という。
なぜ、このようなことに陥るのかというと、一つの要因として考えられるのは〝教えている側も気付いていない〟ということです。

「技能を向上させれば、自然と世の中と繋がりが持てる」と多くの人が盲目的に信じています。これはある意味「運に頼るしかない」ということを意味しています。運は自ら手繰り寄せなければいけないし、これからの時代、〝伝える〟という能力はクリエイティブを仕事として生きていくためには必要最低条件なのではないでしょうか。

そして、「ピカソ-ゴッホ」の要素というのは秋山具義氏を通して見ることで、より分かり易く浮き上がってきます。
僕は「秋山具義」というクリエイターは、今後そのアーティスト性をより色濃くしてゆき、やがてピカソのようになり、そしていずれはピカソより愛される存在になると予想します。
その理由はこれから述べますが、愛される点だけ先に言うならば、彼の方がピカソよりずっとプレゼンが巧いし、ピカソよりも遥かにおもしろいから。

それでは、僕の『秋山具義→ピカソ論』を。



「私は具義になりたい」

秋山氏の講義を受けて、クリエイティブに関する仕事は本当に楽しいものだと感じたと同時に、その難しさを目の前に突き付けられたような気がしました。

秋山氏のつくってきた作品の数々。あれらのキラキラしたヴィジュアルは、「秋山氏並みのクオリティのアイデアを相当な高打率で出し続けなければ、この業界で輝くことはできない」ということを暗に含んでいます(たとえベクトルは違ったとしても)。毎回あれほどオモシロイものを作らないと、本当の意味ではやっていけない過酷な世界なのだということです。

1回や、2回のラッキーパンチではダメで、毎回傑作か、大傑作を作らなければいけない。それはもはや人間業ではありません。マシンのようにひたすらおもしろいことを出し続ける───アイデア製造機になるしかない。現に目の前にいた秋山氏はファンタスティックなまでに〝アイデア製造機〟でした。
講義中もずっとおもしろいことを言い続け、その仕事内容もずっとおもしろい(PARCOのCMも#具義みかんの皮アートも#寿司100回チャレンジも)。

そしてこう思いました。

「私は具義になりたい」


この業界で生きていくためには、自分がアイデア製造機にならなければいけません。そして、それがもし実現できたとすれば、業界以外でも活躍できるスーパーマンになれるでしょう。アイデア製造機は〝広告〟の分野以外でも応用可能だということです。
それでは、秋山具義氏になるための要素を一つずつ分析していきましょう。

秋山氏のアイディアの源泉、そのヒントは講義中の言葉にありました。

秋山
僕はコンビニがすごく好きで、毎日通っています。
常に色んな新商品が出ていて、それを見ながら「これは何でこのネーミングなんだろう?」とか「どうしてこのパッケージにこの色を使ったんだろう?」とか「俺だったらこうするよな」とか。


秋山氏はコンビニに〝時代〟を見ました。世の中を箱庭に見立てるように。容赦ない速度で淘汰されていく商品たち。その中でヒットする理由と消えていく理由。コンビニで商品を眺め、考えを巡らせるように、秋山氏はいつだってどこだって、常に考え続けています。

秋山
ごはんを食べている時も人と話をしている時も、ずっとループするように考え事をしていて。
仕事だと締切があるので、そこで集中して考えないといけませんが、普段もそのことをうっすらと考えていますよね。
世の中にはそれについてのヒントがあったりするから。
常になんとなく考えているんですよね。


〝考える〟にはきっかけとなる材料が必要となります。つまり、「材料(インプット)を練り続ける(考える)ことによってアイデア(アウトプット)が生まれる」ということです。

秋山氏の著書『ファストアイデア25』にこのような記述があります。

私は世のなかにはたくさんの「アイデアの種」が落ちていると考えていて、それをできるだけたくさん拾って、いい土壌を探して、その「アイデアの種」を埋めて、すばらしい「アイデアの実」を実らせたいと常々考えています。
(『ファストアイデア25』より)


朝目が覚めるとテレビをザッピングし、好みに関わらず手当たり次第大量の雑誌に目を通し(気になった記事は精読)、積極的に人と会話する。そのようにして「常に新しい情報を浴び続け、〝自分〟というフィルターを通すことでアイデアを生み出す」という方法を本書の中で紹介していました。

驚くことにこれは、AI(ディープラーニング)と同じ学習法です。ディープラーニングは大量のデータを入力することによって、自動学習し、その中から最適解を生み出します。
例えば、ディープラーニングに将棋を覚えさせた場合、コンピュータは可能性のある全ての手を読み、大量の計算から精度を上げていき、最善の手を選択する、といった具合に。実際にプロ棋士の20年分の対局、約5万局を覚えさせ、そこから自動学習を繰り返すことによってコンピュータは今までになかった新たな勝利の方程式を次々と発見することに成功しました。


まさに〝秋山具義〟はディープラーニングと同じ構造でアイディアを生み出しているのです。
特筆すべき点は、秋山氏は、本書(『ファストアイデア25』)を2009年12月25日に発行しているということです(2年半かけて制作したというあとがきの記述から2007年から書き始めたことが分かる)。つまり〝10年前には既にこの発想によりアイディアを生み出していた〟ということです。

AI(ディープラーニング)を特集したことで話題を読んだNHK番組『人間ってナンだ?超AI入門』が放送されたのは記憶に新しい2017年10月6日。iPhone 3Gが日本で発売されたのが2008年7月11日です。

秋山氏はAIが世間を賑わす遥か以前から、ディープラーニング的な方法によってクリエイティブを発揮していたのです。あながち、僕の表現した〝アイデア製造機〟という言葉に間違いはないのかもしれません。

これは「ディープラーニング的学習体験を通すことで、秋山氏のような超人的アイデアマンになれる可能性はある」ということを意味します。


「私は具義になりたい」
① 大量のインプット×考え続けること


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優秀なアートディレクターの特徴。

秋山氏の講義を受けていて気付いたことは、「優秀なアートディレクターはずば抜けたコミュニケーション能力を持っている」ということです。

講義の中で秋山氏はこう言いました。

秋山
カッコイイというのは人それぞれ違う。
デザインには正解があるわけではありません。
デザイナーが100人いたら、それぞれ少しずつ違うデザインを作ると思うんですよ。

ある程度は理屈があるけど、〝勘〟の部分が大きくて。
でも、それを相手に伝えなければならないので、〝勘〟の部分を言語化する。

つまり、〝自分の中のデザインという思考をどう言葉に変換できるか〟ということが大切だと思います。


これは一見、「言語化することが最も重要だ」と理解されがちですが、真意はそうではありません。言語化することで共有(保存)可能な状態にすることや、再現性という要素を付加することは確かに大切です。しかし、この言葉の根本の意味として、秋山氏は〝伝えること〟の重要さを語っています。

コミュニケーションの高さ=ボキャブラリーの多さではない。


自分の考えを相手に〝伝える〟にはロジカルな方が便利だから言語化するだけで、ヴィジュアルの方が〝伝わる〟と思えば躊躇なく映像やイラストに差し替えますし、彼らは決して難しい言葉を使いません。誰もが分かるように、そして誰もが共有しやすい形で提示します。


現に秋山氏は先ほどの言葉の後にこう続けています。

秋山
クライアントの要望にもよるのですが、僕は考え方をどう相手に伝えて、それを伝えた時に相手が説明しやすいようにしてあげるっていうのを一生懸命考えます。


つまり、コミュニケーションというのは立て板に水の語り口ということではなく、相互作用───〝伝わる〟が意識された言語感覚を磨くことなのです。


第2回れもんらいふデザイン塾ゲスト講師、POOL.inc代表の小西利行氏はこう述べました。

小西
…僕が知り得る限り優秀なデザイナーは大概言葉のセンスも抜群です。
〝視覚的にポンッと抜いて持ってくる力(エッセンスを抽出して具現化する力)〟というのは、コピーライターよりもデザイナーの方が強いと思っています。


この言葉に僕は心から共感しました。塾長の千原徹也氏もまさにそう。あれほど言葉が巧みな人はいません───誰もが分かる言葉なのに、人とは違った言語感覚で話す。最大公約数の言葉を使うのに、詩的であるというのは、もう最強ですよね。


優秀なデザイナー(アートディレクター)は方法論や出力の現れ方はそれぞれ違うけれど、全員が〝話に引き込む術〟と〝独自の型〟を持っています。


コミュニケーション能力というのは〝伝える力〟と〝読み取る力〟───〝自分の意思を伝える力〟と〝相手の意図を読み取る力〟のことです。
この両輪がうまく機能して良質のコミュニケーションが生まれます。


コミュニケーションについて考えていく上で、「アートディレクターは優しい人じゃないとなれない仕事だ」と思いました。それは、クライアントにも、消費者(世間)にも。


彼らは相手(クライアント)のことを誰よりも考えています。相手が意図している部分と、相手の盲点───気付いていない問題点をすくい出し、言葉やヴィジュアルを使って提案します。つまり、相手の意図するものを形にするだけではなく、〝求められている以上の+α〟を提示することで、相手に感動を与える。プレゼンはこのコミュニケーション能力に①で述べたアイディアを掛け算してブーストされるのです。

「私は具義になりたい」
➁コミュニケーション能力の高さ


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ピカソ的要素。

ついに本題である〝流行(ファッション性)〟〝伝える力〟について深堀してみたいと思います。秋山氏は〝広告〟におけるクリエーションについて著書の中でこう述べています。

例えば、コマーシャルを創っている人が、世のなかで起こっていることをまったく知らなくともアイデア自体は考えられるかもしれませんが、それがその時代にリンクしたものになる可能性は低いと思います。
(『ファストアイデア25』より)


つまり「〝今〟を知らなければ、売れる商品になりにくい」ということです。論の冒頭でも述べましたが、商業的なアートの世界で初めて成功を収めたのはキュビズムの創始者であるパブロ・ピカソです。

ピカソの作風を見て感心させられるのは、そうした画商の路線にじつに柔軟に対応して画風を変えてみせている点で、こうした姿勢はピカソが画商を描いた肖像画にまで徹底されています。
(『ピカソは本当に偉いのか?』より 西岡文彦)


ピカソは世間の流行と自身の作品をリンクさせることが非常に巧かった。それは画商のセンスに合わせて自在に画風を変えることが得意だったことからも読み取れます。同時に、高いプレゼン能力が世間にキュビズムという新しいパラダイムを受け入れさせる助力となりました。

ご存知のように、ピカソは卓越したデッサン力を持っていたこともあり、20代半ばには既にある程度の経済的な成功を収めていたといいます。その経済的な余裕が、ピカソに新たなチャレンジ(キュビズム)を後押しさせました。

ピカソは新しい技法を発表する前に、画商や教養人に向かってその前衛的な作品をロジカルに説明をしました。それはまるで新理論の論文を発表するように、美術史のコンテクストを押さえ、新たな価値観を提示することで「キュビズムは何がすごいのか」を解説した。前衛的な絵画のムーブメントが比較的穏やかに受け入れられた背景にはピカソのこの巧みなプレゼン能力が関係しています(それでも浸透するまでに10年近い歳月を要したが)。

パリ最先端のセザンヌの絵の延長線上に、スペインでも異色の持ち味を誇るグレコの筆致をブレンドし、これにアフリカの毛面の魔術的な野生と中世彫刻の素朴な力感を加えて誕生した『アヴィニョンの娘たち』は、まさに無敵のピカソ様式を誕生させることになったのです。
(『ピカソは本当に偉いのか?』より 西岡文彦)


ゴッホになくて、ピカソにあったもの。
それが〝時代を読み取る力〟〝プレゼン力〟です。そしてそれはまさに秋山氏の卓越した能力ではないでしょうか。

「私は具義になりたい」
➂プレゼン力


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僕は秋山氏にピカソの姿を見ました。
ジョナサン・ボロフスキーの『夢をみた』に着想を得て、実際に自身でも夢日記を綴っている秋山氏の中に。

夢日記は、まさにアートです。新理論に繋がる課題です。説明できない可笑しみ、論理の破綻が誘う笑いと偶然が紡ぐ驚き。僕は、秋山氏は今後アーティストとしての存在感を増していくと予想します(願望を含め)。

他のアーティストとの決定的な違いは「流行(ファッション性)」と「伝える力」にあります。
「よく分からないけどおもしろい」を次々と世に送り出していき、巧みにプレゼンする───そして、人々の心をより豊かにしてくれることでしょう。

「私は具義になりたい」
① 大量のインプット×考え続けること
② コミュニケーション能力の高さ
③ プレゼン力


この3点を磨けば、もしかすればあなたも〝秋山具義〟になれるかもしれません。

「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。