【第二話】転職面接のシミュレーションしてみた

(第一話はこちら)

―経営コンサル会社の最終面接ですが、結果はどうだったんですか?

はい、なんとか内定の連絡をいただくことができました。役員の反応がよかったので自信はあったのですが、正直びくびくしながら結果を待っていました。内定の連絡をいただいたときは、目標に向かって前進できて非常に嬉しったです。

―転職まではスムーズに進んだんですか?

最初はめちゃくちゃ引き止められました。今の会社にいた方がいいぞとか、今抜けてもらったら困るとか…
でも自分の中では「引き止められなかったら必要とされていない」という考えがあったので、引き止められたことは嬉しくもあります。
自分ではあまり成果を出せなかったと思うこともあったのですが、ちゃんと必要とされていたことを確認できてよかったです。

―去り際にその人たちとの関係性が出ますもんね。転職してからはどのような仕事を手掛けたんですか?

実は…転職した経営コンサルティング会社では、胸を張って「これをしました!」と言えるようなことは、何もできなかったと思っています。

―なんと…でも経営コンサルティングって激務なイメージですけど、何もしなかったんですか?

はい、確かに激務でしたし、タスクはめちゃくちゃありました。ただ、クライアントのために成果を出せたか、というと全く出せなかったので、ただひたすら業務をこなしていただけ、という感覚でした。

―具体的にはどんなことをしていたんですか?

前職のメーカーでは、営業になれば担当クライアントが割り振られたのですが、経営コンサルティング会社ではそういったものはありませんでした。
クライアントは自分で見つけるもの、という考え方がありました。
そのため、多くのコンサルタントは自分でセミナーを開催したり、営業活動をしたりと、コンサルティングだけじゃなくて営業も自分でやっていました。
最初はクライアントがいないですし、コンサルティングといってもどんなことをするのかよくわかっていないため、上司や先輩のクライアント先に同行して手伝う、という業務がメインでした。

―なるほど、案件が既にあってそれに参画する、という感じではないんですね。

いきなりは無理でしたね。同行を積み重ねて、上司や先輩から少しずつ仕事をもらったり、他のチームから声をかけてもらったり、ということをしないと、いきなりコンサルティングやプロジェクトに参加するというのはできませんでした。

―じゃあ仕事はあまりないのでは?

最初はそう思っていたんですが、1回同行すると大量の宿題を上司や先輩から課せられるんです。それも、難易度がめちゃくちゃ高くて。そんなの専門家じゃないとわからんやろ!とつっこみたくなるようなこともあるぐらいで…
でもそれを断ったりできないと言ったりしてると、もう仕事が回ってこなくなる気がしたので、死にもの狂いで調べました。
クライアントと競合の製品比較、キャッシュフロー改善のための現状把握と改善策の提案、営業ツールの作成、問題解決型ホームページの提案、経営者が喜びそうな情報を収集してレポートにまとめる、などなど…

―なるほど、それはいきなり任されるときつそうですね…

とてもきつかったのですが、調べれば調べるほどおもしろくなってきて、夢中でやっていた時期もありました。ただ、一人で調べて作るには時間的にも体力的にも限界でした…
始発から終電まで働くことが普通で、徹夜することも土日に働くことも頻繁にありました。
20代半ばだからこそできた働き方だと思います。

―そこまで働いても成果を出せなかった、と思うのはなぜ?

自分のクライアントを持つことができなかった、ということが大きな原因です。
先ほどもお伝えしたのですが、クライアントは自分で見つけないといけません。
そのため、テレアポをしたりセミナーをしたり、とやってみたのですが、全くうまくいかなくて…
特にテレアポをしているうちに気付いたのですが、経営者が思う「経営コンサルタント」に対するイメージがめちゃくちゃ悪くて…(笑)
「経営をしたことがないお前に、うちの何がわかる!」と怒られたことも何度かありました。

―確かに、そう思っている経営者は多そうですね。では、クライアントは結局つくれなかった?

はい、上司や先輩の仕事を手伝うスキマ時間で営業活動をしていたのですが、全く契約できなくて。
あと、自分で担当したい業界も決めきれなかったので、ずっとふわふわした状態で仕事をしていました。
その会社では「この業界に対してコンサルティングをする」という専門性を売りにしていたので、そこが決まらないとなかなか仕事の方向性も決められませんでした。

―どの業界にするかは上司と話し合ったりはしなかった?

いえ、僕がメーカー出身ということもあり、メーカー向けのチームに配属されたので、通常であれば僕もメーカー向けのコンサルティングをするはずでした。
ただ、役員から言われたのが「今までの経験だけで決めるのではなく、市場性や自分の好きなことなど幅広く考えろ」と。
なので僕はメーカーではなく、学習塾やスポーツ系に関わりたいと思っていましたし、業績アップだけじゃなくて採用面からもコンサルティングをしたいと思っていたので、メーカー以外のことに目を向けていました。
ただ、上司からは「うちのチームで採用したんだから、メーカーをやってほしい」と言われまして。
そこで僕が覚悟を決めきれず、あっという間に数か月が経ってしまいました。

―なるほど、仕事の方針が決まらないまま時間が過ぎてしまったんですね。

はい、どっちつかずな態度が悪かったと思います。
で、結局全くうだつが上がらないまま、成果を出せないことに居心地の悪さを感じ続けてました。

―その会社にはどれぐらいいたんですか?

10か月です。1年経たずに辞めてしまいました。

―せっかく苦労して入ったのに、すぐ辞めてしまいましたね。

はい、求められるレベルに全く達していませんでした。

―そのあとはどうしたんですか?

実はメーカーから経営コンサルティング会社に転職するにあたって、色んな人に相談していたんです。
その中の一人に、人材系のベンチャー企業を立ち上げたばかりの方がいました。
大阪の中心地で、無料で就職活動中の学生を支援している方で、通信会社のトップ営業マンでもありました。
その方に魅力を感じて、キャリアコンサルティングのことを色々学んでいました。
経営コンサルティング会社で働いている時期もその方にはお世話になっていました。
そこで、退職するにあたりそのベンチャー企業で働かせてほしい、と打診したところ、一緒にがんばろうと言ってくださったのでそこに転職することにしました。

―なるほど、そんなご縁があったんですね。そこでは何をしていたんですか?

転職する際の話では、役員として入ってきてもいいよ、とのことでした。
給料も前職と同じぐらい出せそうということで、その会社の経営を一緒にやろうと。
ただ、実際に一緒に働き始めてみると、僕の仕事ぶりを見て「こんなレベルじゃ経営なんて任せられない、新卒以下の働きだ!」と言われてしまって…

―新卒以下(笑) そんなにひどかったんですか?

自分なりには一生懸命やっていたのですが…前職同様、朝から晩まで、週6日働いてはいたのですが、量よりも質の面で至っていないことが多くて…

―具体的には、どんな点で至らないことがあったんですか?

完全に、仕事を舐めていました。学生時代からビジネス書や自己啓発本を大量に読んでましたし、独立を目指したときから経営についてもめちゃくちゃ勉強してきました。仕事にも落とし込んで新規開拓で成果を出し始めて…
そこで完全に天狗になってしまったんですね。ちょっと成果が出たぐらいで。
営業会社で全国トップ!とか、新しい事業を立ち上げた!とかではなく、「ちょっと新規開拓できるようになった」という段階で「これは今まで勉強してきた成果が出たんだ」「俺って何てすごいんだ」と思い込んでいました。
今考えてみると、めちゃくちゃ恥ずかしいヤツです。自分の後輩がそんな態度なら、朝まで説教です(笑)

―完全に勘違いしてしまってたんですね(笑)

そうですね。だから経営コンサルティング会社では実力がバレて短期間で退職したのに、「ベンチャー企業の立ち上げに経営者としてかかわるんだ」という状況がまた僕の考えを拗らせてしまって…また調子に乗る日々が続きました。

―そんな状態だと、なかなか経営者としてはやりづらい。

はい、なのでまずはイチからやり直せ、と。
新卒で入社したと思って働け、と言われました。

―頂上から奈落の底に落とされるような感覚ですね…具体的にはどうやって意識を切り替えたんですか?

まず、「何でもできる」という考えから、「何もできない」という立ち位置に変更しました。
これは「できる可能性がまったくない」というネガティブなものではなく、「LV1からやり直そう」というスタンスに切り替えた、ということです。
今までは経営に関する本ばっかり読んでいたのですが、新卒が読むようなビジネスマナーや仕事に対する心構えなど、本当に基礎の基礎からやり直すつもりで勉強し直しました。
仕事においても、成果を出すかどうかの前に、早めに出社して掃除をするとか、学生や来客の方に対する挨拶や接し方を丁寧にするとか、そういったことからやり直しました。

―かなり基本というか、初歩というか。

はい、仕事をする前に、人間としての考え方を叩き直されたと言った方が近いかもしれません。
ただ、それでもやっぱり癖になってしまっているのか、たまに学生に対して天狗になることがあったんですね。
「俺は経営コンサルティング会社で働いてた、将来独立する」
みたいなことを偉そうに語ってしまうことがあり、それを社長に見られたときはその後でめちゃくちゃ怒られました。
「成果も出してなくてすぐ辞めたくせに、よくそんなこと言えるな」と(笑)

―き、厳しいけど、愛情を感じますね…

当時は愛情を感じることはできませんでした(笑)
でも、振り返ってみると必要な時期でした。あのまま30代になっていることを考えると…ゾッとします。

―具体的にどのような仕事をしたんですか?

就職活動中の学生がオフィスに来るので相談に乗る、ということがメインでした。
9時30分からオープンして、色んな学生が出入りして順番に相談に乗ります。
ピークの時期では終電まで相談に乗ることもあり、そこからまた仕事をしていました。
僕はバックオフィス系が得意なので、経理関係や来場者の管理、イベントの運営管理やSNSの告知、営業ツールの作成などを手掛けていました。
終電後にそれらの仕事をして、帰るのは2時か3時になることが通常、という感じでした。

―なかなかハードですね…

たしかに長時間労働でしたが、前職でもそれぐらいはやっていました。また、学生の相談に乗ることは自分の得意分野でもありましたし、バックオフィス系の仕事も好きで得意でもあったので、休憩を挟みながら楽しくやっていました。
社長と僕とあと1人同じように働いている同い年の女の子がいたので、毎日文化祭みたいな感じでした。

―そこでは成果を出せるようになってきたんですか?

そうですね、仕事に対するスタンスが変わるようになってからは、社長からもポジティブなフィードバックをいただけるようになってきました。
学生の相談に対する受け答えが板についてきましたし、考え方を整理できた学生が希望通りの業界や企業から内定をもらうことも増えてきました。
また、バックオフィス系の仕事についても細かい作業が得意なので、ある程度のことを任されていましたし、大学での就活対策講座で講師を務めたり、採用代行(1次面接やグループディスカッションを代わりに行うなど)の案件が来た時には評価者としての仕事も任せてもらえたりしました。

―任される仕事が一気に増えましたね。

そうですね、特に僕は事実やデータをもとにコミュニケーションを取ることが多くて、間違っていることや理屈に合わないことに対してすぐ指摘したり反論したりしていたんですが、世の中にはそれではうまくいかないことも多々あることを学びました。
コミュニケーションに柔軟性をもたせることで、より多くの問題解決に携わることができましたし、クライアントとのやり取りもうまくいき始めたので任される仕事が増えたんだと思います。

―初歩からやり直すことで幅が広がった感じですね。その会社にはどれぐらいいたんですか?

2012年6月から2013年12月までの1年半です。

―1年半ですか…これまた短いですね。

そうですね…このオフィスは大阪にあるのですが、僕が転職して2年目に入ったあたりから、東京へ進出する動きが増えてきました。
やはり大学・学生・企業の数を見ると東京で活動するメリットの方が大きくて、大阪で基盤を築き始めた今だからこそ東京に進出しよう、という流れになりました。
ただ、メンバーはまだまだ少ないので、社長ともう1人のスタッフは大阪から東京へ頻繁に通い、東京でのスタッフも採用したのですが、僕は大阪を任されることが多くて1人で運営することも増えてきました。
その中でメンバー間の連携ミスで仕事がうまくいかなかったり、考え方にすれ違いが生まれてきて、とても健全な経営状態とは言えませんでした。
僕もその頃には「自分はまだまだレベルが低いからなんとか頑張らないと」と思うことはできていたのですが、逆にそう思い込みすぎて色々と溜まってしまったのかもしれません…
ある日、このままじゃダメだということで大阪の3人でミーティングをしていました。
そこで社長が僕たちに対して思っていること、僕が社長に思っていることを全部出し切った結果、関係性を回復して健全にやっていけそうにない、という結論に至りました。

―なるほど、それで退職という話になったのですか。

はい。ただ、人手が足りないことは事実なので、これからは中の人ではなく、外部の人間として、業務委託として手伝ってくれ、という話になりました。
そのオフィスの運営や学生の対応、大学での講師、採用代行の評価者など仕事を振ってくれることになりました。

―ということは、転職ではなくそこの仕事を請け負うようになったんですね。

はい、あまりスムーズではないですし、計画的ではなかったのですが、気づけば開業届を出して個人事業主になっていました。
なので、「経営コンサルティング」と「キャリアコンサルティング」を経験して独立する、という当初の目標は、一応達成したことになります。


第三話に続く…

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