プラットフォーム革命 を読んだ

世にある数多のプロダクトで目指す立ち位置として「プラットフォーム」という言葉はよく見るが、そのプラットフォームとはなんたるや。をこの本は教えてくれる。

「プロデューサ」と「消費者」を結びつけ価値交換を可能に、円滑化するのがプラットフォーム。という答えにたどり着くための事を事例と共に読める。

コア取引

プラットフォームの中核をなす取引のことだ。ユーザ同士がコア取引を繰り返すことでプラットフォーム自身の価値が高まるという。
コア取引のための在庫をプロデューサが生み出す。
プラットフォームはこの取引がスムーズにいくように場を整える。取引を活性化するためにツールを提供する場合もある。YouTubeなら動画アップロードするツールなんかがその例だった。

名の通り「コア」取引なのでこれが上手くいくかが全てを握る。

プラットフォームになれなかったもの

事例の中にはプラットフォームに敗れたプロダクトの話がでてくる。そこにある共通点は価値がプロダクトそのものにある点だと読めた。
もちろんプロダクトそのものが非常に良ければたくさんの人が買うだろう。しかし、そこでプロダクトがプラットフォームとしてユーザ同士をなんらか結びつけてネットワークを形成していなければ、いくらでも競合が良いプロダクトを出してしまったら乗り換えられてしまう。

エンジニアとしてプラットフォームを作る側になる

本を読んでいると「プラットフォームは素敵!プラットフォーム作りたい!!」となってくるものだ。
エンジニアとしての難しさは本にあるように、負荷の上がり方が初期の設計時に想定していた以上になる場合があることだ。

また、自分の感覚的にはどんな機能をプラットフォームに盛り込むのか、どんな設計で盛り込むのか。はとても難しいだろう。プラットフォームに参加する全ての人の言っていることを鵜呑みにして機能を取り入れて行ったらシステムとしてえらいことになるのだろう。

要求があるということは何かしら課題があるので放置はしたくないので、何らか解消することになる。
プラットフォームのコア機能として取り入れるのか、利便性の向上のための補助機能やツールとして取り入れるか判断を都度していくことが必要なのだろう。

プラットフォームを作る責任

プラットフォームによっては子供をひどいやりとりのされる場へ放り込む可能性を作る。場合によっては犯罪に巻き込まれる。
プラットフォームは法とも戦いになる。既存の法律では制限されてしまうことを乗り越えてでも提供したい価値がある。

プラットフォームは場として機能するので、その場でできてしまうなら意図しない悪意に満ちたやりとりで溢れてしまうこともあるのだろう。
法を乗り越えてでも出したい価値が悪意で満ちないように場をコントロールする責任がプラットフォームに求められることも本を読んでいるとわかる。

総じて

プラットフォームすごーい!という高ぶりと共に、それに伴う責任も押しててくれる本だった。
「プラットフォームを作る」というお題目のプロダクト開発に関わることがキャリア通じて多かったがプラットフォームという認識が実は曖昧だった。
このタイミングで雰囲気でなく「プラットフォームとは何たるや。」を知れてよかった。

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