見出し画像

最初の開業:スタート前からドン底

最初の開業は2022年のことです。
株式会社ローカルグッディーの代表取締役でした。
いわゆる雇われ社長という立場で不動産屋としてのキャリアがスタートしました。
雇われとはいえ実働は自分1人、事務所も宅建業法の規定をクリアするため、
今は亡き祖母が残してくれた元実家を本店としていました。

祖母と姪っ子。遺影の写真にしました。

不動産屋として営業開始許可が下りる
1ヶ月前の8月8日。いつものようにデイサービスへ送り出し、
僕は共同経営者である株主の経営する車屋の手伝いに行っていました。

施設から電話があり、
施設の職員さんがコロナ陽性で祖母も38度超えの熱があるため、
迎えに来て欲しいという連絡が急遽入りました。

豊橋で仕事をしていた僕はすぐに1時間半かけて地元へと戻りました。
祖母のPCR検査結果は「コロナ陽性」。
91歳で持病持ちでしたから、この時すでに覚悟はしていました。

両親は共働きでしたから、
幼少期から祖母と常に一緒にいました。おばあちゃんっ子です。
祖母が頭蓋咽頭腫の手術を機に介護認定を受けて以降8年間介護してきました。

当時はコロナ禍真っ只中、病床が満床で入院が困難な状況でした。
保健所から借りたパルスオキシメーターの数字が明らかに悪くなったため、
救急車を呼びました。91歳の持病持ちでも入院ができるか五分五分でした。

幸い慣れ親しんだ中村日赤に入院することができました。
コロナに関しては1度容体は落ち着きましたが、再生不良性貧血を患っていた
祖母は免疫抑制剤を服用していたため、力尽き2022年8月21日に逝去しました。

前年の祖父の急逝に続き、祖母も逝ってしまい、僕にとって両親とも言える
存在がいなくなったという現実は覚悟していたとはいえ辛いものでした。
最期の1年は僕が多忙を極めていたため、ストレスを抱えた姿ばかり見せて、
悪かったなと心残りも正直あります。

8年祖父母を介護してきた僕が言えることは、
早く逝ってくれたら楽になるのにって思うほど大変な介護を経験しても、
いなくなった時の悲しみは深いし、心残りって必ずあるものです。

僕が高齢者の方の生活支援を普通にできているのは、
紛れもなく祖父母のおかげです。特に祖父に関してはとても頭を悩ませて
くれましたから笑、どんなに癖のあるお客さんもいい人に見えます笑

ローカルグッディー元本店。株式会社はなみずきの本店事務所。

祖母が遺してくれた事務所で不動産屋をスタートでき、
色んなことがあったけれど、また株式会社はなみずきで再スタートできること、
2年間苦しい思いをして成長した姿を今度こそ祖母に見せたいと思います!

今振り返ればスタート前からメンタルがドン底でしたね笑
本当に大変だったのは、営業開始から半年であったことは当時は知る由も
ありませんでした。幼かった僕を続編で振り返ります笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?