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誰かのために頑張ると、誰かが助けてくれる

アンキャリの準備が進んでいる。

前回のワークショップでの受講生の活気に触れて、僕が次に担当するワークショップを、僕が考える中で最良のものにしたいと思った。例えば、多様な視点の提示。政治の世界はよく分からないが、素人目でこうしたほうがいいのに、と思うことはよくある。それでもそうならないのには、何か理由があるはずだ。僕が不利益を被る政策によって、利益を得る層が大きいのかもしれない。あるいは、政策決定者の利権めいたものが存在するのかもしれない。

いずれにしても、何か物事を考える時には、複数の視点から多角的に主題を捉えることが必要だ。その視点を得るためにグループワークをするのだが、学生、それも、九大生に属性が限られてしまっては、どうしても偏った理想論に終始する恐れがある。今回は学校改革をテーマにするつもりなので、学校に登場するアクターとして、学生(僕たち)、保護者、教員、校長、教育委員会、地域住民など、幅広く視点を集めたい。それぞれ学校に求めるもの、学校に関わる範囲などに違いが存在するので、受講生にどうまとめてもらえるのか、ワクワクしながら準備を進めている。

当たり前だが、その視点を得るのは一人では無理だ。僕は教員でもなければ保護者でもない。だから実際に教育現場に立たれている方などからお話を伺う必要があるが、この話をするとすぐにお知り合いの方を介してそのような方を紹介してくれた友達がいた。インターンの関係で出会った方々にもお話を伺ったり、またお知り合いの方を紹介して頂いたりした。改めて、ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございます。ワークショップを最高のものにするために、残りの時間も最善を尽くします。

一つ自分が変わったなと思うのは、人(特に自分よりも年齢が上の方々)と話すのが苦手だった自分が、こうして年長の方々から助けて頂いていることだ。正直に言って、ワークショップを企画するだけなら、僕が頭の中で考えるだけでもできる(もちろん質を問わなければ)。ただ、質の低いワークショップでは金曜の夜遅くに授業に出てくれている受講生に申し訳ない。また、前回の活気に満ちた深いグループワークを見ると、こちらとしてもより深みに至れる場をつくりたくなる。より実社会に近い状態で、悩みながらも確かに課題解決に向けて有効なアイデアを考え抜ける空間を、僕は夢見てしまった。

そう思うと、僕自身の心理的負担感というのは、ほんのささいな問題になってくる。授業を受けてくれている人や、僕を助けてくれた人のために、克服しなければならなくなる。そうしたくなる。成長の原動力は自分の外にあってもいい。

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