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私が情報発信すること


2月ぐらいから、モヤモヤ考えていたことを、まとめ的に書き残します。
私、個人が情報発信する意味についてのお話です。

*背景

今年の目標は「チャレンジ」にしました。
思い付きでnoteとTwitterのアカウントをとり、勢いではじめました。

なんの計画も意識もありませんでした。単純にやってみたかったのです。
何かを見つける旅に出るような感じで、軽い気持ちで飛び出しました。

記事を書くことについて色々な学びがありました。
一方、何を発信すれば良いのか分からない状態に落ちいりました。

初めに考えたのは「地球温暖化をテーマに勉強しながら何か発信できたら良い」との思いつきでした。
記事にしてみましたが、あまりに自分が無知であることが分かりました。
プロがいて、誰もが考えることを、門外漢が発信する必要はないのです。
専門家は信頼性をもち、正しく情報発信して、正しく機能しています。
それを、あえて私が行うことに意味はないのです。

2月ごろに心のなかに芽生えた、
「私が発信する意味はあるのだろうか。」
と言う問いに答えられず、悩み初めます。

モヤモヤしながらも、書き続けることに微かな手応えを感じつつ、3月は強制チャレンジ期間として毎日noteに投稿することにしました。
とてもありがたいことに、毎日幾人かの人が記事を読んで頂き、なおかつ「スキ」を頂いています。とても、幸せなことだと感じています。感謝です。

またTwitterは、短時間で呟くことが自分には合っていないことが分かりました。なので、今はあえて積極的にツイートはしていません。
いずれ、チャレンジする幅を広げ、Twitterを活用したいと思います。

*私が発信する意味

知的生産という言葉があります。
梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」は定本でしょう。
情報産業の時代にあって、

知的生産とは、かんがえることによる生産である。
(梅棹忠夫 1969「知的生産の技術」岩波新書 P11より)

と、書かれています。
また、上野千鶴子先生の「情報生産者になる」において、

誰のものでもないオリジナルな情報生産者になることを求めました。
(上野千鶴子 2018「情報生産者になる」ちくま新書 P11より)

と情報生産者としての原則を明示しています。
(本を読み返すと、恥ずかしくなるほどに、知的生産、情報生産について何もわかっていなかったと痛感しています。)

私が発信することに意味はあるのでしょうか。発信していることは知的生産なのでしょうか。

*発信者としてのルール

そうした中で、書くフレームが自然に決まり、自分が感じたこと、気持ちに触れた記事の紹介、読書記録を書き続けています。

そして「情報を正しく発信している自覚があるか」と問うようになりました。

こんな時に堀さんの記事を読み、「情報発信者」としての尊厳とルールについて学びました。

自分の発信に対して知的な責任と向き合っているかどうか。それは自分の知的方向性と向き合えているかどうかということなのです。
(ライフハックジャーナル#09「知的情報発信の矜持について」より)

私の知的方向性と向き合えているだろうか。
一つのルールとして「出典を明記すること」を決めました。

こういう、自分の中でルールが形成されていくのもチャレンジした産物であると感じます。悩みながら、考えながら、人から学びながら。少しづつ積み上がってきています。

*発信する自覚

日記が知的生産なのか不明ですが、誰かの何かに響けばそうと言えるのでしょう。自分が大事にしたいことは伝えたい。そう考えています。

私が、悩んだあるいは迷っていた根幹は、堀さんの記事にある「知的な責任」と向き合っているかどうかでした。
私の言葉に置き換えると「情報を発信する自覚」となります。

それは自分のオリジナルな情報なのか、感情なのか。
Twitterやnote、web、テレビ、ラジオ、家族、会社の仲間が言ったなにかに触発された何かなのかもしれません。

誰の情報なのか、自分の感情はなんなのかを自覚して明確にする覚悟が必要なのだと思います。

ゆえに「出典を明らかにする」ルールは絶対なのです。
これが破られたとき、信頼を失うのは然るべきであり、こうした自覚と信頼が私の中でつながり、気持ちが変わりました。

*私が情報発信すること

上野千鶴子先生の本で、知的生産とは世界で誰も知らないオリジナルな情報を指します。その他の情報は「セコハン」と指摘しています。

私の記事はセコハンです。
私が心に響いた記事を紹介し、私の感じたことを書いています。

ただ毎日記事を書いて感じるのは「書くことには意味がある」と確信しています。ただ読むことと、書くことを前提とした読むは違います。

書くことで多くのことを学べます。
できる限り遠い世界を見てみたいと思うのです。

*さいごに

私の試みは道なかばです。
一里塚として、今の自分の情報発信を振り返り、一つ整理ができました。

軽い気持ちで初めてしまいましたが、続けていることで多くを学べていることに感謝です。

これも読んで下さる人がいてこそ。
感謝申し上げます。

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20200319:新規作成
20200320:修正、加筆。投稿。
20200321:一部誤字修正。再投稿。
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