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"存在"

存在とは
どうも、Яくんです。
今回は概念系を書いていこうと思います。
最近は宇宙系の話が多かったですよね。
前回はダークマターとダークエネルギーというスケールの大きな話を書いてみました。
ただ、個人的にこういったダークマターや宇宙の果て、多次元宇宙論について考察するのも好きなのですが、考察を深めると大抵ひとつの疑問に辿り着くんですよね。
それが今回のテーマ「存在」です。
前回や前々回に少し絡んできますが、この記事だけ読んでも楽しめるようにしてみました。
今までに比べると短めになっているので、軽く読み進めて見てください。

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「なぜ、全てが存在しているのか。」
これはいつも考える度に頭がぐちゃぐちゃに絡まってしまうので、今一度文字に書き起こして見ようと思う。


本当に不思議ではないか。
皆さんも考えたことがあるのではないだろうか。

全ての世界も物質も宇宙も、何らかの方法で生まれたことは確かである。今はわかっていなくても、研究が進めばどういうプロセスを経たのか、どうやって"今"が形成されたのかわかることだろう。
ダークマターはこういうもので、宇宙の果てはこんな感じでした!とわかっても、それはそれでふぅん、そっかぁで終わるだろう。

問題は、なぜ全てが存在しているのか、ということである。
逆に存在してないってありえるのか、と思うかもしれないが、そうではないのだ。
もう既に存在しているから、存在していないということはないのだ。

本当に"存在している"のであれば、の話だが。


究極の問い
存在の謎
全てに「なぜ」の問いを問いかける。

僕たちが住むこの地球の周りには宇宙が広がっていて、じゃあその外にはなにがあるのか。
また別の宇宙が広がっているとして、その外にもまた宇宙があって…。

この問いを永遠に繰り返していると、なぜ僕たちが、この世界が、物質が存在しているのか疑問に思えてくる。

仮に、全ての原点である"なにか"があったら、なぜその"なにか"が存在しているのか。果てしない問いである。


スピリチュアル的な観点から見てみよう。

全ての源、神的な存在である意識があるとする。これは全てでもあり、"無"でもある。
自分自身が何かわからなかったので、体験的に知るために自分の分身を作って全てを創造したのではないか。

この過程が"ビッグバン"。

ビッグバンによって全てが"無"に還り、全てが生み出された。
全てに意味があり、全てに意味がないというのはなんとなくわかるのではないだろうか。

意味があると定義したら全てに意味があり、逆に意味がないと定義したら全てに意味がない。

なのでその"神的存在"は肉体を創り上げ、そこに自分の分身である魂を吹き込んだ。
そうすることで、自分と他人という比較対象が生まれる。

なんとなくわかりそうでわからないだろう。
これを理解するには、頭では不可能かもしれない。

例えば、瞑想などで完全調和の状態を心で感じるのではないだろうか。

少なくとも現段階で僕たちの頭で考えるには限界があるだろう。

しかし、このことについて考えるのは危ないと言われている。物事を客観的に見ることのできない人は特に気をつけて欲しい。


今回はまとめるのが難しいテーマだったが、いかがだっただろうか。

自身の"存在"について、というよりはこの世の事象、物質全てを対象にしているので、わかりにくかったかもしれない。
今度は"自分"という存在について書いていこうと思うので、ぜひ読んでいただけたら嬉しい限りである。



終わり。

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