「ヤリチン」としてのポジション

「ヤリチンキャラ」「ヤリマンキャラ」というものがある。多くの異性と関係を持ち、異性について、知識や情報だけでなく、体感を伴って知っている人たち。

そういう者に、僕もなりたいのかもしれない。多くの人は、異性に異性として興味がある。その興味の対象について、多くのことを知っているというのは、すごいことではないか。

それは人生を有利に進めるのに役立つ。例えば、同性の友達に異性を紹介することができる。これに勝るマウント取りが他にあるだろうか。

ところで、最近「教養」というものについてよく考える。「教養がある人」とはどのような人をいうのだろうか。物知りな人か。感受性が豊かな人が。

どちらもあながち外れではないが、しかし本質でもない気がする。僕が今思う「教養がある人」とは、「他者の関心ごとに興味を持ち、その対象についての知識を多く持っている人」だ。

この定義に照らして考えると、多くの人が異性に興味を持っているこの世の中において、異性について多くの知識を持っている人は、同性の人についての「教養人」であるともいえる。

これは生きる上で有利であるとともに、楽しいことでもあると思う。他の友達が、恋愛やセックスについて悩んでいるときに、その理由や背景について多くの洞察を得られるからだ。

さらに、「ヤリチン」は「ヤリマン」よりも有利である。なぜなら、ヤリマンは同性から忌み嫌われることが多いが、ヤリチンはそういうことは少ないどころか、むしろ憧れられることさえあるほどであるからだ。

ヤリチンは人気者になり、ヤリマンは嫌われ者になる。ここにどのような構造があるのかは、今後機会があれば検討してみたい。以上、ヤリチンのススメでした。



もっとモテたいなぁ。

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