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炎上騒動から学ぶこと。

すこし暗いネタが続きますが。

やっぱりSNSって炎上が多いですね。昨日もフリーのアナウンサーが自身の投稿を巡って、契約の解除になったという。

ただ、今回の話は追ってみるとそれなりに賛否両論なところもあれば個人的に考える部分が多かったので、参考に取り上げてみたいと思います。

事実の状況

実際どのような発言がなされたのか、引用して検討みましょう


問題の投稿

投稿者は女性のフリーアナウンサーでした。
これだけだと、ちょっと問題点が判りにくい部分もあるので、少し分解してみましょう。

①ご事情あるなら本当にごめんなさい
⇒配慮と思われる。しかし、のちの文章次第では免罪符やデコイのような評価を受けることもある。ただ、問題の本質ではない。

②夏場の男性の臭いや不摂生してる方特有の体臭が苦手
⇒「男性」という特定表記にちょっと引っ掛かりは覚えるが、最後の苦手を読むと、個人の趣向の話である。

③常に清潔な状態でいたいので、一日数回のシャワー、汗拭きシート、制汗剤においては一年中使う
⇒個人の活動報告ではある。ただ、ここに述べられている活動(特にシャワー)は、水準として割と難易度高めであることに留意しつつ次に進みたい。

④多くの男性が
⇒アウト、問題点。どうして男性に限った話になってしまったのだろうか。臭いに気を遣うというのは、男女関係がないエチケットの話であるはずなのに、男性のみが対策してないというような、特定性をサゲた表記になってしまった。

⑤それくらいであってほしい。
⇒ここも問題点だと思う。倫理的には問題はなさそうではあるけど、感情を逆なでする部分。「それくらい」とあるが、先にも述べた通り女史の水準は比較的高い。体臭に気を遣えている人でも、一日数回シャワーを浴びている人はそう多くはないと思う(あくまで体感だが)
また、この文脈での「それくらい」は「そんなことも(できない)」の否定的嘲笑的な意味合いとして読めなくもないので、感情論的にはよろしくはなかっただろう。

ご事情とは

転じて、①の話に帰ってきて「ご事情」とは何だろうか。
汗拭きシートや制汗剤の利用が体質的に無理というのは、このご事情に入るだろう、間違いなく。

では、職業活動上、一日に数回シャワー…正確には汗をかいた段階でシャワーを浴びることが不可能な職業上の都合はご事情に入るのだろうか。
この発言を擁護的に読むのであれば、「ご事情に入る」と読むべきだろう。しかし、そのような職業活動が可能な職種は世にどれほどあるのだろうか。

社会的にいう労働者のうち、僕や彼女の様なフリーランス(自営業者)と呼ばれる職種であれば可能ではある。だが、多くの労働者はサラリーマン(雇用労働者)である。僕の経験に照らしても、サラリーマンは職業活動中にシャワーを浴びる都合を持ち合わせてはいない。また、契約形態に関わらず、屋外作業を主とする労働者にとっても同様であろう。

よって多くの労働者にとって「そのくらい」を満たすことはおおよそ不可能な話ではある。

となると、多くの労働者は水準を満たせないので、「ご事情」に職業上の事情を入れてしまうと、一体誰に向けての発言になるのだろうか。
僕たちフリーランス系の男性であろうか、余暇を楽しむ男性に向けてであろうか、はたまたリタイヤされた男性だろうか。いずれにせよ、サラリーマンという母体に比べれば少数である。

こうして読み解くと、この前置きも本当に意味がないというか、単なる免罪符的に書いたのではと思えてしまう。(であれば、職業差別的に解する人もいたであろう)

どうするべきなのか

さて、本記事の本筋として「この発言は許せん!ふじこふじこ!!」したいわけではない。
問題は何なのかを探したうえで、同じ轍を踏まないようにするにはどうすべきかを考えたいのである。

大前提として、やはり表現する上で男・女という表現は本当に気をつけるべき時代だということだろう。
特に、何かをサゲる表現の場合、特定の属性について言及すれば炎上する傾向にあると思う。
ちょうど先日、某アパレルブランドで『男性が育児をしない』という趣旨のメッセージ性を込めたキッズシャツを作成して炎上したばかりでもある。

どうしても我慢ならず、基社会的意義があって男・女を出すのであれば、一度逆に書いてみるのもおすすめかもしれない。

件の投稿に例えれば、『男性が「女性の体臭が無理である」と発言した』という表現に置き換えてみて、正当性が保てるかである。
おそらく、現代ではこちらも炎上したであろうことは想像に難くない。なんなら、「化粧品の臭いがダメだ」といっても何かしら理由がついてアカン気がする。例えば、商品を貶しているつもりでも、相手は身体の一部としてとらえる可能性などだ。

結局のところ、身体的特徴は勿論、においなど極端に言えばプライバシー?で感情的な部分については触れることは本当に気を使うべきだということになる。

ある意味での男女平等

実際、むかしむかしにあった、「男性だったらば」という話が通用しなくなっている側面も感じる。

別のチャンネルでは、デートの際のおごりおごられに関してでさえ、男女間におけるあり方について議論が起こる状態なのだ。

これを男女平等が進んだ先として迎合するのか、はたまた行き過ぎた平等感あると反発するのかは個々人の感性によるところはあるだろう。

とはいえ、この性がこの性に対しては許されるのだという側面は確実に減っている。

男性が女性の頬をたたけば絶大な非難を浴びていた時代があり、今もそうあると思うが、現代は女性が男性の頬を叩いても同じだけの非難を浴びる時代なのだ。
女性は筋力が低いから許されるとかそうゆう話はもう過ぎ去った時代の話であって、叩いたという事実が非難されることで平等が達せられようとしてるのだ。

おわりに~アップデートの機会でもある~

この手の炎上騒ぎを聞きつけると、僕は一つするべきことがある。

それは問題の本質を考えて、自分の感性との食い違いを探すことだ。
なんでこんなことで炎上するのか、と疑問に思ったならいい。そこから理解して、考えをアップデートするべきだ。
気をつけるべきは、問題を問題がおかしいとして放置して、わが道を行くこと。
現代の炎上リスクを考えれば、放置したままSNSを利用することがとても恐ろしく感じる。

勿論、倫理観などは絶対のものはないし、それぞれ個々人が思うべきことは思っていいのだ。しかし、何が起こっているか理解が及ばないというのが危ない。
時代に迎合しなさいというのではなく、時代を読み解いたうえで自分の在り方を決めるべきだという話。


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